ポルトガルの宣教師フロイスを知っていますか?

 

イエズス会士として来日、織田信長や豊臣秀吉

と会見したことで知られてます。

 

著書の「日本史」は、戦国時代同時代史の

きわめて貴重な資料です。😎

 

そのフロイスに関する記事です。

 

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 フロイスの信長に対する評価は、愛憎半ばで

ある。

 

「きわめて稀に見る優秀な人物」、

「大いなる賢明さをもって天下を統治した者」

 

という言葉は、キリスト教の布教を許可した

信長への最大の賛辞である。

 

 一方、信長は禅宗、法華宗を信仰しており、

それがフロイスにとって我慢ならなかった。💢

 

フロイスが信長が神になろうとしたこと、

本能寺の変後に信長の死体が見つからなかった

ことを批判して書いているのは、天罰が当たった

とでも言いたげである。

 

 信長の人物像についても

「自分以外の全ての者を見下しており上から物を話す」、

「家臣の進言などはほぼ聞き入れず、

それでいて決断力に優れ、多くの者が

絶対君主かのように彼を畏れ従っている」

とフロイスは独裁者ぶりを強調する。😠

 

 信長はキリスト教への良き理解者だったが、

十分な支援が得られなかったので、

フロイスは許せなかったのだろう。

 

「もはや悪口では・・・。宣教師からボロカスに

人格を批判された戦国大名5選」

(渡邊大門)から

 

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信長は神になろうとした、など

たいへん興味深いですね。

 

なにせ実際に信長に会った人物の記述ですから、

信憑性が高いです。

 

ところで、

信長はキリスト教の布教を許可したのに、

なぜ、フロイスが批判的なのだろうか、

という疑問がありましたが、その理由がよく

わかります。

 

ようは、

仏教をも信仰していたこと、

そして

神になろうとしたことが、

許せなかったということでしょう。😌

 

フロイスが信長に批判的だった理由は、

以上のとおりですが、これって日常の私たちの

人間関係にも同じことがいえないでしょうか?

 

どういうことかというと、

 

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自分の信条に合わない人は、

好きになれないどころか、

むしろ嫌いになる。

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ということです。

 

たとえばある人(Aさんとします)がいて、

Aさんがあなたにいろいろして

くれているとします。

 

本来なら、Aさんを好きになり、感謝しても

いいはずが、どうも好きになれない。

 

なぜかといえば、Aさんが、

自分の好きなアイドルグループのことを

批判していた、

とか、

自分の趣味の車を、バカにしていた

などです。😡

 

こういうことって、よくないでしょうか?

 

逆にこの心理を利用すれば、

Aさんに気に入ってもらいたければ、

Aさんの好きなものをほめる、

とか

同じ趣味をもって楽しむことが有効

ということになります。😁

 

このように考えると、人間の好き嫌いというのは、

はなはだ主観的というか、あいまいなものだ

ともいえます。

 

それはさておき、日常の人間関係は、とても

大事なものです。

 

おべっかを使えとまではいいませんが、

こうした心理も活用しつつ、

気持ちよくやっていきたいものですね。

 

今日の話が、少しでもあなたのお役に立てれば

幸いです。

コメント・感想などいただけると、うれしいです!

 

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