ホメロスの直喩 | この世は舞台、人生は登場

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直喩と隠喩

アリストテレスの像
アリストテレス(紀元前384~322)

 古代ギリシアの哲学者アリストテレスは、『修辞学』の中で「言うべきことを持っているだけでは十分ではない。必要なのは、それをどのように言うか、ということである。(Ⅲ-1,1403b 15~16)」と言っています。すなわち、自分が感じた心情、自分が見た情景、自分が置かれた情況をそのまま文章にすれば文学になるわけではないのです。大切なのは、それを効果的に表現することなのです。抽象的ですが、最も分かり易く言えば、芸術的に表現しなければならないのです。具体的な言葉で言い換えれば、修辞法を駆使して表現することです。その修辞法の重要な要素に、直喩法と隠喩法があります。その直喩法と隠喩法について簡単に説明しておきましょう。

 ある女性を見て「彼女はバラです」と言ったとしましょう。その時、「バラ」のどの様相で、その女性を喩えているのでしょうか。喩えているのは、バラの持つ「美しさ」、それとも「棘がある危険性」、または「華やかさ」、それとも「花のはかなさ」、さらには「ほのかな香り」なのでしょうか。その様に、聴いた者に多種多様な想像を起こさせる喩え方を「隠喩・メタファー(metaphor)」と呼びます。ところが一方、「彼女はバラのように香しい」と言えば、その女性の視覚的な美しさを問題にしないで、彼女から漂ってくる「かぐわしい香り」を表現していることになります。その様に、想像を限定させる喩え方を「直喩・シミリ(simile)」と呼びます。隠喩という修辞法は、言葉の表面的な意味ではなく、言葉の裏に真の意味を隠しているので、読者がその意味を解明・解読しなければなりません。ところが直喩法は、表面に現れた意味のままなので、読者は与えられた言葉通りにイメージ化すれば良いわけです。それゆえに、隠喩は、じっくり読み込み、ゆっくり鑑賞して意味の多様性を楽しむ抒情詩には適していますが、一万行を越える長い詩形の叙事詩には不向きです。一方、直喩は、単調になりがちな叙事詩には最適の修辞法だと言えます。



日本文学の直喩法
直喩の「風林火山」


 隠喩法に較べれば直喩法は、喩えるものと喩えられるものが直接的なので使い勝手のよい修辞法です。古代より世界各国の文献で使われて、最も親しまれてきました。私たちがよく知っている武田信玄の旗印「風林火山」も、紀元前500年頃の孫子の『軍争篇第7』の言葉の直喩の部分を合成したものです。


『古事記』の直喩



 ホメロスよりも少し後の詩人ヘシオドスによって書かれた『神統記(Theogonia)』は、厳密に分類すれば「神話」と呼ぶべきですが、ギリシア文学者のほとんどは、神々の物語を書いた叙事詩に分類しています。日本最古の文学『古事記』も「神話」と呼ばれていますが、神々の英雄伝説の要素が強いので、私は立派な叙事詩だとみなしています。なぜならば、『古事記』という作品は、神々の系譜を淡々と書き並べているだけではなく、アリストテレスが言うところの「どのように書くか」ということに注意が払われているからです。しかし、『古事記』は、まだ日本文学が成長しきらない時代に書かれていますので、修辞法的には未熟なところもあり、直喩の数も少なく、漢文調で単純です。下にあげた直喩は,『古事記』の中では最も優れたものです。



漢文学の直喩



 前の『古事記』の箇所には、4個の直喩が連続して使用されていて、文章にリズム感を与えています。この直喩を連発する技法は漢文によく見られるものです。たとえば、紀元前91年ごろ司馬遷によって書かれた『史記』の中には、連発的直喩が好んで用いられています。ほとんどが単調な用法ですが、その中でも比較的技巧が感じられる直喩は、上に挙げたものでしょう。
 上の『史記』の漢詩を読み下し文に書き換えれば、先にあげた『古事記』の直喩のリズムになります。すなわち日本の直喩法の調子も形体も漢文訓読の域を一歩も出ていないと言うことになります。



ホメロスの直喩法



ソクラテスの像
ホメロス(紀元前8世紀頃)。実在を否定する説もあります。

 西洋文学の始祖ホメロスが使いこなした直喩法は、世界に類を見ない高度技法を備えています。論より証拠といいますので、まず実例を出しましょう。『イリアス』のクライマックスといえば、ギリシアの最強の英雄でこの叙事詩の主役でもあるアキレウスと、トロイアの最強の英雄ヘクトルとの一騎打ちです。この二人は、激しい死闘を長く続けましたが、ついにアキレウスの優勢が動かないものになりました。その場面の描写には、次の直喩が挿入されています。

