ダンテ・インフェルノ・地獄の涼風 | この世は舞台、人生は登場

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『地獄篇』第24歌の牧歌的序曲


 ダンテを先導するウェルギリウスは、第5ボルジャの番をする悪魔集団の頭目マラコーダが嘘の道を教えたことに気付いて激怒しました。しかし、第6ボルジャで刑罰を受けていた修道士カタラーノが、崩れた岩橋の残骸が堆積した場所から登ることができると教えてくれました。重い外套(cappaまたはmanto)を着せられている亡者たちには登ることができませんが、ダンテたちにはよじ登ることができて、そこから次の第7ボルジャに辿り着くことができるということです。その時、ウェルギリウスが腹を立てるのを見てダンテも狼狽しましたが、また抜け道を教えてもらい、二人は安堵しました。(『神曲』地獄巡り31を参照)。その時の様子を、『神曲』では次のように牧歌的に描写しています。


 太陽が宝瓶宮の下で髪を和らげ、もう夜が一日の半分の長さに老いて年が若々しくなる時節、霜が地表で彼女の白い姉の姿を模写するが、彼女の筆によるテンペラ画法では束の間しか続かない頃のこと、若い村人は飼い葉が乏しくなったので、起きて田畑を見渡すと、一面白くなっているのが目に入る。そのために彼は、腰をたたいて(=残念がって)家に引き返す。そしてあちらこちらと不平をこぼして回るが、それは丁度、何をして良いのか分からない惨めな人のようである。しばらく後に立ち戻ってみると、世界が僅かばかりの間に表情を変えているのを見て望みを取りもどし、彼の杖を取り、牧草を食べさせるために子羊たちを外へ出す。先生の顔がそのように当惑するのを見たとき、先生は私を大変驚かせた。そしてそのように早く、膏薬は傷にはられた(=恐怖は和らいだ)。(『地獄篇』第24歌1~18、筆者訳)
〔原文解析〕


 巡礼者ダンテはウェルギリウスに連れられた、私たち読者は詩人ダンテに導かれて、長い地獄巡りの旅をして来ました。地獄を脱出するまで残すところあと10段歌となりましたが、この先は、今まで以上の残虐な悪魔と残酷な刑罰を受けている重罪人に出会うことになります。 『地獄篇』第24歌を牧歌的序曲で開始することは、地獄の中で味わうひとときの安らぎになることでしょう。『神曲』には珍しい叙情詩的詩行なので、少し細かく解析しながら、ゆっくり鑑賞しましょう。


詩の詳説

 「太陽il sole)が宝瓶宮の下(sotto l'Aquario)」に位置する時節とは、1月の後半から2月の中旬の頃です。(下の「黄道12宮」の挿絵を参照)。その太陽が「髪(i crin)を和らげる(tempra)」とは、太陽光線が温かくなるという意味だと解釈されています。太陽の光線を髪の毛に喩えるのは、奇抜なものではありません。ウェルギリウスも『アエネイス』の中で「長髪のアポロが上空からアウソニアの戦列と町を見おろしていた(crinitus Apollo desuper Audonias acies urbemque videbat)9巻638~639」と描写しています。また「和らげる(tempra)」という動詞も、現代イタリア語では‘tempera’となり、その不定形は‘temperare’で「緩和する」というのが本来の意味です。それゆえに、夏から秋に向かう時節に使えば「涼しくなる」という意味になりますが、この第24歌の序曲では冬から春に向かう季節なのでも「温かくなる」という意味に解釈しなければなりません。
「夜が一日の半分の長さに老いる(le notti al mezzo dì sen(e) vanno)」とは、冬に間は昼よりも長かった夜が春分に近づくにつれて短くなっていく、という意味です。そして自然の気配は、まだ春爛漫ではないのですが「ちょっぴり若い年齢(giovanetto anno)」を感じさせる時節でした。明け方には「地表に降りた霜(la brina in su la terra)」は「彼女の白い姉の姿(l'imagine di sua sorella bianca)」すなわち〈雪〉を「模写します(assempra)」。この動詞‘assempra’(assemprareの現在・3人称単数形)は、ラテン語‘exemplare’を語源として作られた単語でのようですが、ほとんど使われることはないようです
 霜が雪のように地面を白く塗りつぶすのですが、寒さが和らいでいる時節ではすぐに解けてしまいます。それゆえに「彼女の筆の描き方(a la sua penna tempra)」では、「短時間しか続かない(poco dura)」のです。ここで使われている「描き方(tempra)」は、「テンペラ画法(tempera)」のことだと解釈することも可能です。中世からルネサンスに愛用された画法で、卵を混ぜた具材を使うことによって耐久性を持たせる技法です。ジョットやボッティチェリなどの作品はほとんどがテンペラ画法によって創作されれいます。



