「昭和史 戦後編 1945-1989」★★★★☆ | Jiro's memorandum

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「昭和史 戦後編 1945-1989」(半藤一利)


戦後、どんな過程を経て、日本のかたちが出来上がっていったのか、重大事件やエピソード、キーとなる人物の思想、国民の感情、など押さえつつ時系列で話が進み、とてもよく理解できた。
 
特に昭和20年代30年代が重要。たまにテレビで当時の闘争やデモの古い映像が流れても、正直よく分かってなかったが、これからは興味を持って観入ってしまいそうだ。
 
また、今後日本が選択を迫られる事柄についても(特に安全保障や憲法改正について)、今まで以上に関心が高まった。

それにしても、軍国主義から民主主義への切り替え、安保闘争から経済第一への切り替え、などあっさり方向を変えてしまえるのは日本の国民性なのだろうか。
 
 
今後、日本が進んでいきそうな方向性は?? 
とあれこれ考えてしまう。。
 
 

以下、備忘



しかし日本人というのは、まことにあっさりしているというか、「鬼畜米英」といってあれだけ憎悪を抱き、アメリカを仇敵として戦った日本人がスパーッと銃を置いたんですね。

今日まで「一億玉砕」「戦士であるおまえたちがそんなだらしないことでどうする」と横ビンタ張っていた人たちが、次の日から「これからはアメリカだ」「民主主義だ」なんて言い出すんですから、その変わり身の早さにも驚かざるを得ません。



マッカーサーはこの時ひどく驚き、心の底から感動したようです。戦争に負けたどこの国の元首が、自ら訪ねてきて「自分に責任があるから身の処置は任せる」などと言うだろうかと。確かに、歴史を見れば、たいていが亡命または命乞い、責任はないと強気に出るくらいで。自分からYou may hang me.と言った例などないでしょう。



アメリカの占領政策は、やったアメリカ人も驚くほど、従順にしかも忠実にきちんと実行されていきました。


アメリカの占領政策が、東京裁判を終了するまでとその後では、ガラッと変わります。(中略)日本の戦後史を考える大事なスタートになるわけです。(中略)ここまでに戦後日本のかたちが出来上がったと考える・・・



中国では、毛沢東を指導者とする共産党軍が圧倒的な勢いで蒋介石の国民政府軍を打ち破ります。(中略)
これは、とくにアメリカには大事件でした。蒋介石の中国を世界の五大強国のひとつとして親米政権にするというアジア政策のもくろみは完全に打ち砕かれ、アメリカの敵としての中国が現れたのですから。



日本ではドッジ・ラインのために汲々とし、経済再建でふうふう言っている時に朝鮮戦争が起こり、多くの難問がいっぺんに吹っ飛んでしまいました。経済をどうするかという大事な議論をあまりしなくていい状態になると、内閣の仕事はあとは講和条約だけです。そしてアメリカはとにかく日本を味方にしたい、なんのことはない、ここでもまさに「神風」が吹いたのです。



(昭和26年(1951年)サンフランシスコ講和条約締結)
この時から戦後の独立国日本がスタートします。そしてかたちとしては、親米的な、アメリカの傘下に入った、同時に重装備の軍事力を持たない「通商国家」として国際復帰することが決定づけられたのです。



独立した日本は、あっちを向いたりこっちを向いたり、より改革へ進もうとしたり後戻りをしたりしながらもとにかく皆がせっせと働きました―――おもしろいことに、それは明治維新後の日本とよく似ているんです。(中略)政府内部でもどういう国家をつくればよいのか(中略)大揉めに揉めていましたし、国民のなかにも政府への不安があって、なんとなしにまとまらずガタガタしていました。



昭和31年(1956年)「もはや戦後ではない」という言葉が盛んに言われはじめました。



(昭和35年(1960年)安保闘争終了)
日本の真に戦後的な気分が終わったのは、ですからこの時じゃないでしょうか。安保騒動は、戦後の憤懣をもすべて吹き飛ばしたいわゆるガス抜き、“戦後日本”のお葬式であった、と見られなくもないのです。その後、日本人は足並みをそろえて、経済的実力と高い技術力を備えた経済大国への道を志すようになるのです。

「デモは終わった、さあ就職だ」(当時の「週刊文春」特集)


国民が「もう政治の争いはたくさんだ」と感じていたところにスッと池田さんの出番がきた。(中略)新聞なども「政治の季節はもう終わった、これからは経済の季節だ」と謳いはじめ、まさに「デモは終わった、さあ就職だ」の時代になったわけです。日本の行くべき道はこうして決まりました。

(所得倍増計画に対し)ホントかよオイ、そんなことができるはずないじゃないか、と思ったものの、まさにこれは日本の高度経済成長期の幕開けとなり、皆がここを出発点に走りはじめました。
 
 

戦後日本がどこで“完成”、あるいは“完結”したか。なにかしら戦後というものをひきずりつつ最後の成果を上げたのはどこかといえば、私は佐藤内閣がやった沖縄返還ではないかと思います。




①昭和20~26年(1945~1951年) 
占領の時代
非軍事化、議会制民主主義、財閥解体、農地改革、言論・表現・結社の自由、労働三法、など。

②昭和27~35年(1952~1960年) 
政治闘争の時代
60年安保という一大国内闘争を経て決着がついた。平和と民主主義をめぐる議論の最後の大衝突で、結果的には軽装備・通商貿易国家、経済第一の国をつくろうじゃないかという方針が決まり、国民も合意し、日本はその方向へどんどん進み出す。

③昭和36~40年(1961~1965年)
経済第一の時代
冨を豊かにするという国家目標が見事に実現された。所得倍増計画が非常に魅力的で、これに合意した日本人は「強兵なき富国」に励み、懸命に努力した。

④昭和41~47年(1966~1972年)
自信回復の時代
働いた成果が次々に出てきて日本経済がぐんぐん成長。64年新幹線開通、東京オリンピック開催、70年大阪万博開催、72年沖縄返還。

⑤昭和48~57年(1973~1982年)
日常生活での価値観見直しの時代
経済最優先で頑張ってきたものの、なんとなしに虚しさ、これでいいのかという気分がわいてきて、もう一度考え直した方がいいのではと感じだした。ベトナム戦争、中東戦争、2度の石油ショック、コンビニ1号店、情報化社会。

⑥昭和58~64年(1983~1989年)
国際化の時代
自動車やエレクトロニクスを中心とする産業に切り替え、輸出国家へ転換。官僚計画経済国家とでも呼べるシステムがうまくいった。