2025年2月22日(土)は東京都調布市の深大寺城の見学会がありました。日本城郭史学会主催の見学会です。
今回の見学会は調布市郷土博物館学芸員の立川明子さんが案内してくれました。
深大寺城(赤色立体地図から)
当日は調布駅に集合して、バスで深大寺に移動します。神代水生植物園で立川さんと合流して見学会は始まりました。
深大寺城見学会の一風景
深大寺城の北側は当時は湿地帯で、北側から攻めにくい天然の要害になっていました。その湿地帯は今は水生植物園になっています。深大寺周辺は湧き水が多くあり、湧き水はせせらぎとなり川が流れています。今でも水資源が豊富な場所です
神代水生植物園
神代水生植物園を通って深大寺城を目指します。東側から深大寺城に入り、主郭東側の腰曲輪に入りました。この曲輪は南北の細長く、土塁や空堀等の遺構はありません。公園化に伴い多少の破壊改変はありますが腰曲輪の形状をよく残しています。
神代水生植物園
深大寺城は天文6年(1537)には使用されなくなり、戦国前期の城跡として評価されて平成19年(2007)に国指定史跡になりました。江戸時代の軍記物から戦国時代前半に扇谷上杉家によって築城されたと言われてきました。最近では当時の文献から長享から延徳(1490年前後)にかけての第一期と天文6年(1537)の第二期に使用されていたことが分かりました。
主郭東側腰曲輪
腰曲輪の後は主郭を目指します。 主郭は南側と北側の虎口があり、現在の遊歩道とは城内に入るルートは違っていたみたいです。
深大寺城主郭
ここは一番奥にある曲輪なので主郭に相当しますが、建物跡は二棟しか確認されていません。どういう使い方をされたか謎の曲輪でした。
二の郭土橋と空堀
二の郭は一時期テニスコートとして使用されました。当時は土塁は崩されていましたが、史跡として整備される時に土塁も復元されました。復元された土塁は今でもあまり草木は生えていません。
二の郭西側の復元土塁
二の郭の西側には三の郭があります。二つの曲輪は隣接していますが、二の郭は植物園敷地、三の郭は住宅地なので直接行く事は出来ません。一度植物園を出てから三の郭を目指します。
三の郭北側の土塁跡
三の郭は住宅地になっていて開発されていますが、それでも断片的に城の遺構が残っています。
三ノ郭南側の竪堀跡
二の郭南側の馬出状の曲輪
三ノ郭西側
見学会終了後、解散しましたが、少し時間があったので有志で城の名前の由来となった深大寺へ行きました。深大寺も立川さんが案内してくれました。
深大寺
深大寺は天平5年(733年)に開創されたと言われています。東京では浅草寺に次ぐ古刹です。平安時代に天台宗に改宗して現在に至ります。江戸時代の2回の火事で建物の多くは焼失されました。その後再建されます。国宝に指定された銅造釈迦如来倚像を見ることができます。
深大寺の常香炉
深大寺の常香炉は火災で少し焼けた箇所と大丈夫だったか箇所があり、対比が面白かったです。本堂方面に向けた箇所は少し焼けて細かい箇所がわかりませんが、逆側は火災の影響はなく原形を留めています。
深大寺の常香炉2
城郭史学会では深大寺城は1999年以来の26年ぶりの見学会でした。見学会当日は風が吹いてきて寒くなった時もありましたが、一時の寒さ以外は特に問題のない天気でした。城内から見逃しがちな住宅地となっている三ノ郭跡、名前の由来となり、関係深かった深大寺も見学できて満足な一日でした。