2025/08/02 中日新聞朝刊 地方版(信州版)
逃避行の話 広く次世代に 「なんでこの歴史知らないの?」出発点
【長野県】「戦争」と「国策」が絡み合った歴史を伝える阿智村の満蒙開拓平和記念館で事務局長を務める三沢亜紀さん(58)。広島県出身で平和教育が身近にあった。全国で最も送り出した人数が多い長野県内でも知らない人が多い満蒙開拓の歴史。戦後80年を迎え当事者が少なくなる中、三沢さんは「家族や仲間、大切な人を失った痛みを抱えて生きてきた。次の時代に生かせるか、私たちに問われている」と思いを強くする。(藤野華蓮)
-広島県出身。子どもの時はどのような平和教育を受けたか。
原爆が落とされた8月6日は必ず登校日でした。スライドを見たり当事者の話を聞いたりしました。当時のスライドで見た原爆で皮膚がただれ、水を求めて街をさまよう被爆者の様子は記憶に残っています。
県外に出てから、広島だからこそ熱心な教育があったんだなと思いました。長野に来ると、戦争の傷痕が目に見える形で残っていないので「のどかなところもあったんだ」と思いました。でもケーブルテレビに勤めていた時に満蒙開拓を取材し、一人一人話を聞いていくと知らない歴史とそれぞれの思いがありました。衝撃的でしたし「なんでこの歴史を知らないの?」と大きな疑問を抱きました。
-大きな被害があった広島、長崎、沖縄などと他の県で温度差はあるか。
どれだけそのことを伝えようとする人がいるかどうか。確かに国は向き合おうとしなかったし、送り出された、出した側がいるので向き合いにくい歴史だったと思います。満蒙開拓は国策。当時の情勢、経済状況を知って「どうしてこれが良しとされたのか」を考え、繰り返さないためには何が必要か考える力が必要です。
今はどれだけ教育現場とタッグが組めるかだと思います。ただ、学習指導要領は国が決めるので、教員や教育委の関心次第であるところはあります。どれだけ教員や教育委の人たちと思いを共有できるか問われるところです。まだ手探りですが探っている最中です。
-満蒙開拓の歴史を伝える情熱はどこからくるか。
経済、教育、メディアなど切り口がたくさんある歴史だと思います。開拓団の悲劇、というだけでなく多面的に歴史を学ばせてくれるものです。私が印象深い話は、逃避行の話です。2015年、中国で残留孤児を育てていた養母に話を聞きました。その方は、その子どもを自分の子どものように育て本当の親が日本で見つかったときには「親のそばで育つのが良い」と気持ち良く送り出したそうです。
普通であれば当時、母親は子どもを置いて帰国しないはず。でも当時の過酷な環境の中で自分だったらと考えたら自分も子どもを置いてきた母親だったかもしれない。そう考えてしまいました。そこまで追い詰められるのはむごいことだと思いました。養母も自分がどこに帰属しているか関係なく、人として判断したこと。抑圧を受けてきた中国人がなぜ日本人の子どもを助けたのか。母親や養母がなぜこのような行動をしたのか考えてほしいんです。
-館でどのようなことを感じてほしいか。
これまでどんなところを通り歩んできたのか歴史の道筋をたどり、今の社会を見極めて一人一人考える力を見つけてほしいです。平和に向かうための正解はなくて、戦争がなければ平和だということでもない。平和は「自分の目標に向かって進める社会」だと思います。平和のために自分は何を大事に生きるか、考えてみてほしいです。
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みさわ・あき 1967年、広島県尾道市(旧因島市)出身。大学卒業後、東京で8年働き、結婚を機に飯田市に移住した。飯田ケーブルテレビで15年働いた後、2009年12月から満蒙開拓平和記念館開館準備事会の専従職員となり、12年1月からは同館事務局長を務める。