「馬上少年過ぐ」(司馬遼太郎)
歴史上ではマイナーな人物や事件ながら、どの話も味わい深い。
今回も司馬遼太郎さんを堪能しました。
以下、備忘
■「英雄児」(長岡藩家老 河井継之助)
「峠」を読んでとても好きになった人物。改めて、豪快で痛快!
「謙信の再来であろう」
という者もあった。確かに北越の天地は三百年まえに上杉謙信をもち、つぎに河井継之助をもった。ふしぎなほど、この二人は共通しているところが多かった。
謙信という人物は、軍神に誓って生涯女色を絶ち、その代償として常勝を願った。ほとんど奇人といえるほどに領土的野心が乏しく、むしろ芸術的意欲といっていいような衝動から戦さをし、常に勝った。謙信は戦争を芸術か宗教のように考えていた男だが、河井継之助にも、気質的には多分にそういうところがあったにちがいない。
■「慶應長崎事件」(海援隊士 菅野覚兵衛)
幕末の長崎。ちょっとやんちゃな外国人を、酔っ払った血の気の多い志士が斬ってしまったという事件。まあ斬った方が悪いのだろうが、どっちもどっちという感じ。疑われても仕方ないと弱気な菅野覚兵衛、冷静で強気な坂本竜馬。斬った当人は事件当夜に藩に迷惑をかけないようにと切腹していたとか。
■「喧嘩草雲」(足利藩士 田崎草雲)
芸術家で物凄い喧嘩をする田崎草雲。とにかく豪快。こんな真っ直ぐな生き方に憧れます。
■「馬上少年過ぐ」(仙台藩主 伊達政宗)
戦国の世が落ち着き、活気盛んだった頃をしみじみ振り返る伊達政宗。
自分にもこんな日が来るのだろうか。そんな日が来た時、充実感を持って、後悔なく振り返れるように、やりたいことを思い切りやっておこう。と思った。
馬上少年過ぐ
世平らかにして白髪多し
残軀(ざんく)天の赦(ゆる)すところ
楽しまざるをこれ如何せん
「わかいころいささか天下に志をもち、戦いにあけくれたが、しかし世が平らかになり、身は老いてしまっている。すべてはもはやむかしのこと。いまはその老雄が、桃李のもとで酒を汲み、春風をめでている」
■「重庵の転々」(土佐の医者 山田重庵 → 伊予吉田藩家老 山田仲左衛門)
伊予と土佐、隣でも随分と人々の価値観が異なるのだな、というのが印象に残る。
■「城の怪」(下総牢人 大須賀万左衛門)
失うものがない低い身分、でも自分には力がある、という者は、無茶な冒険をするものだ。
■「貂の皮」(龍野藩主 脇坂安治(甚内))
大した功もないのに人数あわせで賤ヶ岳七本槍に入った(かつての米八大会計事務所のようなものか)。単独功に近い福島正則や加藤清正からすれば「七本槍」とひとくくりにされるのはかなり不満だったらしい。しかし、関ヶ原以降も大名として存続したのは脇坂家のみ。貂の皮のおかげでツキがあった?
徳川の初期、豊臣系の大名のとりつぶしがあったとき、甚内の朋輩だった福島正則も没落し、清正の加藤家もとりつぶされた。七本槍の仲間のうち、大名では脇坂家だけがのこり、貂の皮は参勤交代のごとにつつがなく江戸と播州竜野のあいだを上下した。めでたいというほかない。