先日の「豊臣秀吉がボロカスにいわれた

理由」投稿は、反響が大きかったです。😲

 

やはり秀吉は、多くの方にとって、

関心が高いということでしょうね。

 

このところ2回にわたり、

戦国時代の宣教師フロイス

書いた「日本史」のなかから、

織田信長

豊臣秀吉

についての論評を紹介しました。

 

 

 

両者とも、ボロカスにいわれてましたね。

 

今回は、明智光秀です。

 

昨年の大河ドラマ「麒麟がくる」では、

長谷川博己が熱演してました。😁

 

明智光秀は、本能寺で主君織田信長を

討ったということで、裏切り者の

レッテルを貼られてましたが、

実際はそうではなかった、

との評価が出てきてます。

 

「麒麟がくる」も、そのように

描かれてました。

 

1人の画像のようです

 

では、フロイスの論評は、いかよう

だったでしょうか?😎

 

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光秀と言えば、連歌や茶道に優れて

いたので、あたかも教養人のように

思われている。

 

しかし、フロイスの評価は、

「その才知、深慮、狡猾さにより

信長の寵愛を受けた」、

「裏切りや密会を好む」、

「刑を科するに残酷」、

「独裁的でもあった」

などと評価が芳しくない。💢

 

 フロイスは本能寺の変直前において、

信長が光秀を足蹴にしたとの

記述を残す。

 

しかし、その内容をつぶさに読んで

みると、密室で行われたこと、

秘密だったと書かれており、

世上の噂を単に書き留めたにすぎない。

 

「もはや悪口では・・・。

宣教師からボロカスに人格を批判された

戦国大名5選」

(渡邊大門)から

 

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やはり、ボロカスですね。

 

頭はいいけど、ずる賢く、

冷酷、独裁的な人間と評しています。

 

いかにも周りにいそうな、

いやなヤツです(苦笑)。😤

 

「麒麟がくる」の光秀とは、

真反対ですね。

 

光秀は信長と違い、キリスト教に対して、

寛容ではなかったようです。

 

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明智は悪魔とその偶像の大いなる友であり、

我らに対してはいたって冷淡であるばかりか

悪意をさえ抱いており、デウス(神)の

ことについてなんの愛情も有しない……

 

(「日本史」149~150頁)

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これではフロイスにボロカスにいわれても

いたしかたないですね。

 

フロイスはキリスト教布教の

ために信長に取りいろうとしたが、

光秀に邪魔されていた、

ということもあったのではないかとも

想像されます。

 

一方、光秀が治めた丹波ではどのような

評判だったのでしょうか?

 

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明智光秀の善政を語り継いだ丹波の

領民達は、「御霊さま」となった

光秀のために大祭を行っていること

からも、いかに慕われていた領主

だったかがうかがえます。😁

 

福知山では「福知山御霊大祭」

亀岡では「亀岡光秀まつり」

「ききょうの里」といったイベントが

今もなお開催されています。

 

(亀岡市観光協会「ぶらり亀岡」より)

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領民のことを思う、心優しい領主であった

ようです。

 

「麒麟がくる」の光秀も、これに沿った

描かれ方をされてましたね。

 

かようなまでに、

人間の評価というのは、

難しいものです。

 

また人は、立場、立場によって、まったく

逆の評価になるということです。

 

私たちも、人の評価をするときは、

気を付けなくてはいけませんね。😉

 

ところで、光秀といえば「本能寺の変」

ですが、日本の歴史でも大きな謎の

ひとつです。

 

なぜ光秀は、信長を討ったのか?

 

どう考えても勝算のないクーデターで

あり、不思議です・・・。

 

このテーマは長くなりそうなので、

次にいたします。😉

 

最後までお読みいただき、

ありがとうございます。

 

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