女武者早田ひな | この世は舞台、人生は登場

この世は舞台、人生は登場

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早田ひな選手の名言

 

「NHK:NewsWeb」より

 

   私の子供の頃、卓球は手頃なスポーツとして楽しんでいました。お寺の境内や一般家庭の少し広い中庭があれば、そこに自家製の卓球台をこしらえて気軽に遊んでいました。卓球のラケットもネットも、野球などの用具よりも比較的安価だったように記憶しています。今日では、卓球はスポーツセンターか体育館などの特設の場所へ行かなければすることのできないスポーツになっているのと比べると、当時は身近な存在でした。しかし、野球少年だった私は、小さい球を扱うスポーツは苦手で嫌いでしたが、当時、卓球界には荻原伊智朗(1932~1994)というスーパスターがいて、15年以上も世界の頂点に君臨していました。マスコミも騒ぎ、たぶん少年マンガにもなっていましたので、いかに卓球の嫌いな野球少年の私でも荻原さんには興味は持っていました。

   今回のパリオリンピックでも、卓球にはそれほど興味はありませんでした。しかし、女子チームがメダルの獲得に近づくにつれてテレビ放映も多くなったので、いわゆる「にわかファン」になって、結構、興味が湧いてきました。とくに、早田ひな選手のプレーには感動さえ覚えました。

   早田選手は、結果として個人種目で銅メダル、団体種目で銀メダルを取りましたが、その前の試合で利き手の左腕を痛めて注射で止めて競技を続けたそうです。しかし、早田選手の試合振りには痛々しさは感じられませんでした。むして、華麗な力強さがあふれていました。そして、試合後の会見で早田選手の話した内容が、マスコミ・ネットなどによって流されました。彼女の会見内容はメディアによって多少異なりますが、そのいくつかを拾い出すと次のようになると思います。

 

   個人シングルスで銅メダルを取った後の会見では、おおむね次のような内容になっています。

 

   もちろん金メダルを目指していたけどまさか神様にこんな意地悪されるとは思わなくて、でもJOCの皆さんであったり日本の皆さんが支えてくれたので、どんな結果になっても最後までやり続ける。銅メダルを皆さんに見せられたらいいと思って戦いました。この3年間で何か悪かったから神様に悪さをされたのかな。でも乗り越えられない試練じゃないと思いました。でもみんなが支えてくれてどんな結果でもやりきって、銅メダルを、と思って戦いました。この状態で銅メダルを取れたのは金メダルより価値がある銅メダルだなと思います。

 

   また、団体で銀メダルを取った後の会見では、次のように話しています。

 

   腕の怪我をして生活すればするほど自分の手の痛みに苦しめられ、ひとりになると自然と涙が出てきてしまうほど追い込まれていました。現実を受け入れられない自分もいて、今すぐにでも逃げ出したい気持ちもありましたが、平野選手、張本選手、木原選手、JOCのドクター、トレーナーの方含めチームの皆さんや練習相手の皆さんが全力で向き合ってくれたお陰で最後までやりきることができ本当に感謝しています。ありがとうございました。

 

   さらにあるマスコミの記事では、金メダルに届かなかったことを次のように話しています。

 

   この3年間の中で何かが足りなかったから怪我をしてしまったと思うし、神様にも認めてもらえず銀メダルと銅メダルに終わってしまったと思います。私は昔から人に恵まれているなと感じることが多く、今回も皆さんの応援、サポートが無ければ私はこの舞台を去ることになっていたと思います。だからこそ皆さんに銅メダルを見せたい、その一心で頑張り続けることができました。パリでの忘れ物を取りに帰ってこられるように引き続き頑張ります。本当にありがとうございました。

 

   以上の早田選手の言葉は、今回のパリオリンピックに出場した選手の中で最も印象的で優れたものでした。彼女が残した名言の中で私が感銘を受けたのは、「神様がフォアハンドを打つ力だけは残してくださいました」という言葉でした。その言葉は、究極の悟りの境地に達した者だけが言うことができるものです。凡人は、フォアハンドしか撃てないので駄目だと諦めるでしょう。しかし早田選手は、フォアハンドしか撃てないのでそれで攻める以外にはないと悟ったので、フォアハンドの威力が倍増したのです。彼女の戦い振りには、手負いの女武者のような気迫が感じられました。おそらく対戦相手は、彼女のその気迫に圧倒されたことでしょう。しかし、中国に負けたのは、気迫だけでは乗り越えられない技量の差があったからでしょう。

 

   我が国のマスコミは早田選手の怪我に対するコメントの「神さまに意地悪された」とか「神さまに悪さをされた」とか「神様にも認めてもらえず銀メダルと銅メダルに終わってしまった」などと消極的で否定的なコメントばかりを強調して報道しています。しかし、「フォアハンドだけは残してくれた」という肯定的な言葉はまったく無視しているので、もしかするとあの声は私の空耳だったのかと、いまだに自分の耳を疑ってはいます。しかし、腕の怪我は「乗り越えられない試練じゃない」という早田選手のコメントは報道しているので、「神はフォアハンドだけは残してくださった」という言葉も私の空耳ではなかったと信じています。彼女は、窮地に立っても神に感謝する心を持っていた、と私は考えます。

 

神は乗り越えられない試練は与えない

 

早田選手はパウロの信徒?

