ポルトガルの宣教師フロイスを知っていますか?
イエズス会士として来日、織田信長や豊臣秀吉ら
と会見したことで知られてます。
著書の「日本史」は、戦国時代同時代史の
きわめて貴重な資料です。
そのフロイスに関する記事です。
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フロイスの信長に対する評価は、愛憎半ばで
ある。
「きわめて稀に見る優秀な人物」、
「大いなる賢明さをもって天下を統治した者」
という言葉は、キリスト教の布教を許可した
信長への最大の賛辞である。
一方、信長は禅宗、法華宗を信仰しており、
それがフロイスにとって我慢ならなかった。
フロイスが信長が神になろうとしたこと、
本能寺の変後に信長の死体が見つからなかった
ことを批判して書いているのは、天罰が当たった
とでも言いたげである。
信長の人物像についても
「自分以外の全ての者を見下しており上から物を話す」、
「家臣の進言などはほぼ聞き入れず、
それでいて決断力に優れ、多くの者が
絶対君主かのように彼を畏れ従っている」
とフロイスは独裁者ぶりを強調する。
信長はキリスト教への良き理解者だったが、
十分な支援が得られなかったので、
フロイスは許せなかったのだろう。
「もはや悪口では・・・。宣教師からボロカスに
人格を批判された戦国大名5選」
(渡邊大門)から
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信長は神になろうとした、など
たいへん興味深いですね。
なにせ実際に信長に会った人物の記述ですから、
信憑性が高いです。
ところで、
信長はキリスト教の布教を許可したのに、
なぜ、フロイスが批判的なのだろうか、
という疑問がありましたが、その理由がよく
わかります。
ようは、
仏教をも信仰していたこと、
そして
神になろうとしたことが、
許せなかったということでしょう。
フロイスが信長に批判的だった理由は、
以上のとおりですが、これって日常の私たちの
人間関係にも同じことがいえないでしょうか?
どういうことかというと、
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自分の信条に合わない人は、
好きになれないどころか、
むしろ嫌いになる。
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ということです。
たとえばある人(Aさんとします)がいて、
Aさんがあなたにいろいろして
くれているとします。
本来なら、Aさんを好きになり、感謝しても
いいはずが、どうも好きになれない。
なぜかといえば、Aさんが、
自分の好きなアイドルグループのことを
批判していた、
とか、
自分の趣味の車を、バカにしていた
などです。
こういうことって、よくないでしょうか?
逆にこの心理を利用すれば、
Aさんに気に入ってもらいたければ、
Aさんの好きなものをほめる、
とか
同じ趣味をもって楽しむことが有効
ということになります。
このように考えると、人間の好き嫌いというのは、
はなはだ主観的というか、あいまいなものだ
ともいえます。
それはさておき、日常の人間関係は、とても
大事なものです。
おべっかを使えとまではいいませんが、
こうした心理も活用しつつ、
気持ちよくやっていきたいものですね。
今日の話が、少しでもあなたのお役に立てれば
幸いです。
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