「人生を変える断捨離」(やました ひでこ)
整理整頓をすると理屈抜きで気持ちがいい。また、仕事ができる人のデスクは大抵きれいだと前々から思っている。しかしながら、自分の周りにはまだまだ捨てきれないモノがあふれていて、断捨離の背中を押してほしい、もっと大胆に断捨離したい、という思いが本書を読んだきっかけ。
ところで「断捨離」という言葉は、やましたひでこさんが商標登録しているとか。いずれにしても40年ほど前から断捨離について研究というか語ってきた方ですので、単純にモノを捨てるとスッキリする、というレベルではなく、深い考察があるのではないか、ということにも期待して読んだ。
モノがたまっていく住空間は、池でいうと「ヘドロ」、カラダでいうと「毒素」、と例えられたページを読んで、まず危機感みたいなものを感じた。
捨てるのは単なる"モノ"ではなく"執着"だということを読んで、スッキリするワケがとてもよく分かった。
そして、断捨離の根本的な考えは「新陳代謝」であるという点に、非常に共感した。
机の引き出し、デスクトップ上のアイコン、などまずは手近なところから早速実践したいと思う。
以下、備忘
モノの片付けはあくまで「断捨離」の入口。
断捨離が目指すのは、「高い視点・広い視野・深い洞察」という俯瞰的思考、「自在=あるがままでいられる自然」、「ごきげんな生き方」。
断捨離とは「出す」美学。
「新陳代謝」という原理原則。生命のメカニズム。
入れたら、出る
出るから、入る
そして出す
適度に水の循環があるべき池が、淀んだ「溜め池」になり、気づけば「ドブ池」「ヘドロ沼」に。
カラダに例えるならば、代謝が落ちて体内に毒素が溜まりきった状態。
「着ることのない服」は持ち主との関係性において「不活性エネルギー」を発しているようなもの。クローゼットから流れ出す不活性エネルギーに満ちた空気を吸っていれば、持ち主までドヨーンとなる。
「使える」ではなく、「必要」か。
「将来いつか使う」ではなく、「今の自分にとって重要」か。
モノ選びは「私が使いたいかどうか」が全て。
1 out 1 inの法則
「1つ手放してから、1つ入れる」。その逆ではない。
先に困った状態をつくることで、「いい加減なモノは買わないぞ」という覚悟が生まれる。
"始末"を先に行うことは、次の"獲得"を確実に洗練させてくれる。
小さい、確実に成果が出る場所から始める。こだわりの強いもの、一番捨てにくいものから手をつけても作業は進まない。簡単なところから着手し、その積み重ねによって、大きな課題にも立ち向かえるようになる。
「手放して 減るストレスと 増える笑み」
捨てるのはただのモノではない。モノには、大切な人からもらった、なけなしのお金をはたいて買った、等のストーリーがある。「見えない思い」「執着心」がある。
「高かったんだよな」「これを着ていた頃は楽しかったな」「捨てたらバチが当たりそう」といった重い気持ちを伴ったモノから受ける影響はネガティブなもの。
「モノに貼り付いた重たい"執着"は今の自分にとって不要である」と意識しながら捨てていくことで、モノとココロは、より強く連動します。思いが重ければ重いほど、思いの拠り所となっているモノを手放すことで、ココロが軽くなっていくのを実感できるのです。行動としてはモノを捨てていくだけですが、見えない世界やココロまでも同時進行で"余計な執着心"を手放していけるのです。
断捨離を進めると、生活や仕事における選択や決断の精度が上がり、行動スピードも速くなる。
断捨離とは、人生の新陳代謝を促すもの。
住空間は常に代謝している状態が望ましい。「入ってきたモノは活用し、使わなくなったモノは排出する」サイクルが続くことで、活性エネルギーが満ちてくる。また、ゆとりある空間づくりになる。