先日の「豊臣秀吉がボロカスにいわれた
理由」投稿は、反響が大きかったです。
やはり秀吉は、多くの方にとって、
関心が高いということでしょうね。
このところ2回にわたり、
戦国時代の宣教師フロイスが
書いた「日本史」のなかから、
織田信長
豊臣秀吉
についての論評を紹介しました。
両者とも、ボロカスにいわれてましたね。
今回は、明智光秀です。
昨年の大河ドラマ「麒麟がくる」では、
長谷川博己が熱演してました。
明智光秀は、本能寺で主君織田信長を
討ったということで、裏切り者の
レッテルを貼られてましたが、
実際はそうではなかった、
との評価が出てきてます。
「麒麟がくる」も、そのように
描かれてました。
では、フロイスの論評は、いかよう
だったでしょうか?
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光秀と言えば、連歌や茶道に優れて
いたので、あたかも教養人のように
思われている。
しかし、フロイスの評価は、
「その才知、深慮、狡猾さにより
信長の寵愛を受けた」、
「裏切りや密会を好む」、
「刑を科するに残酷」、
「独裁的でもあった」
などと評価が芳しくない。
フロイスは本能寺の変直前において、
信長が光秀を足蹴にしたとの
記述を残す。
しかし、その内容をつぶさに読んで
みると、密室で行われたこと、
秘密だったと書かれており、
世上の噂を単に書き留めたにすぎない。
「もはや悪口では・・・。
宣教師からボロカスに人格を批判された
戦国大名5選」
(渡邊大門)から
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やはり、ボロカスですね。
頭はいいけど、ずる賢く、
冷酷、独裁的な人間と評しています。
いかにも周りにいそうな、
いやなヤツです(苦笑)。
「麒麟がくる」の光秀とは、
真反対ですね。
光秀は信長と違い、キリスト教に対して、
寛容ではなかったようです。
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明智は悪魔とその偶像の大いなる友であり、
我らに対してはいたって冷淡であるばかりか
悪意をさえ抱いており、デウス(神)の
ことについてなんの愛情も有しない……
(「日本史」149~150頁)
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これではフロイスにボロカスにいわれても
いたしかたないですね。
フロイスはキリスト教布教の
ために信長に取りいろうとしたが、
光秀に邪魔されていた、
ということもあったのではないかとも
想像されます。
一方、光秀が治めた丹波ではどのような
評判だったのでしょうか?
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明智光秀の善政を語り継いだ丹波の
領民達は、「御霊さま」となった
光秀のために大祭を行っていること
からも、いかに慕われていた領主
だったかがうかがえます。
福知山では「福知山御霊大祭」、
亀岡では「亀岡光秀まつり」や
「ききょうの里」といったイベントが
今もなお開催されています。
(亀岡市観光協会「ぶらり亀岡」より)
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領民のことを思う、心優しい領主であった
ようです。
「麒麟がくる」の光秀も、これに沿った
描かれ方をされてましたね。
かようなまでに、
人間の評価というのは、
難しいものです。
また人は、立場、立場によって、まったく
逆の評価になるということです。
私たちも、人の評価をするときは、
気を付けなくてはいけませんね。
ところで、光秀といえば「本能寺の変」
ですが、日本の歴史でも大きな謎の
ひとつです。
なぜ光秀は、信長を討ったのか?
どう考えても勝算のないクーデターで
あり、不思議です・・・。
このテーマは長くなりそうなので、
次にいたします。
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