 敏捷なアキレウスは、絶え間なくヘクトルを恐怖に陥れながら疾走する。ちょうど、山で犬が鹿の子を隠れ家から駆りだして、斜面や谷間を通って追い回す。たとえ(子鹿が)雑木の下に屈み込んで犬を逃れたとしても、その犬は探し出すまで絶えず跡をつけて走る。そのようにヘクトルは、足の速いペーレウスの子(アキレウス)を逃れることはできなかった。(ホメロス『イリアス』第22巻188~193、筆者訳)


 上の詩文の中の赤文字で示しました箇所が直喩の部分です。ホメロスが使っている直喩は、『古事記』や漢文学のものとは明らかに異なっています。その違いは、一つの直喩の表現文が長いということです。しかもただ「長い」というだけではありません。一つの直喩だけで独立した完全な情景を描き出し、物語の本筋に別の絵画的または映像的イメージを添えて、作品全体の芸術性を高める機能を持っています。この長い直喩法はホメロスが最初に使い、その後はホメロスから影響を受けた詩人やホメロスの信奉者が好んで使用してきました。短い直喩に較べて、長い直喩は機能が充実していますので、いろいろな呼び名を持っています。元祖の名に因んで「ホメロス的直喩(Homeric simile)」、もっぱら叙事詩に使われて効果を発揮するので「叙事詩的直喩(epic simile)」、本筋からイメージを膨らませるので「拡張型直喩(extended simile)」、喩える事項にくっついているので「長い尾の直喩(long tail simile)」など、多種多様な名称で呼ばれています。後ほど詳しく説明しますが、ホメロスから直接的にしろ間接的にしろ影響を受けていない西洋の叙事詩には、独立した情況を描けるほど長い直喩法は使われていません。前の『イリアス』の中で見た「鹿を追いかける犬の直喩」は、古代フランス語の叙事詩『ローランの歌(La Chanson de Roland)』(成立は11世紀中頃から12世紀初頭)にも次のように使われていています。


  鹿が犬の前を走って行くように、ローランの前を異教徒たちは逃げている。(1874~1875)


 私の理解が正しければ、『ローランの歌』に存在する唯一の「長めの直喩」です。その叙事詩は、少なくとも『イリアス』よりも1800年ほども後に書かれた作品です。ホメロスの影響を受ける環境にはなかった時期・場所で創作されたので、作者(トゥロルドゥス、Turoldus、仏名:Turoldだと言われています)は長い直喩法を使いこなせなかった、というのが私の持論です。


 現代ならば散文で書くところの題材を韻文で創作したのが叙事詩です。同じリズムで一万行も続ければ、どうしても単調になりますので、それに変化や彩りを加える必要が出てきます。その解決手段の一つが直喩という修辞法だといえます。ホメロスが創作活動をしていた時代(紀元前8世紀頃)においてもの『イリアス』も『オデュッセイア』も昔の英雄伝説ですから、時々、読者を現実世界に戻してやる必要があります。そのために、ホメロスの直喩には、英雄的行動とはほど遠い身近な日常生活から素材を採った直喩が多く存在しています。その実例の短めの直喩を一つ紹介しておきましょう。
 ギリシア勢の中でアキレウスに次ぐ豪傑といえばディオメデスですが、彼はときどき神々とも戦い、そして傷つけることもあります。愛と美の女神といえばアプロディテ(ローマのウェヌスで英語のヴィーナス)ですが、その女神はディオメデスと戦う息子アイネイアスを助けに入ります。その時、ディオメデスは女神の衣の上から手のひらの付け根を槍で刺して傷つけます。女神の方は、息子を放り出して、なよなよと逃げて去りました。さらにその後、ディオメデスは、あの軍神アレスとも戦い、その神の下腹を槍で刺して傷を負わせます。そして傷を負った軍神アレスは、泣きべそをかきながら、オリュンポスのゼウスのもとへ逃げ帰りました。そこでゼウスは神々の医者パイエオンに命じてアレスを治療させました。その時の治療の有様を次のような直喩で表現しています。


 イチジクの汁は、まだ液体だった白いミルクを濃縮して、人がそれをかき混ぜるにつれて素早く凝固する。まさにそのように気性の激しいアレスの傷をたちまち治してやった。(『イリアス』第5巻902~904、筆者訳)