黄道12宮と季節
黄道12宮の宇宙図

黄道12宮の読み方


 地動説は、太陽に立って見渡した宇宙の光景ですが、天動説は地球にいる私たちが肉眼で見ることのできる宇宙です。夜空に規則的な動きをする12の星座を見て、黄道を想定しました。その上に太陽が来ると見えなくなる星座があるので、太陽はその上に位置していると考えました。毎年、1月20日ごろになると宝瓶宮(水瓶座)が夜空には見えなくなりまりましたので、日中に太陽がその前に存在しているからだと考えました。そして宝瓶宮の上に定着した状態で太陽は黄道の回転に乗って動き、地球の上を東から西に向けて朝から夕までの時間をかけて移動します。そして元の位置に戻る時は、一日だけ手前すなわち1月21日の位置に止まり、また黄道の動きに沿って回転します。そして回転する位置は、春分と秋分の時は赤道上を通ります。当然のことですが、太陽が宝瓶宮に位置している時は赤道よりも南をまわり、人馬宮(射手座)か磨羯宮(山羊座)にある冬至の時が最も南側をまわります。そして太陽が白羊宮(牡羊座)から徐々に北の方に回転の道を移動して、双児宮(双子座)か巨蟹宮(蟹座)にある夏至の日が、最も北側をまわることになります。


  晩冬か初春のころ、「若い村人(villanello)」が、「飼料が乏しくなった(la roba manca)」ので、「起きて、見に出ます(si leva, guarda)」と、「野原がすっかり白くなっているのが見えます(vede la campagna biancheggiar tutta)」。ここで「飼料」と訳しました‘roba’は、家畜の飼料だけでなく、人間の食料の意味もありますので、自分たちの食べ物も取りに出たとも解釈できます。とにかく外へ出ると、一面が霜でまっ白に覆われていたのでしょう。そのために「腰をたたいて(si batte l'anca)、家の中に引き返します(ritorna in casa)」。「腰」と訳しました‘anca’は「お尻」か「太もも」のことかも知れません。古代には「絶望する」時は「腿を叩く(ラテン語ではpercutere femur)」という仕草をしたと言われています。
 がっかりした村人は、家の中で「あちらこちらと(qua e là)不平をこぼします(si lagna)。それは「何をして良いのか分からない惨めな男のようです(come 'l tapin che non sa che si faccia)11」。『地獄篇』第24歌の冒頭の抒情詩的詩文は、先導者ウェルギリウスの心理状態の変化を喩えるための直喩表現ですが、この11行目の「何をして・・・惨めな男のよう」の1行は、直喩表現を喩えた直喩です。直喩を直喩で喩える技法は極めて珍しいものです。
 春の雪でも早く解けるのに、ましてやその妹の春の霜ですから、陽が昇ればたちまち消えてしまいます。村人は「しばらくして立ち戻ります(poi riede)」。「僅かばかりの間にin poco d'ora)」「世界が表情を変えているのを見て(veggendo 'l mondo aver cangiata faccia)」村人は「希望を取り戻します(la speranza ringavagna)」。この詩句の‘veggendo’は、古代イタリア語で、現代語では‘vedendo’の方を使います。その単語は、「見る」の意味を持つ動詞‘vedere’のジェルンディオ(gerundio)という語形です。希望を取り戻したので、村人は「彼の杖を手に持って(prende suo vincastro)」「牧草をたべさせるために((a pascer)子羊たちを野外へ連れ出します(fuor le pecorelle caccia)」。
 以上の15行からなる牧歌的描写が、次の16行目から始まる本筋を導入するための直喩表現になっています。その先導者(lo mastro)ウェルギリウスが「顔面を曇らせる(turbar la fronte)」のを見たとき、彼は「私を途方にくれさせました(mi fece sbigottir)」。しかしまた、上の直喩の描写にある、地表の霜が消えて村人が希望を取り戻すように、ダンテも「傷口に膏薬がはられました(al mal giunse lo 'mpiastro)」。すなわち恐怖は和らぎました。