   「神は乗り越えられる試練しか与えない」という言葉を日本人の多くが知ったのは、2009年と2011年にTBSテレビで放送された連続ドラマ『JIN-仁-』の中でしょう。そのドラマは、村上もとかさん原作、大沢たかおさん主演で放映されて好評を博しました。現代の大学附属病院の脳外科医である南方仁が幕末の日本へタイムスリップして難病の人々を救うという物語です。その言葉は、主人公が苦難に遭遇した時に呟く名セリフでした。そして、その名言は、聖書から採られてものであると言われています。その個所は、新約聖書『パウロによるコリント人への手紙』の次の部分です。

 

   あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。(『パウロによるコリント人への手紙』第10章13)

 

   先に採り上げた早田ひな選手の言葉を聖書の言葉で要約すれば、「腕の怪我は乗り越えられない試練じゃない。神様はフォアハンドだけは残してくださった」となります。早田選手自身はそのことに気付いていたかどうかはしりませんが、彼女のその言葉とプレー態度は、まさしくパオロの教えそのものだったのです。

 

早田選手は中国古典学者?

   中国にも、昔は、私たち日本人が学ばなければならない立派な人が沢山いました。

   江戸時代の道徳の必須科目になっていた孔子(紀元前552頃-479)や、江戸時代の武芸の基礎科目として学ばれた孫子(紀元前5世紀から4世紀頃)、中国のヘロドトス司馬遷(紀元前145/135年? –87/86年?)、桃源郷を考えた陶淵明(365-427)などが有名です。また、字を白楽天という唐の詩人白居易は最も人気のある詩人でした。清少納言の「香炉峰の雪」のエピソードも白居易が超有名な詩人であったことを証明しています。そして、多くの優秀な中国の文人たちの中で、「試練は乗り越えられる者にしか訪れない」と教えた人物がいます。それは、孔子の継承者と呼ばれている孟子(もうし:紀元前372頃~290頃)です。彼の書『告子章句下』の中で「試練は乗り越えられる者にしか訪れない」という趣意の事を述べています。

 

   〔注意〕私がここで言及する孟子の個所は、ネット記事『歴史放談』を参考にしています。

 

将降大任于斯人也、

〔読み下し文〕天の将(まさ)に大任(たいにん)を是の人に降さんとするや

〔現代語訳〕天上の神がある人物に重要な任務を与えようとしたときは

 

必先苦其心志、労其筋骨、

〔読み下し文〕必ず先ずその心志(しんし)を苦しめ、その筋骨を労せしめ、

〔現代語訳〕必ずその人の心を苦しめ、肉体を疲労させ、生活を困窮させ、やる事なす事すべてがカラ回りするような大苦境に陥れるものだ。

 

餓其体膚、空乏其身、

〔読み下し文〕その体膚(たいふ)を餓えしめ、その身を空乏(くうぼう)にし、

〔現代語訳〕それは天がその人の心を鍛え、忍耐力を増大させ、大任を負わせるに足る人物に育て上げようとしている何よりの証拠なのだ。

 

行拂乱其所為、

〔読み下し文〕行いには其の為す所を払乱(ふつらん)せしむ。

〔現代語訳〕まあ、疑う前に周囲をよく眺めてごらん。われわれが知っている優れた人格を持ち知恵があり、人の心が読める能力を発揮している者は、みんな悲惨な体験をくぐり抜けてきた者といっていいだろう。

 

所以動心忍性、曾益其所不能

〔読み下し文〕心を動かし、性を忍び、其の能(よ)くせざる所を曾益(ぞうえき)せしむる所以(ゆえん)なり。

〔現代語訳〕自らの心を悩まし、苦痛をとことん味わった者だけが、人間が生まれついて持っている、素晴らしいパワーを自覚し開花させられるものなんだよ。

 

   孟子は、キリスト誕生よりも300年以上も前の偉人です。神は人間に「乗り越えられる試練を与え、それを乗り越えた者だけを救う」という教えは共通しています。さらに、そのキリスト教と中国儒教の考え方は、日本では仏教にも存在しています。

 

 

山中鹿之助と早田ひな「我に七難八苦を与えたまへ」

   山中鹿之助は、中国地方の勇毛利氏に滅ばされた尼子家を復興させるために活躍した武将でした。鹿之助が彼の尼子復興のための不撓不屈の決意を表すために叫んだ「願わくば、我に七難八苦を与えたまへ」という言葉は有名です。この言葉の原典は、大乗仏教の経典『仁王経』の「七難即滅七福即生(しちなんそくめつ、しちふくそくしょう)」であると言われています。「七難」の解釈は教典と教派によって異なっていますが、「多くの苦難」や「大きな厄難」と解釈されています。大きな苦難を克服すればするほど、大きな福が得られる」という意味でしょう。有能な人物は苦難さえ有利なものに変える能力があるのです。

 

 

早田選手、頑張れ!

   早田ひな選手は、腕の怪我を「乗り越えられない試練ではない」と悟り、「神様はフォアハンドだけは残してくださった」と神に感謝しました。早田選手のその姿は、新約聖書の使徒パウロのキリスト教の教えを、中国の賢人孟子の教えを、そして我が国の山中鹿之助の仏教の教えを思い出させます。早田ひな選手のロサンゼルスオリンピックの活躍を期待しています。