長崎 原爆の日 被爆者代表の「平和の誓い」を読んで思ったこと | 秋桜の日記~福島県民200万分の1の声~

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福島の自然・福島の日常・福島県民の一人である私の想い・そして福島の歌うたい「aveさん」の事を書いています。
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8月9日 長崎は69回目の 原爆の日をむかえました。

正直言えば 私は 長い間 広島や長崎 そして終戦記念日までも 
特に 大きな意味を持つ日と考えたことはありませんでした。
しかし、東北大震災を経験し、年を重ねてくると 
世の中の人々が長い人生の中で経験した多くの悲しみや苦しみを知ること・知ろうとすることの大切さを 感じています。


記念式典では 市長や被爆者代表・総理の言葉があります。

今年も 其々が評価されたり 批判されたりしていますね。

長崎の被爆者代表 城台美弥子さんの「平和の誓い」は 各方面から「素晴らしかった」との声をききました。

しかし、私はそうは思えなかったので 一つの意見として 記録しておきたいと思います。 

まずは 全文を掲載します。

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http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2014080990135521.html?utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter

 一九四五年六月半ばになると、一日に何度も警戒警報や空襲警報のサイレンが鳴り始め、当時六歳だった私は、防空頭巾がそばにないと安心して眠ることができなくなっていました。

 八月九日朝、ようやく目が覚めたころ、魔のサイレンが鳴りました。

 「空襲警報よ!」「今日は山までいかんば!」緊迫した祖母の声で、立山町の防空壕(ごう)へ行きました。爆心地から二・四キロ地点、金毘羅山中腹にある現在の長崎中学校校舎の真裏でした。しかし敵機は来ず、「空襲警報解除!」の声で多くの市民や子どもたちは「今のうちー」と防空壕を飛び出しました。

 そのころ、原爆搭載機B29が、長崎上空へ深く侵入して来たのです。

 私も、山の防空壕からちょうど家に戻った時でした。お隣のトミちゃんが「みやちゃーん、あそぼー」と外から呼びました。その瞬間空がキラッと光りました。その後、何が起こったのか、自分がどうなったのか、何も覚えていません。しばらくたって、私は家の床下から助け出されました。外から私を呼んでいたトミちゃんはそのときけがもしていなかったのに、お母さんになってから、突然亡くなりました。

 たった一発の爆弾で、人間が人間でなくなり、たとえその時を生き延びたとしても、突然に現れる原爆症で多くの被爆者が命を落としていきました。私自身には何もなかったのですが、被爆三世である幼い孫娘を亡くしました。わたしが被爆者でなかったら、こんなことにならなかったのではないかと、悲しみ、苦しみました。原爆がもたらした目に見えない放射線の恐ろしさは人間の力ではどうすることもできません。今強く思うことは、この恐ろしい非人道的な核兵器を世界中から一刻も早くなくすことです。

 そのためには、核兵器禁止条約の早期実現が必要です。被爆国である日本は、世界のリーダーとなって、先頭に立つ義務があります。しかし、現在の日本政府は、その役割を果たしているのでしょうか。今、進められている集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を踏みにじる暴挙です。日本が戦争できるようになり、武力で守ろうと言うのですか。武器製造、武器輸出は戦争への道です。いったん戦争が始まると、戦争は戦争を呼びます。歴史が証明しているではないですか。日本の未来を担う若者や子どもたちを脅かさないでください。被爆者の苦しみを忘れ、なかったことにしないでください。

 福島には、原発事故の放射能汚染でいまだ故郷に戻れず、仮設住宅暮らしや、よそへ避難を余儀なくされている方々がおられます。小児甲状腺がんの宣告を受けておびえ苦しんでいる親子もいます。このような状況の中で、原発再稼働等を行っていいのでしょうか。使用済み核燃料の処分法もまだ未知数です。早急に廃炉を含め検討すべきです。

 被爆者はサバイバーとして、残された時間を命がけで、語り継ごうとしています。小学一年生も保育園生も私たちの言葉をじっと聴いてくれます。この子どもたちを戦場に送ったり、戦禍に巻き込ませてはならないという、思いいっぱいで語っています。

 長崎市民の皆さん、いいえ、世界中の皆さん、再び愚かな行為を繰り返さないために、被爆者の心に寄り添い、被爆の実相を語り継いでください。日本の真の平和を求めて共に歩みましょう。私も被爆者の一人として、力の続くかぎり被爆体験を伝え残していく決意を皆様にお伝えし、私の平和への誓いといたします。