『神曲』を原文で体験してみましょう


IN QUELLA parte del giovanetto anno
イン クェッラ パルテ デル ジョヴァネット アンノ
 che 'l sole i crin sotto l'Aquario tempra
 ケル ソーレ イ クリン ソット ラクァリオ テンプラ
 e già le notti al mezzo dì sen vanno,
 エ ヂャ レ ノッティ アル メッツォ ディ セン ヴァンノ
quando la brina in su la terra assempra
クァンド ラ ブリーナ イン ス ラ テッラ アセンプラ
 l'imagine di sua sorella bianca,
 リマヂィーネ ディ スア ソレッラ ビアンカ
 ma poco dura a la sua penna tempra,
 マ ポーコ デゥーラ ア ラ スア ペンナ テンプラ
lo villanello a cui la roba manca,
ロ ヴィッラネッロ ア クィ ラ ローバ マンカ
 si leva, e guarda, e vede la campagna
 シ レーヴァ エ グァルダ エ ヴェーデ ラ カンパーニァ
 biancheggiar tutta; ond' ei si batte l'anca,
 ビアンケッヂャール ツッタ オンデーイ シ バッテ ランカ
ritorna in casa, e qua e là si lagna,
リトルナ イン カーサ エ クァ エ ラ シ ラーニァ
 come 'l tapin che non sa che si faccia;
 コーメル タピン ケ ノン サ ケ シ ファッチャ
 poi riede, e la speranza ringavagna,
 ポーイ リエーデ エ ラ スペランツァ リンガヴァーニャ
veggendo 'l mondo aver cangiata faccia
ヴェッヂェンドル モンド アヴェール カンヂャータ ファッチャ
 in poco d'ora, e prende suo vincastro
 イン ポーコ ドーラ エ プレンデ スオ ヴィンカストロ
 e fuor le pecorelle a pascer caccia.
 エ フオール レ ペコレッレ ア パスケル カッチャ


用語解説

1行目
quella: 「あの」指示代名詞quelloの女性形。
parte:女名「部分」。
del:「~の」前置詞di+定冠詞il。
giovanetto:「とても若い」。giovane「若い」の変意形容詞。イタリア語では、名詞、形容詞、副詞の語尾に接尾辞を付けて、意味を強めることがあります。たとえば、イタリア語で「女の子」は「ラガッツァ(ragazza)」ですが、「大柄な女の子」は「ラガッツォーナ(ragazzona)」と言い、「小柄な女の子」は「ラガッツィーナ(ragazzina)」と言ったりします。
anno:「年(英語のyear)」。

2行目
che:「・・・する時」副詞的関係代名詞。
'l sole:=il sole「太陽」。
i crin(i):「頭髪」。il crineの複数形。
sotto l'Aquario:「水瓶座の下で」。sotto:前置詞「・・・の下で」。 l'Aquario:「水瓶座・宝瓶宮」。ラテン語・英語では〈Aquarius〉。
tempra:現代イタリア語では〈tempera〉:temperare「和らげる・緩和する」という意味と「鋭利にする・とがらせる」という意味の両方があります。

3行目
e:=英語の〈and〉。
già:副詞「すでに」。
le notti:「夜」。la notteの複数形。
al:=a+il。前置詞(a)と定冠詞男性単数(il)の結合。
al mezzo dì:「半分の(mezzo)一日(dì)」=「一日の半分」
sen vanno:seneは形容詞で「老いた」。
      vannoは不規則変化の動詞andare(英語のto go)の現在三人称単数形
     andare seneは「衰退する」、「消える」。

