「アイデアのつくり方」(ジェームス・W・ヤング)
原題は“ A Technique For Producing Ideas ”
米広告業界のレジェンドが1940年に書いた名著。
80年たっても、本質は変わらないのだな、と実感。2つの原理 ―― ①アイデアは既存要素の組み合わせ②その組み合わせは関連性を見つけ出す才能によって高められる ―― は今でもまったく通用するし、関連性を見つけ出すカギは③広範囲の情報収集(言い換えれば旺盛な好奇心をベースにした貪欲な知的探求)、という点にもまったく共感した。※参照:「センスは知識から」
海外のビジネス書は、往々にして冗長的で、同じようなことが表現を変えて何度も繰り返されていたりして、無駄にページ数が多かったりするのだが、この本は極端なくらいに薄い(50ページほど)。大事なことがぎゅっと詰まっていて、いつでもさっと読み返せて、実用的だ。
逆に、ケーススタディ的な事例や解説がもっとあってもよい、むしろあってほしい、と思った。
なお、「アイデア」は「イノベーション」や「発明」「発見」などにも置き換え可能だろう。
以下、備忘
■2つの原理
アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない
新しい組み合わせをつくり出す才能は事物の関連性をみつけ出す才能に依存するところが大きい
事実と事実の間の関連性を探ろうとする心の習性がアイデア作成には最も大切。この心の習性は錬磨可能で、最も良い方法の一つは社会科学の勉強。
■この心の技術は5つの段階を経過してはたらく
【第1段階】資料の収集
至極単純明瞭な真理にすぎないにもかかわらず、実際にはこの第1段階がどんなに無視されているか、驚くばかりである。
資料収取作業はそう生易しいものではないが、私たちはいい加減でごまかしてしまおうとする。
①特殊資料
特殊資料とは、製品と、それを売りたいと想定する人々についての資料。
大抵、この知識を習得する過程であまりに早く中止してしまう。
また、表面的な相違が目立たないと相違点がないとすぐ決めてしまう。
しかし、十分深く掘り下げていけばほとんどあらゆる場合、すべての製品と消費者との間にアイデアを生むかも知れない関連性の特殊性が見つかるものである。
②一般資料
一般資料を集める継続的過程も、特殊資料を集めるのと同じように大切。
真にすぐれた創造的広告マンはきまって2つの顕著な特徴をもつ。第一は、エジプトの埋葬習慣からモダン・アートまで、興味を感じることのできないテーマは一つも存在しないということ。第二に、あらゆる方面のどんな知識でもむさぼり食う人間であること。牛と同じで、食べなければミルクは出ない。
広告のアイデアは、製品と消費者に関する特殊資料と、人生とこの世の種々様々な出来事についての一般的知識との新しい組み合わせから生まれてくる。
この過程は万華鏡の中で起こる過程と似ている。万華鏡の中の色ガラスがあらゆる種類の幾何学的デザインを作りだす。組み合わせの数学的可能性は甚だ大きく、ガラス片の数が多くなればなるほど、新しい、目のさめるような組み合わせもそれだけ増大する。
心の中に貯えられる世界の要素が多くなればなるほど、新しい、目のさめるような組み合わせ、即ちアイデアが生まれるチャンスもそれだけ多くなる。
【第二段階】消化過程
資料を咀嚼する段階。
心の触角とでもいうべきもので一つ一つ触ってみる。一つの事実を取り上げ、あっちに向けてみたりこっちに向けてみたり、ちがった光の下で眺めてみたりしてその意味を探し求める。また、二つの事実を並べてみてどうすればこの二つが嚙み合うかを調べる。
事実というものは、あまりまともに直視したり、字義通り解釈しない方が一層早くその意味を啓示することがままある。
仮の、あるいは部分的なアイデアが訪れたら、どんなにとっぴで不完全なものに思えても気に留めず書きとめる。これはこれから生まれてくる本当のアイデアの前兆である。
段々このパズルを組み合わせることに疲れ、嫌気がさし、やがて絶望状態に立ち至る。何もかもが心の中でごっちゃになり、どこからも明瞭は生まれてこない。ここまでやってきたとき、つまりパズルを組み合わせる努力を実際にやりとげた時、第二段階を完了し第三段階に移る準備ができたことになる。
【第三段階】孵化
問題をまったく放棄する。できるだけ完全に心の外にほうり出す。
問題を無意識の心に移し、眠っている間にそれが勝手にはたらくのにまかせておく。
音楽、劇場、映画、詩や小説、何でもいいから自分の想像力や感情を刺激するものに心を移す。
食料を集めた(第一段階)、十分咀嚼した(第二段階)、いまや消化過程が始まった。そのままにしておくこと(第三段階)。ただし胃液の分泌を刺激すること。
【第四段階】発見のとき
どこからもアイデアは現れてこない。
その到来を最も期待していない時 ―― ひげを剃っている時、風呂に入っている時、朝まだ眼がさめきっていないうち ―― に、訪れてくる。
アイデアの訪れてくるき方はこんな風である。アイデアを探し求める心の緊張をといて、休息とくつろぎのひとときを過ごしてからのことなのである。
(ただし)つねにそれを考えていること。
【最後の段階】実用化
生まれたばかりの可愛いアイデアをこの現実の世界の中に連れ出さねばならない。
この子供が、思っていたような素晴らしい子供ではまるでないということに気づくのがつねである。
忍耐づよく種々たくさんな手を加える必要がある。
多くの良いアイデアが陽の目を見ずに失われてゆくのはここにおいて。発明家と同じように、アイデアマンもこの適用段階を通過するのに必要な忍耐や実際性に欠けている場合が多々ある。
アイデアを胸の底にしまいこんでしまうような誤は犯さず、理解ある人々の批判を仰ぐこと。
良いアイデアはそれをみる人々を刺激する。その人々がこのアイデアに手をかしてくれる。自分では見落としていたそのアイデアのもつ種々の可能性が、こうして明るみに出てくる。
◇追記
言葉はそれ自体アイデアである。
言葉はアイデアのシンボル。言葉を集めることによってアイデアを集めることもできる。