2024年4月27日(土)は日本城郭史学会で総会・大会が開催されました。これまで通りに今年も4月後半に開催されていました。

 今回の会場は去年と同じ板橋区のグリーンカレッジホールです。12月のセミナーと同じ会場です。

 

熊本城天守と本丸御殿

 

 午前は史学会会員が集まり総会が開催されました。前年度の活動の確認、今年度の予定を発表して総会は終わりました。

 お昼休憩をはさんで午後からは大会です。こちらは会員以外の一般の人も参加できます。
 今回のテーマは「名築城家と言われる武将たち」です。3人の方を講師に招いて3人の武将と築城をテーマにしてお話しされます。最初は熊本城顕彰会理事の鶴嶋俊彦さんが「加藤清正の城づくり」について発表されました。

 

 

鶴嶋 俊彦 氏(熊本城顕彰会理事)

 

 加藤清正は天正13年(1585)から15年にかけて豊臣氏の蔵入地代官や闕所地管理の役を務めています。当時は武勇を誇った武将というより財務官僚の役目を果たしました。。後に清正の官途名となる主計頭はこの時の経歴から付けられたのではとの事でした。

 

隈本古城跡

 中世の隈本城と加藤清正が築城した熊本城は別の場所にある城です。現在の天守がある場所から南西800Mほどの場所、第一高校の周辺に中世の隈本城がありました。

慶長4年(1599)加藤清正は現在の場所に新城として熊本城の築城を開始しました。 清正は朝鮮出兵時に半島に築城された倭城から築城術を学んだのではとの事でした。

 

熊本城二葉の石垣

 

 慶長12年(1607)に隈本から熊本と改名されました。

 宇土櫓は築城当初の江戸時代は平左衛門丸櫓と呼ばれていました。清正の重臣・加藤平左衛門が管理していたことからこの名が付きました。江戸時代後期からは宇土櫓と呼ばれました。

 

宇土櫓と高石垣

 

 清正は熊本城築城だけでなく、江戸城、名古屋城の普請もしました。名古屋城には清正像が城内にあります。

 清正死後の時点では小天守はありませんでした。寛永9年(1633)の細川氏が熊本城に入った後も熊本城の改修は継続されて現在の熊本城となりました。

 

名古屋城にある加藤清正像

 

 次は三重大学特任教授の藤田達生さんが藤堂高虎の都市プランの発表をされました。

 

今治城と藤堂高虎像

 

 近江出身の藤堂高虎は浅井氏、阿閉氏、津田氏に仕えるも長続きせず、豊臣秀吉の弟秀長(大和大納言)に仕えます。主君に恵まれた高虎はここで才覚を発揮します。

 

藤田 達生 氏(三重大学特任教授)

 

 三重県熊野市の赤木城は大和大納言家に仕えた藤堂高虎が築城に初めて関わった城です。今でも石垣がよく残っています。その後の高虎の築城した城と違い、城下町はありませんでした。

 

赤木城

 大和大納言家断絶後は高虎は一時出家するも秀吉に召還されて伊予宇和島の大名となります。関ヶ原の軍功で伊予20万石に加増されて今治城を改修します。この時に層塔型の天守を築きます。今治城の鉄御門の造りは津城の大手門に似ています。今治城天守は解体されて丹波亀山城に移築されました。

 

今治城

 

 高虎の城造りは築城スピードが早いのが特徴でした。外観を早く造り、中身は後からしっかり造りました。

 津城改修時は伊勢街道は城に西側を通っていたが、北側に街道を変更します。安濃津の港を津に移します。伊賀上野城も同じように城近くの街道の位置を変えています。高虎は城造りと一緒に城下町も大きく改修しています。

 

 

伊賀上野城

 

 高虎と朝廷との関係についてのお話もありました。大和大納言家時代に朝廷とのつながりがあり、その後もそれをいかしました。

 有名な話では元和6年(1620)徳川秀忠の娘和子が後水尾天皇に入内するときに高虎が露払い役を務めて尽力しています。

 

津城

 

 次は中津市歴史博物の浦井直幸さんが豊前統治時代の黒田官兵衛の城郭の発表をされました。

 

浦井 直幸 氏(中津市歴史博物館副主任研究員)

 

中津城模擬天守

 


 中津城と高森城は国人一揆平定後の天正16年(1588)以降に築城されます。中津城は黒田氏時代に天守があったかは不明です。天正年間後期の官兵衛時代の石垣が残りますが、算木積みはまだ未発達でした。黒田氏時代と細川氏時代の石垣が見比べる事が出来る場所が中津城にあります。

 

中津城石垣(左が細川時代、右が黒田時代の石垣)

 

一ッ戸城本丸

 

 一ッ戸城は官兵衛が豊前に入ると当時の城主中間統胤は官兵衛に従います。統胤は黒田姓を与えられてそのまま一ッ戸城に入りました。細川時代に総石垣の城に改修されます。遺構がよく残る城ですが、黒田氏時代の遺構は少ないです。

 他にも平田城、矢部城山城、上伊藤田城、清水村山城、光岡城を取り上げて解説されました。

 

一ッ戸城石垣

 

 今回取り上げた城は西日本が多かったです。織豊期から近世の石垣を使った城を主に取り上げました。全国的に有名な城からあまり知られていない隠れた名城が上げられました。 加藤清正、藤堂高虎、黒田官兵衛の三人の有名武将ですが、専門家から改めて話を聞くと意外な事実が分かりました。