4行目
quando:接続詞「・・・の時」。英語のwhen。
la brina:「霜」。
in su:inは「中に」、suは「上に」。in suで「・・・の上に」。
la terra:「地球、地面、陸地」。
assempra:動詞assemprareの現在三人称単数形。現代イタリア語では、assembrareと綴ることが普通。ただし、ダンテはラテン語のexemplareの意味で使っているとする解釈が主流です。そのラテン語の意味は「模写する・真似る」で、英語の‘to copy’です。

5行目
l'imagine:「姿・像」。現代イタリア語では‘immagine’と綴る。
di:前置詞「・・・の」。
sua:所有形容詞 ‘suo’の女性形「彼の・彼女の・それの」。イタリア語の所有形容詞の性と数は、それが修飾する名詞の性と数に一致します。それが修飾する名詞はその後の‘sorella’です。
sorella:女性名詞で「姉妹」。
bianca:「白い」。biancoの女性形容詞単数形。

6行目
ma:接続詞「しかし」、英語ほ‘but’。
poco:ここでは副詞「少ししか・・・でない」。形容詞でも使われて「少数の・少量の・僅かな」。
dura:動詞durareの現在三人称単数形、意味は「続く・持続する」。
penna:「筆記用具・ペン・羽根・毛筆」。
a la sua penna:「彼女の毛筆による」。‘a’は、方法・手段を表す前置詞。
tempra:この単語の意味解釈は定着していません。英語の‘temper’と同義で解釈する人が多数派だと言えます。「勢い」や「定着」、「研磨」などの意味で解釈します。著名なダンテ学者シングルトン(C.S. Singleton)先生は、‘the temper of his pen lasts but short while’と翻訳しています。我が国の二大ダンテ学者を参照しておきましょう。平川祐弘先生は「その筆のすさびはわずかの間しか続かない」と訳し、野上素一先生は「鵞ペンがつづかず削り直さねばならない」と訳しています。野上訳の根拠は、むかし筆記用具にガチョウの羽根を削って使っていたので‘tempra’には「ガチョウの羽根を削ること」という意味があったことです。現代でも「鉛筆削り」のことを‘temperino’というのは、その時の名残です。私は、‘tempera’と解釈して、「彼女の筆によるテンペラ画法では束の間しか続かない」と訳しております。

7行目
lo villanello:‘villano(村人・農夫)’の変意名詞で、「若い農夫、田舎の若者」という意味になります。因みに「田舎の娘」は‘villanella’となります。
‘lo’は定冠詞。現代イタリア語では、男性単数名詞に衝いてますので‘il’を使うのが正式です。
a cui:前置詞のついた関係代名詞。「その者にとって」。
la roba:「家畜用の飼料、飼い葉」の他に「人間の食料」のことも指す。
manca:動詞‘mancare’の現在三人称単数形。「不足する、~がなくなる」。

8行目
si leva:‘levare(上げる)’という意味です。再帰代名詞‘si’を付けて、‘levarsiまたはsi levare’とすることにより「自分自身を上げる」すなわち「起き上がる」という意味になります。その用法の動詞を「本質的再帰動詞」と呼びます。
guarda:‘guardare(見る)’の現在三人称単数形。
vede:‘vedere(見える)’の現代三人称単数形。
la campagna:「原野、田畑、田園」

9行目
biancheggiar(e):「白くなる」。動詞の不定形。
tutta:形容詞‘tutto’の女性形。‘la campagna’を指しているので性数が一致して女性形になっています。
ond(e):副詞「そのために」。
ei:人称代名詞主格単数「彼は」。現代語では‘egli’または‘lui’を使う。
si batte:‘battere(たたく、打つ)’の現在三人称単数形。
 ‘si’は再帰代名詞。‘battere l'anca’「太ももをたたく」だけでは、誰の「太もも」か分かりません。そのためにイタリア語では再帰代名詞を使って明確にします。‘si batte l'anca’とすることにより「彼は自分の太ももをたたく」という意味になります。この用法の動詞を「形式的再帰動詞」と呼びます。
l'anca:「お尻・太もも、腰」

10行目
ritorna:‘ritornare(戻る、帰る)’現在三人称単数形。
in casa:「家の中へ」。
qua e là:「あちこちで」。英語の‘here and there’:フランス語の‘çà et là’。
si lagna:「不平を言う」。代名動詞‘lagnarsi’(=‘si lagnare’)の現在三人称単数形。
   ‘lagnare’とい動詞は単独では使われることがなくなり、再帰代名詞‘si’を必ず伴います。この用法の動詞を「代名動詞」と呼びます。

