5月25日(土)は東京都青梅市にある勝沼城の見学会がありました。日本城郭史学会主催の見学会です。今回の見学会は青梅市教育委員会の伊藤博司さんが案内してくれました。

 今回の見学会は勝沼城だけではなく、勝沼城主三田氏の菩提寺の天寧寺や城周辺のスポットを見学します。当日は最寄り駅東青梅駅に集合して、途中のスポットを寄りながら勝沼城に向かいます。

 

勝沼城遠景

 

勝沼城見学会の一景

 

 今でも青梅街道沿いに勝沼の町名が残っています。青梅街道は武蔵台地の北辺を通っています。かつては少し青梅側に行くと宿場街があり、東京側に進むと街道は二つに分岐していて右は青梅街道、左は入間方面に行く道になっています。今では区画整理で入間方面の道は途中で途切れています。
 師岡城は勝沼城の別名で今でも師岡の町名は青梅市に残っています。

 

青梅街道(旧道)

 

 城に行く途中に霞川が市街を流れています。この霞川は下流で入間川、荒川に合流します。青梅市は多摩川が横切って流れているので多摩川に印象が強いですが、多摩川からそれほど離れていない場所に荒川水系の川が流れています。青梅市は多摩川と荒川の分水嶺でもあります

 

霞川

 

 青梅市内の霞川沿いには雨堤の地名があります。ここで3本の流れが合流して霞川を形成しています。

 

霞川合流点

 

 城の南側にある農林高校の演習林からは勝沼城がよく見えます。勝沼城を紹介する写真はこの周辺から撮ることが多いとの事でした。

 勝沼城は青梅周辺の国人領主三田氏の居城です。三田氏は平将門の末裔を称しましたが詳細は不明です。

 

演習林越しに見える勝沼城

 

 戦国時代、天文年間半ば(1540年代)三田氏は後北条氏の勢力が強くなると後北条氏に従います。永禄3年(1560)上杉謙信の関東侵攻時は謙信に従います。謙信が越後に戻ると後北条氏が反撃して三田氏を攻撃します。永禄4年または6年に三田氏最後の当主綱秀は勝沼城から辛垣城に移り抵抗しますが、内応もあり落城して綱秀も自刃します。三田氏の一族は残りますが、青梅の国人領主三田氏はこれで事実上滅亡します。

 

 

勝沼城東側曲輪

 

 勝沼城南東の麓にある妙光院から城内に入ります。四の丸相当の曲輪4は現在は墓地と駐車場なっています。曲輪4の東側には空堀があったみたいですが、現在は道路になっていて分かりませんでした。

 三の丸曲輪は墓地になっていますが、大きな破壊はなく曲輪の旧状が残っています。三の丸南側には空堀、虎口、馬出があります。

 

三の丸南の馬出

 

 三田氏滅亡後に後北条氏は勝沼城を改修していますが、詳細は不明です。天正18年(1590)の豊臣秀吉の関東平定より前に勝沼城は廃城となったみたいです。

 南曲輪からは見晴らしがよくて青梅市街地がよく見えます。天気がいいと南東12キロにある八王子市の滝山城の狼煙が見えるとの事でした。

 

勝沼城から見える青梅市街地

 勝沼城は城内の最高所に本丸があり、本丸北西に二の丸、本丸東側の一段低い場所に三の丸、三の丸東側の一段低い場所に四の丸の曲輪があります。

 本丸は今でも断片的に土塁が残っていますが、当時は土塁に囲まれていたのではと思われます。

 

本丸北側土塁

 

 本丸の北西には空堀を挟んで二の丸があります。二ノ丸は断片的ですが土塁が残っています。北西部分は櫓台規模の土塁があります。

 

二の丸櫓台

 

 北西より勝沼城を出て天寧寺に向かいます。勝沼城の北東にあり、天寧寺は秩父に続く道の入口にあります。天寧寺は曹洞宗の名刹で文亀年間(1501~1504)に三田弾正政家が再興します。天寧寺の入口にある総門は格式高い四脚門の冠木門です。

 

天寧寺総門

 

 天寧寺は都内で唯一の七堂伽藍の配置をした寺院で境内全体が東京都指定史跡となっています。七堂伽藍は禅宗の場合で山門・仏殿・法堂・庫院・僧堂・浴司・東司になります。

 

天寧寺山門

 

 今回の見学会では法堂に入る事ができ、お寺の方からお話も聞けて、通常は非公開の文化財を見学出来ました。法堂の裏側には霞ヶ池があり霞川の源流の一つになっています。

 

天寧寺境内の霞池

 

 天寧寺銅鐘は大永元年(1521)に鋳造されて今でも現存して見学する事が出来ます。戦時中の金属供出にも免れた貴重な文化財で国指定重要美術品になっています。鐘には「大檀那平氏朝臣将門之後胤三田弾正忠政定刻鐫大工源定次 大永元年辛巳孟冬十日」と刻印されています。

 

天寧寺境内

 天寧寺を出て、東青梅駅に向かいます。途中のスポットを通り東青梅駅で見学会は解散になりました。

 今回の見学会は城だけではなく、三田氏縁の天寧寺も見学できました。貴重な文化財も見ることができました。城跡だけではなく市街地にも戦国時代や近世の名残があることが分かる見学会でした。