「酔って候」★★★★★ | Jiro's memorandum

Jiro's memorandum

泉治郎の備忘録 読書の感想や備忘録 ※ネタバレ注意
【経歴】 日本株アナリスト、投資銀行、ネットメディア経営企画、教育事業経営、人材アドバイザー、新聞社経営管理、トライアスリート

「酔って候」(司馬遼太郎)

 

幕末の四つの藩の話。それぞれ短い話だが、これまで読んだ司馬遼太郎さんの本の中でも上位に入る面白さ。

 

幕末では、貢献度も注目度も藩主より藩士であることは間違いないが、藩主も極めて重要な役回りを担った。この本に登場する藩主たちが別の人物であったなら、また違った、ひょっとしたら大きく違った、歴史の結末になったのかも、とさえ思う。

 

とにかく、司馬遼太郎さんの手にかかると、とても魅力的な人物になり、ドラマチックなストーリーになり、大変に感慨深く、歴史を深く深く味わうことができました。

 

 

以下、備忘

 

 

◇酔って候・・・山内容堂

 

豪快で、ある意味正直で、道理を大事にするところに共感。関ヶ原で受けた徳川の恩をここまで引きずる必要はあるのか?と思うところもあるが、時勢をよく見つつ、容堂なりに正義を貫こうとする姿勢が、この人物の魅力。

 

慶喜がここにいないのはおかしい。また徳川だけが400万石を返上しなければいけないのはおかしい、ならば同様に土地を私有する薩摩も返上しなければいけないし、薩摩が返上するなら土佐も無一文になってもよい、と主張する場面が痛快。

 

「さすがに飲みすぎでは?」と突っ込みたくなる場面しばしばあるも、そこはご愛嬌。24万石の一藩主とは思えない人物的な大きさを感じた。

 

三百諸侯のなかにはいわゆる御三家、御家門、譜代など、徳川家に恩縁あさからぬ大名が多いが、たれひとり徳川幕府の最期にあたってこれほど昂々然と弁護した者がなかった。

(おれはやった)

と、この歴史主義者はおもった。

 

 

◇きつね馬・・・島津久光

 

外部の人的交流に疎く、それゆえに情報も乏しく、世間知らずな天然ボケ的な行動をとってしまったが(生麦事件もその一つ)、逆に久光の突飛な行動が結果的に歴史を大きく動かした、という点が非常に面白い。

 

島津斉彬が非常に優れた藩主であっただけに、よりによってなぜこの人物が、より重要な時期に、より重要性を増す薩摩藩の藩主になったのか? ともどかしく思うところもあるが、(歴史にもしはないが)もし斉彬が藩主のままであったなら、もっと穏やかに歴史は動き、ここまでドラスティクに日本は変わらなかったのかもしれない。歴史の巡り合わせは面白い。

 

久光は、なるほど大仕事をした。この男の大挙上洛によって、諸国の志士はふるいたち、あらそって京にのぼってきた。

その後かれらは京で天誅事件その他を頻発させ、世情を混乱させ、幕威をいよいよ衰えさせたばかりか、一方、生麦事件で薩英戦争がおこり、これをきっかけに薩摩が英国と手をにぎり、倒幕への力をたくわえた。久光の上洛は、当人の意思とはべつに、幕末の情勢を一挙に革命前夜におとしいれたといっていい。

 

 

◇伊達の黒船・・・伊達宗城と提燈屋嘉蔵

 

伊代宇和島は10万石に過ぎない小藩ながら4堅候に数えられた伊達宗城。ビジョナリストで、イノベーションに対する目利き力と情熱を持ったベンチャーキャピタル的思考と行動が魅力。人柄と行動力によって構築した人的ネットワークも小藩ながら存在感を発揮した要因。

藩主になれるような運命ではなかった旗本の四男で、石高も10万石しかないので、そもそも失うものが小さいという点が行動力の背景だったのかな、と想像した。

 

伊達宗城から蒸気船建造の使命を受けた無名の提灯貼り職人の嘉蔵は、最底辺の身分であるがゆえにたびたび差別を受け、様々な制約を余儀なくされながらも、よき理解者と出会い、技術と知識を習得し、研究に研究を重ね、壁を乗り越えていく。成功といってよいかどうかは若干微妙な結果ながら、そこは逆に親しみを感じるところ。いずれにしても読んでいてワクワクするサクセスストーリーであり、非常に痛快です。

 

できれば大きな馬力の汽罐(かま)をもう一度作らせてもらいたいと思い、愚痴まじりに船体を設計した御抱医師の村田蔵六にいうと、この長州人は、

「石高相応の汽罐でござる」

と無愛想に答え、それっきりぶすりとしてなにもいわなかった。

 

 

◇肥前の妖怪・・・鍋島直正(閑叟)

 

幕府直轄の長崎を隣地とする地の利があったとはいえ、世界の動きに対するアンテナが高く、好奇心があり、先見性があり、知性に優れた合理主義者で策士という印象。大政奉還前の幕末クライマックス期に存在感がなかったため、肥前藩についてよく知らなかったが、存在感がなかったワケが分かり、こういう独自路線の生き方もありだな、と思った。

 

地道な取り組みによって秘密裏に構築した軍事力が背景にあってこそ可能となった独自路線。とにかく、閑叟の策士ぶりが面白い。一方でやたらと手を洗う潔癖性のところが人間っぽくて親しみあり。

 

「トルコ以東で様式兵器を製造できるのは、わが佐賀藩だけである」

 

「これからは英国だ」

と、閑叟はことごとく藩士にいった。こういう閑叟にとって、勤王佐幕がどうの薩長がどうのというのは二ノ次、三ノ次の関心事だったのはむりはない。

 

「その厘耗をおしんで貯められた財(軍隊)を差し出されては如何」(木戸)

閑叟はうなずき、

「もはや惜しくもない」

それ以上なにもいわなかったが、ここで薩長土三藩は薩長土肥になったともいえる。

肥は、海軍力の弱い官軍に艦隊を与え、さらにその施条銃と後装砲、アームストロング砲の威力を持って関東、江戸、東北、北陸、蝦夷地などあらゆる戦線で大なり小なりの勝因をつくっている。