「「司馬遼太郎」で学ぶ日本史」★★★★☆ | Jiro's memorandum

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「「司馬遼太郎」で学ぶ日本史」(磯田道史)

 

司馬史観というものについて、よく分かってなかったということが本書を読んで分かった。

 

戦国時代から太平洋戦争までのつながりが、よく分かった。

 

今後、司馬遼太郎さんの本を読む際には、より味わい深く読めそうです。(まだ読んでない司馬遼太郎さんの本は残り少ないが)

 

合理性に欠け、精神論に偏った、昭和前期の日本国家の失敗。司馬遼太郎さんの辛い暗い青春期の体験が、龍馬、大村益次郎、秋山真之、などの合理的、科学的、戦略的な思考力と行動力を高く評価する背景となった。

 

 

以下、備忘

 

戦国時代、濃尾平野にできた権力体が、われわれの社会(昭和の軍事国家)の直接の素源だと思っていたふしがある。

 

「花神」で描かれたのは大村益次郎の合理主義。身分制度に興味がなく、便利であれば、既存の価値を捨ててすぐに新しいほうに乗り換える。

 

「要するに蔵六は、どこにでもころがっている平凡な人物であった。/ただほんのわずか普通人、とくに他の日本人とちがっていたところは、合理主義の信徒だったということである」(司馬遼太郎)

 

司馬さんが小説を書いたことで、龍馬は国民的英雄になった。

 

素浪人が新しい時代を切り開く「竜馬がゆく」、身分制度にあぐらをかいた武士の時代が剣道も習ったことのない村医者の合理的戦略・戦術で簡単に崩される「花神」。これらの作品が戦後の日本人の心に響いた。

 

明治維新最大の功績者と司馬さん自身評価する西郷隆盛も、新国家の青写真は持っていなかった。

 

龍馬は現実主義者。新政府発足のための経済システムに必要な紙幣発行、それに詳しい三岡八郎の登用など、青写真を持っていた。

 

秋山真之は海外留学で兵術や科学技術を学んだ。合理的に戦力を考えるリアリズムがあった。

 

乃木希典は二百三高地などで多くの将兵を死なせたが日露戦争は勝利に終わり「軍神」として伝説化した。

 

司馬さんは、乃木希典とその下で作戦の指揮をとる幹部をまとめて「無能」と激しく非難した。

 

昭和陸軍につながる「暗部」に対する鋭い批判が込められている。

 

秋山真之は乃木希典とも通じる格調高い精神を持っていたが、兵器の優劣が戦争の結果を左右するという合理的な現実も理解していた。

 

昭和前期は「日本の歴史の中でもちょっと異様だった時代」「別の国だったかもしれないと思わせる」「魔法にかけられた時代」。

日本史の連続性から切断された「異胎(鬼胎)」の時代。「明治憲法下の法体制が、不覚にも孕んでしまった鬼胎のような感じ」。

 

二百三高地では、大量の死者を出す結果となる戦術的な誤りを決行したが、それを悲壮な美談としてとらえる国民もいた。これは、「鬼胎」につながる病根だった。

 

「日露戦争の勝利が、日本と日本人を調子狂いにさせたとしか思えない」(司馬遼太郎)

 

戦争継続能力のない日本はぎりぎりの条件で講和を結んだが、勝利に浮かれた真実を知らない国民は政府を非難、各新聞も国民の気分を煽った。

 

日露戦争に一応買ったということで、日本人は謙虚さを失っていった。

 

日清戦争勝利で中国に優越感を持ったところに、白人の国にも勝ったことで「世界の一等国に仲間入りした」と言い始めた。

 

兵器も国産では揃えられない小国という自覚はあったが、それを士気や教育訓練で補っているという意識もあった。

 

天佑があるから日本軍は士気が高く兵器不足を補って勝てるという議論が横行。

 

明治十四年の政変の頃、軍隊が国家を動かすドイツを日本の国家モデルにした時期に、病魔のもととなる菌が植え付けられた。

 

日本を「鬼胎」にした正体、それはドイツから輸入して大きく育ってしまった「統帥権」。

 

いばっていられるのは誰のおかげなのか、日露戦争で軍が頑張って勝利したからこそ一等国になったのだ、憲法や議会ではなく軍こそが国家の威力の中心なのだ。