「昭和史 1926-1945」★★★★☆ | Jiro's memorandum

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「昭和史 1926-1945」(半藤一利)
 

昭和史をこんなにしっかりと勉強したのは初めてだ。改めて、何度振り返ってもいい時代、忘れてはいけない歴史、だと痛感。
 
 
ペリー来航から日露戦争勝利まで40年かけてつくりあげた近代国家を、太平洋戦争敗戦までの40年かけてすべて失い、戦後復興からバブル頂点まで約40年かけて経済大国になり、その後長らく喪失の時代に入る。
 
この「四十年史観」、なるほど…と妙に納得。2度の上昇期には国民がとても熱狂した。サイクル通りだとすれば、次は2030年頃に熱狂することになる。果たして再現するのか。
 

その他、歴史は繰り返すというか、昔も今も同じようなことをやっているんだな、と思うことが読んでいて何度かあった。
例えば、日本が対ソ連を意識して国防最前線として満州を侵略したのは、ロシアが対NATOを意識してウクライナを侵略しようとしているのと同じような地政学的要因。
「ポーランドが攻撃してきた」という偽りの情報をながして戦争を始めたドイツの振る舞いは、今のロシアのやり口とそっくりだ。
あらゆるリソースを国が調達できる国家総動員法下の日本は、今の北朝鮮の体制と同じようなもの。
日本とドイツ、北朝鮮とロシア、昔も今も、孤立化した国同士が手を組む。


以下、備忘


自分たちは世界の堂々たる強国なのだ、強国の仲間に入れるのだ、と日本人はたいへんいい気になり、自惚れ、のぼせ、世界じゅうを相手にするような戦争をはじめ、明治の父祖が一所懸命つくった国を滅ぼしてしまう結果になる、(中略)
1865年から国づくりをはじめて1905年に完成した、その国を40年後の1945年にまた滅ぼしてしまう。国をつくるのに40年、国を滅ぼすのに40年、(中略)
講和条約の調印を経て新しい戦後の国づくりをはじめた、これは西暦でいいますと1952年のことです。
さらにさまざまなことを経てともかく戦後日本を復興させ、世界で1番か2番といわれる経済大国になったはずなんですが、これまたいい気になって泡のような繁栄がはじけ飛び「なんだこれは」と思ったのがちょうど40年後、同時に昭和が終わって平成になりました。
こうやって国づくりを見てくると、つくったのも40年、滅ぼしたのも40年、再び一所懸命つくりなおして40年、そしてまたそれを滅ぼす方へ向かってすでに十何年過ぎたのかな、という感じがしないわけではありません。



(昭和6年・1931年)1万人以上が一気に鴨緑江を超えて満州に入りました。大元帥陛下の命令なくして軍隊を動かしたということは大犯罪で、陸軍刑法に基づけば死刑なのですが。

若槻首相という、道理のわかったはずの人が、「なに? すでに入ってしまったのか。それならば仕方ないじゃないか」と言ってしまったというのです。

朝刊は「朝鮮軍の満州出動」と大々的に報じました。(中略)軍部の後押しをしました。この時から大衆が軍を応援しはじめ、強気一方になって(中略)

「この全国民の応援」を軍部が受けるようになるまで、くり返しますが、新聞の果たした役割はあまりにも大きかった。世論操縦に積極的な軍部以上に、朝日、毎日の大新聞を先頭に、マスコミは競って世論の先取りに狂奔し、かつ熱心きわまりなかったんです。そして満州国独立案、関東軍の猛進撃、国連の抗議などと新生面が開かれるたびに、新聞は軍部の動きを全面的にバックアップしていき、民衆はそれらに煽られてまたたく間に好戦的になっていく。(中略)
マスコミと一体化した国民的熱狂というのがどんなに恐ろしいものであることか、ということなんです。
そして昭和7年3月には満州国が建設され、9月8日に本庄軍司令官以下、三宅参謀長、板垣高級参謀、石原作戦参謀らが東京に帰ってくると、万歳万歳の出迎えを受け、宮中から差し回しの馬車に乗り、天皇陛下にこれまでの戦況報告をします。

昭和がダメになったのは、この瞬間だというのが、私の思いであります。



うまく国民をリードするには、例によって新聞を使うことです。彼らは新聞を徹底的に利用して、満州独立の構想を推進しようと考えます。戦争は、新聞を儲けさせる最大の武器なんです。だから新聞もまた、この戦争を煽りながら部数を増やしていこうと、軍の思惑通り動きました。



「軍部が絶えず“二・二六”の再発をちらつかせて政・財・言論界を脅迫した。かくて軍需産業を中心とする重工業財閥を抱きかかえ、国民をひきずり戦争体制へ大股に歩き出すのである。この変化は、太平洋戦争が現実に突如として勃発するまで、国民の眼にわからない上層部において、静かに、確実に進行していた」(松本清張)


(昭和19年のインパール作戦について)
作戦そのものとは違う「政治的判断」で作戦を遂行し、失敗がわかっていながらなおかつ総攻撃命令を出すなど、およそ軍をあずかる指揮官のやることではありません。こうした何ともアホな判断が働き、史上まれに見る大惨敗を喫した戦いについては、話すこともホトホト嫌になります。



昭和史の20年がどういう教訓を私たちに示してくれたのか(中略)
第一に国民的熱狂を作ってはいけない。その国民的熱狂に流されてしまってはいけない。ひとことで言えば、時の勢いに駆り立てられてはいけないということです。



昭和史全体を見てきて結論としてひとことで言えば、政治的指導者も軍事的指導者も、日本をリードしてきた人びとは、なんと根拠なき自己過信に陥っていたことか、ということでしょうか。