 平成二十六年八月九日

 被爆者代表 城台美弥子



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確かに 政府の「集団的自衛権」や「戦争」に対する批判を 総理を目の前にして行ったというのは、勇気がいったことだと思います。

一つの意見として 堂々とした素晴らしいものと感じます。

しかし、下記の内容には違和感を感じました。

『トミちゃんはそのときけがもしていなかったのに、お母さんになってから、突然亡くなりました。』

『私自身には何もなかったのですが、被爆三世である幼い孫娘を亡くしました。わたしが被爆者でなかったら、こんなことにならなかったのではないかと、悲しみ、苦しみました。』

とありますが トミちゃんやお孫さんが亡くなったのは 被爆者・被爆三世だからでしょうか?
そうとは書いてありませんが いかにも 被爆の影響という言い方は 多くの被爆者・被爆三世の方々にも誤解を招きかねない発言だと思います。


『小児甲状腺がんの宣告を受けておびえ苦しんでいる親子もいます』

というのも 甲状腺がんが あたかも原発事故の放射線の影響によって発症したというような表現は正しくありません。
それから 反核と反原発は 別なものと私は考えます。
ので、「平和の誓い」に反原発を言うのには違和感を感じます。
ましてや「反政府」となれば論外です。

日本が戦争という道に進まない事願うという気持ちには賛同しますが
その手段として 正確でない被害を誇張して、同情を引いたり 
「被爆者」という反論しにくい立場を利用した(と私は思う)意見の述べ方は

先の選挙時に
http://ameblo.jp/kosumosu-rinrin/entry-11573753318.html
「福島からの避難者」という立場を利用し、「奇形児が生まれている」と、あたかも放射線の影響での被害があるように流布した 木村ゆういち氏と なんら変わりない手法だと私は思うのです。

「被爆者」が自身の被害を例に出して言う 反核は 他の人が言うより 説得力があるのでしょうね。

と同時に 反原発運動をしている方々が
福島県民に その被害を例に上げて 反原発を謳うことを期待しているというのを
ずっと感じています。

だから 福島県民には被害があってほしい・・と。 いや、ある!と。
その方が インパクト ありますものね。

願わくば 長崎の人にも 福島の人にも 反核や反原発を願う人たちにも
ありもしない被害を作り上げて
政府批判をしたり 自身の主張の正当化に利用しないでほしいと 改めて思いました。

【8月14日 追記】
  • 城台さんの話の中で、お孫さんの死に関して
    『わたしが被爆者でなかったら、こんなことにならなかったのではないかと、悲しみ、苦しみました』とありますね。

    これって 本来は ”必要のない” 苦しみなのではないでしょうか。

    人の一生のうちで、自身や家族が癌になったり 家族を亡くしたりということは 少なくなくあることです。
    それだけでも 十分悲しいのに、城台さんのように「私が被爆者でなかったら・・」、福島の人のように「原発事故が無かったら・・」と考えることは その悲しみに追い打ちをかけることと思います。

    他の地域の方が 同じ状態になっても、それはそのままのことなのに、福島の人や広島・長崎の人は「放射線の影響では?」「あの時避難しなかったから」と他者から言われるのではないかという不安もあるでしょう。

    もしも、本当にそうであるのなら もちろんその責任を追及すべきですが
    被爆三世の死も 福島の人の病気も 放射能の影響とは 思えません。

    でも、考えてしまうのが、人間の心理。
    そして、今回のような城台さんの話が 更にその根拠となるでしょう。

    だからこそ 否定したいと思うし、
    小出や山本太郎が言う
    「福島県民の25人に1人が死ぬ」・・等々
    悲しみにさらに追い打ちをかける原因を作る(いわゆる呪いをかける)発言に 怒りを感じるのです。

    また、
    城台さんや福島の不安な人は、何故「分からない」を放置しているのかな?と不思議に思います。

    私のブログの中でも何度か紹介していますが naka-takeさんの言葉を再掲しておきます。 
    『放射線がこわい」というのは、普通の感覚だと思いますし、「怖がることを正当化する情報」、例えば小佐古参与の辞任とか某武田大先生のとち狂った自説などの「権威」がつくと、それに飛びつくというのも、分からんでもないです。ですが、それは根拠無く飛びついているのであって、冷静だとは思えません。
    現状では、放射線の心配よりも、精神ストレスの方が健康への影響が大きいと思います。
    自身で「分からないから怖い」という不安を「分かったから怖くない」という、安心に変えることが、一番の薬だと考えます。 』

    もっとも 城台さんの 本来の目的が別なところにあるのなら
    知識云々という問題では無いですけどね(^^;)