11行目
come:「・・・のように」。英文法では‘like ・・・’は前置詞と考えますが、イタリア語文法では‘come ・・・’は副詞と考えるようです。
il tapin(o):「惨めな男、不運な男」。「不運な女」は‘la tapina’。
che non sa:‘che’は関係代名詞。英語の‘who’。
  ‘sa’は、不規則動詞「sapere(知る)」の現在三人称単数形。
che si faccia:‘che’は疑問代名詞。英語の‘what’。
      ‘faccia’は「fare(行う、なる、作る)」の接続法現在三人称単数形。ただし、接続法は、一人称も二人称も同形です。
‘si’は、再帰代名詞で、主語を強調する機能を持ちます。ゆえに、‘che si faccia’は「自分自身では何をして良いのか(分からない)」という意味になるでしょう。

12行目
poi:副詞「しばらくして、その後に」。
riede:‘riedereまたはredire(戻る)’の現在三人称単数形。
la speranza:「希望」。
ringavagna:‘ringavagnare(取り戻す)’の現在三人称単数形。この動詞は現代イタリア語では廃語になっていて使われることはありません。北イタリアでは「かご、バスケット」のことを‘gavagno’と言っていたようで、現代では‘cavagno’と言うようです。‘ringavagnare’という動詞は、本来は「かごに戻す」という意味であったということになります。

13行目
veggendo:「見ているので」、「見ながら」。動詞‘vedere(見る)’のジェルンディオ(gerundio)の語形です。現代イタリア語では‘vedendo’と綴ります。イタリア語文法のジェルンディオとは、名称が示すように英語の動名詞(gerund)に相当しますが、英文法の分詞構文のような文型を作るときに使いますので、現在分詞の機能も持っています。
il mondo:「世界、世間」。
aver(e) cangiata:「変化してしまっている」。‘cangiare(変化する)’の不定法の過去形です。イタリア語の不定法の過去形は、「avere(またはessere)+過去分詞」で作ります。過去分詞 cangiata は男性名詞mondoに性数格が一致して cangiatoとすべきですが、後の facciaに一致している。
faccia:「顔、顔つき、表情」

14行目
poco:不定代名詞「少量、少数、少しのもの」
ora:「時間、時刻」。
prende:‘prendere(持つ、手に取る)’の現在三人称単数形。
suo vincastro:「彼の杖」。‘vincastro’は「牧人が持つ柄の先が曲がった杖」。

15行目
fuor:副詞「外へ」。
le pecorelle:‘pecorella(子羊)’の複数形。‘pecora(羊)’の縮小または愛らしさを強調する「変意名詞」。
pascer(e):不定詞「牧草をたべさせる、牧場に放つ」。「前置詞‘a’+動詞の不定詞」は、目的「・・・するために」、原因「・・・して」、条件「・・・すると」などを表します。
caccia:‘cacciare(追い出す)’の現在三人称単数形。


平川祐弘訳の詩を鑑賞してください


 前に出した筆者の翻訳は、原詩の意味が分かるように散文体でなされています。平川祐弘先生の翻訳は詩として極めて優れた作品になっていますので、参考までに次に出しておきます。お口直しに、鑑賞してみてください。


新春の時節
 太陽は宝瓶宮の下に位置して日ざしも温かみをまし、
 夜の長さも次第次第に昼の長さに近づいてゆく、
そのころ霜が地面の上に
 その白い姉の〔雪〕化粧を真似てみせるが、
 その筆のすさびはわずかの間しか続かない。
乾草が足らなくて弱っている農夫が、
 朝起きて見わたすと、野原が一面
 真白になっている。やれやれと腰を叩いて、
家へ引き返し、家の中であちこち苦情をいって歩く、
 どうしたものかわからず途方に暮れた様子だ。
 それからまた外へふと出て見ると、たちまちの内に
外界の様子が一変している。それで希望が湧き、
 杖を取り出して、
 小羊たちを追って草を食ませに外へ出て行く。