 私はまだ試したことはないのですが、大昔は、ミルクにイチジクの汁を混ぜて、そして固まらせてチーズのようなものを作っていたのではないでしょうか。傷口が治る様子を、液状のミルクを凝縮して固まらせてチーズの作るプロセスに喩えているのでしょう。



ホメロスの豪華な直喩


 ホメロスの直喩法を問題にするとき、欠かせない箇所があります。アカイア(=ギリシア)の連合軍が、大艦隊を組んでトロイアの海岸に押し寄せて、城市の陥落を画して戦陣を張りました。その時の様子を、次のように長々と描写しています。

 破壊をもたらす火が、山の峰々の上の果てしない森の中を荒れ狂い、その赤々とした光が遠くからも見られる時のように、接近してくる兵(つわもの)どもの恐るべき青銅の武具が発する輝く光線は、中空を通って天にまでとどいた。(455~458)
 そして雁や鶴や首の長い白鳥などの翼のある鳥たちの大群がアジアの草原の中の、カユストリオス川の流れの両岸で、ここかしこと翼を広げて楽しそうに飛び回る。そして鳴き声をあげて降り立つ時、草原じゅうその鳴き声でこだまする。ちょうどそのように、接近する兵たちの大群が船から、そして営舎からスカマンドロス川の平原の方へと押し寄せていた。一方、大地は兵らの足と軍馬の蹄の下から恐ろしい唸りを上げていた。(459~466)
 スカマンドロスの花咲く草原に立っている兵士の数は、その時節になれば生い茂り花開く葉や花の数ほど多く無数であった(467~468)
 牛の乳が桶を濡らす春の季節に、家畜の群の放牧地をうろうろ群飛ぶ蝿の大群と同じほど沢山に、髪の毛を長く伸ばしたアカイア人たちは、トロイア人たちを滅亡させようと熱望して平原に立っていた。(469~473)
 そしてちょうど、いかに山羊の群が草原じゅうに散らばり混ざり合っていようとも、山羊飼いの男が散乱した山羊の群を易々と選り分けて行くように、指揮官たちは、戦いにはいるために、兵たちをあちらこちらと選り分けていた。そして、その中に、目と頭が雷光を投げるゼウスに似て、腰がアレースに似て、胸がポセイドンに似たアガメムノンがいた。(474~479)
 ある牛が、群の中で他の牛よりもひときわ秀でた姿になり、集まっている牛の中で目立つようになるが、ちょうどそのように、ゼウスは、その日、アトレウスの子を多くの者たちの間で目だ立たせ、他の兵士たちよりも秀でたものにした。(480~483)
(ホメロス『イリアス』第2巻455~483、筆者訳)

 上の詩文の赤文字で示しました箇所が直喩表現の部分です。全29行の中に9個の直喩が存在しています。
 最初の直喩
(455~458)は、兵士たちのまとった武具の立派さを「山火事」に喩えています。第2番目(459~466)は、兵士の大軍が押し寄せる様を「鳥の群れ」に喩え、第3番目(467~468)も「季節に茂る葉と花」で軍勢の多さを喩えています。第4番目の直喩(469~473)は、トロイを滅亡させようと興奮するギリシアの兵たちを「家畜や牛乳に群がる蠅の大軍」に喩えています。第5番目(474~479)は、将軍たちが自分の家来たちを整列させる様子を「山羊と牧童」の比喩を使って描き、さらに短い直喩「ゼウス」と「アレス」と「ポセイドン」の3個を使って、総大将アガメムノンを引き立たせています。そして最後の6番目の直喩(480~483)は、アトレウスの子アガメムノンがギリシア勢の中で目立っている様子を「群れの中で秀でた牛」に喩えています。これほど長い直喩の連発法は。ホメロスの中でも珍しく、この箇所の他では、ギリシア勢とトロイア勢の大軍が正面衝突した場面(第17巻722~761)で使われているぐらいです。普通は1個で、多くても2個ぐらいの連続使用です。


