こんにちわ
今日は午前中しかバイトがなかったので、午後は家でゴロゴロしていました。
暑い日は絶賛引きこもり中です(笑)
さて、今日から掛川城の記事を書きたいと思います!
↑木造で再建された天守です。
掛川城は1513(永正10)年ごろ、今川家の重臣であった朝比奈泰能が築城したとされる平山城です。懸川城とも記されたこのお城は、今川家に侵攻した徳川軍による包囲に数か月耐えた堅城として名を馳せました!1590(天正18)年には山内一豊が入城し、この時3重の天守が建てられ、曲輪や城下町の整備なども行われ、近世城郭として完成します。一豊の後には松平家や井伊家が城主を務め、最終的には太田道灌の子孫の太田氏が廃藩まで城主を務めます。
現在は天守などが全国で初の木造で再建され、また日本百名城42番に指定されています!
↑まず最初に紹介するのは大手門です。
城下を通る東海道から家臣の屋敷地への入り口となる位置に設けられた門です。
↑反対側から
大手門は幕末の大地震によって倒壊し、その後再建されましたがこれも明治になって焼失。
現在の門は1995(平成7)年に再建されたものです。
↑こちらは発掘された礎石根固め石です。
掛川城の大手門は大きく重量があるため、傾かないようにこのような礎石が埋められていたようです。
↑大手門のすぐ裏にある大手門番所です。
大手門に付属した建物で、城内に出入りする人の監視や警備をしていた役人の詰所です。
大手門同様に大地震で倒壊した後に再建され、掛川城の廃城後に民家として払い下げられました。
大手門再建に伴い現在地に移築されたのですが、実際は個々とは違う位置に大手門・番所があったようです。
↑こちらは三光稲荷です。
大手門番所の北側に位置する稲荷神社で、文禄年間(1592~1596年)に城と城下町を大改修した際に、城主の一豊が伏見城築城に参加した縁により伏見稲荷大社から分詞を受けたと伝わっています。
↑一応お参りしておきました(笑)
さて、今回はプロローグ編ということでこの辺で| 壁 |д・)
次回は本丸編を紹介したいと思います!