『イリアス』と『オデュッセイア』の直喩


 ホメロスの『イリアス』は15,689行(版によって多少の誤差あり)、『オデュッセイア』は12,110行で併せて27,799行に及ぶ長編作品です。その中で使われている直喩の数は、古典学者バウラ(C.M. Bowra)の計算では202個、キャンプス(W.A. Camps)の計算では(約)240個になります。さらにキャンプスは、両作品を分けて『イリアス』には約200個で、『オデュッセイア』には約40個だと言っています。キャンプスの分析に従えば、まさしく後者の方は前者の5分の1しか使われていません。かといって、その直喩の使用数の差には何の不思議もありません。むしろその直喩数のアンバランスは、ホメロスの創作能力が卓越していたことの証明です。
 『イリアス』と『オデュッセイア』は、イオニア方言とアイオリス方言が中心のギリシア語で書かれているということと、ヘクサメトロスという韻律が使われているという共通点を除けば、まったく別種の作品です。前者は「軍記物語」で、後者は「冒険物語」です。


 『オデュッセイア』は、トロイアで勝利を収めたギリシアの智将オデュッセウスが故国イタケに帰り着くまでの漂流・冒険譚です。普通であれば、十日ほどで帰ることのできる航路を、十年もかけて故国に辿り着きます。その十年の間に、いろいろな怪物との戦いあり、美女との恋物語あり、地獄巡りまで行いました。物語は変化に富んで、読者を飽きさせることはありません。それゆえに、読者の興味を持続させるために直喩によって脇筋を挿入する必要が少ないのです。それにひきかえ、『イリアス』は、ギリシアとトロイアの英雄たちの武勇伝によって構成されていますので、必然的に戦闘場面が多くなり、物語が単調になりがちです。その解消手段として、読者の身近な事象から素材を採った物語を直喩にして挿入するのです。その実例を一つあげておきましょう。


 トロイア人たちは、アカイア人たちに逃走をさせることができず、アカイア人たちはもちこたえていた。それはちょうど、手仕事をする女が、子供たちのために細やかな賃金を得るため、注意深く秤を持って、両側に分銅と羊毛をのせて均等にして持ち上げるようであった。(ホメロス『イリアス』第12巻432~435、筆者訳)

 トロイア勢はアカイア勢を撤退させようとして攻撃を仕掛けますが、アカイア勢は一歩も後退しない状態を、子供を養うために羊毛の重さを測定する母親に喩えています。この直喩は、喩えられるもの「両軍の戦況が拮抗している状態」と喩えるもの「母親が子供を養うために働く状態」とは一致していません。一致しているのは羊毛を計る「天秤の均衡状態」だけですから、普通ならば、また短い直喩ならば「秤が均等になっているように」と表現すれば良いわけです。しかしホメロスは、直喩表現の中でも読者の日常生活に起こる身近な出来事から素材を採って描き出しているのです。


ホメロスの弟子たち

 古代ギリシアの叙事詩人たちは、ほとんどすべてがホメロスの弟子である、と言って過言ではありません。さらに次の時代の古代ローマの詩人たちも、ほとんどがホメロスから直接影響を受けた直弟子です。とくにウェルギリウスは、ホメロスの忠実な後継者でした。ローマ時代も後期になるに従い、ホメロスの影響は薄れ、ルネサンスで復興するまで完全に消滅します。そのために世界最大の詩人(私の独断的評価ですが)ダンテは、時代的にホメロスを読む環境にはありませんでしたので、その始祖から直接影響をうけることはありませんでした。しかし、ダンテはウェルギリウスの直弟子であり、愛弟子でもありました。そのためにホメロスからすれば孫弟子になります。そして、近代になり長い物語は散文で創作するようになりましたので、物語を韻文で書いた最後の詩人は、イギリスのミルトンだと言われています。その最後の叙事詩人は、ギリシア語もラテン語も堪能でしたので、ホメロスの直弟子でもり、ウェルギリウスの直弟子でもありました。
 上で挙げてきましたホメロスのすべての弟子たちは、例外なく「長い直喩」を使用しています。しかし、ホメロスの影響を直接的にも間接的にも受けていない詩人たちの叙事詩には、そのホメロス流の直喩が使われていません。例えば、アングロサクソン語(古代英語)の『ベオウルフ(Beowulf)』、古代フランス語の『ローランの歌(La Chanson de Roland)』、古代ドイツ語の『ニーベルンゲンの歌(Das Nibelungenlied)』の三つの世界的に有名な叙事詩には、長い直喩は存在していません。古典文学者バウラ(C.M. Bawra)の意見を借用すれば、『ローランの歌』には直喩が極めて少なく、その用法は単純であり、『ベオウルフ』の中には7個だけあるが、その質は『ローランの歌』のものよりも劣り、『ニーベルンゲンの歌』の中にはほとんど存在していない、と言うことです。

 直喩法という修辞法が、叙事詩にとって重要なものであることを理解していただければ、このブログの目的は達成できました。