韓国の歴史認識とは全て嘘、捏造によるでっちあげである(その3)―韓国の反日政策(その3) | 日本人の進路

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左翼全体主義(共産主義)国家化が進む日本。マスコミはどこを向いても左翼ばかり。これでは日本国民が洗脳されてしまうのはくやしいけどどうしようもない。ただあきらめてしまったら日本の明日はない。日本の中、露、朝への属国化が現実のものとなってくる。

韓国の歴史認識とは全て嘘、捏造によるでっちあげである(その3)―韓国の反日政策(その3)







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韓国の歴史認識とは全て嘘、捏造によるでっちあげである(その3)―韓国の反日政策(その3)


テーマ:

 












韓国の反日教育 .
http://www.youtube.com/watch?v=obOwFALXtZ8









.韓国が反日のワケ .
http://www.youtube.com/watch?v=iVUMU1xTGBk










.韓国~反日の理由~ 한국∼반일의 이유∼ .
http://www.youtube.com/watch?v=APOgZropeIs


















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韓国はなぜ反日か より

http://peachy.xii.jp/korea/korea2.html


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韓国人はなぜ反日か?


まず一つに、 『教育のせい』 である。

では、
  “なぜ”韓国では反日教育をするのか? 


それは、 韓国にとってそれがどうしても『必要だから』 である。
 
 
さて、韓国にとって、“なぜ”反日が必要なのだろうか。



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 ★韓国の事情 『惨めな属国だった歴史を隠したい』  

 
世界で知られるように、朝鮮はずっと中国の『属国』だった。

記録や物的証拠も国内外に数え切れないほど残っており、留学経験のある朝鮮人にも
自ら属国であったことを認めている者もいる。そもそも韓国の古い国旗にまで
「大清国属(清=中国)」と書いてあったのだから属国だったことは否定しようがない。


しかし韓国は国家レベルで「属国だった過去」を消し去りたかった。

古い国旗が発見された時も、韓国国内のニュースでは「大清国属」という
文字をカットして報道したほどである。


実はこの韓国の感情的問題は「反日」に密接な関係がある。

 
  


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まず、朝鮮と清(中国)がどの程度の従属関係だったか。

朝鮮というのは、中国の属国の中でも琉球(現在の沖縄)よりも低い地位だった。




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そもそも、中国の属邦の中でも朝鮮の地位は最も低く、
下国のなかの下国であった。

天朝の朝賀の席では、千官が赤色の礼服を着ていたのに対し、
朝鮮の使臣だけは異色の丸首の衣である。

また、琉球の使臣は籠に乗って宮廷に入るのに対し、
朝鮮の使臣は籠に乗ることを禁じられていたことが
「渓陰漫筆」に書かれている。

そして、李朝時代の臣民は琉球以下の扱いを受けたと嘆いている。

         (黄文雄『韓国は日本人が作った』徳間書店)


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服装も違ったし、籠にも乗れなかった。
身分が「最も低い」のだからしかたない。


身分の低さは朝鮮がどんな扱いを受けていたかを見ればより明白になる。





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 ・朝鮮国王は清の皇帝によって任命される。
・朝鮮国内の事件は全て皇帝に報告しなければならない。
・朝鮮国王は清の使節をソウル城門まで出迎えなければならない。
・朝鮮国王の地位は、清国の廷臣よりも下。
・朝鮮政府には、貨幣の鋳造権すら与えられてない。
・朝鮮政府には清国への食糧、兵士提供の要求権もない。
・朝鮮は清国に細かく定められた貢品を出す以外に、毎年、牛3000頭、
 馬3000頭、各地の美女3000人を選り抜いて貢がなければならない。



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朝鮮国王が宗主国の清国皇帝に奉呈した貢文に気に入らない言葉が
たった一つあっただけで、朝鮮国王は銀1万両を罰金として払った上に、
年貢への見返りを3年間停止するという厳しい処罰を受けている。



朝鮮国内にもその名残がある。

現在ソウルの城門のあった場所には「独立門」というものが建てられたが、
昔その場所には『迎恩門』という門があり、それは「朝鮮王が9回頭を
地面に叩きつけて擦りつけ、ひれ伏して清の使者を迎える」という
屈辱的な隷属の象徴の門だった。この迎恩門で『朝鮮の国王』が
土下座して出迎えたのは、中国の「王」ではなく中国の『使者』である。

朝鮮はそれほどまでに国家として“下”にみられていたのだ。


この1000年に渡る奴隷のごとき低い扱いは、
彼ら朝鮮民族の『民族気質』に深刻な影響を与えることになる。






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朝鮮民族の民族気質を簡単に説明するには、
朝鮮人の名前が「金(キム)」や「朴(パク)」などのように
ワンパターンになった理由を説明するのがわかりやすい。







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 1.朝鮮人は長い間中国の属国として低い身分にあったため、低い身分の者や
 貧困者、弱者、ひいては身障者などへの虐待を「下の者が下に見られるのは
 仕方のないこと、上の者が下の者を見下すのは当然のこと」と考える民族的
 傾向が定着していた。屈辱を「当然」と考えなければ精神的に乗り越えられない
 ほど、千年の隷属というのは長かった。

2.朝鮮は虐げられる者の反動として、より低い者を虐げる「貴族社会」が
 長く続いた。そのため、家系が悪ければ努力はほとんど無意味だった。
 貴族が裕福なのも、奴隷が貧しいのも、生まれた家に決定された。

3.やがて低い身分にある者が「自分の先祖は名門だった」と思いたくなり、
 いつしか「偽の家系図を買う」または「家系図を書き換える」ことで
 底辺で虐げられる身分から一発逆転を果たすことが流行してしまった。

4.その結果、皆が「限られた同じ名門(両班という)の名前」になり、
 形の上では皆が同じ名門の家系出身の者ということになった。
 逆に底辺(白丁という)の出身者は歴史の闇へと消えていった。
 現在、どの韓国人に聞いても「私は由緒ある両班の出身だ!」と
 答える。今はもう白丁の子孫であってもその自覚すらなくなっている。

   


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元より宗主国・中国も姓の種類は少ないが、その一部をコピーした属国の中で、
さらに系譜の偽装が行われ「名門・良家の姓」にのみ絞られていったため、
朝鮮人の姓は極端に種類が少ないのである。




ここで朝鮮人の民族特性をまとめ直すと、
まず、『誰よりも“過去や先祖”を誇りたがる民族』であるということ。
民族の成り立ち上、醜い過去に対するコンプレックスが強いのである。


そして『努力せずに嘘や小細工で勝ち組になれることに味をしめた民族』
であるということ。過去の歴史を書き換えることで名門になることが
できた国の人々なのである。


このような性質を持つ彼らには、朝鮮民族の歴史はあまりにも惨めすぎた。

つまり痛々しすぎて自分たちの過去を振り返るのが苦痛なのである。
それゆえ、独立した後に“民族意識を高めるための愛国教育”と称して、


 『我が国は5000年間一度も他国に支配されたことの無い独立国である』


という“偽りの栄光の歴史”をあたかも真実のように国民に教え込むことに
したのである。

これが韓国の愛国教育の成り立ちである。







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そこで韓国政府は、
まず、政府自ら作った教科書以外を教科書と認めないことにした。


そして「日本が朝鮮を独立させてやったこと」を隠蔽した。
具体的には日清講和条約(下関条約)の第一条の内容を削除したのである。

日本と中国の間で締結されたこの下関条約第一条の本当の内
容は、
『日本が清国に朝鮮の独立を承認させた』というもの。


これを韓国の国民に知られると、
「半万年(5000年)独立していたという政府が作った嘘の朝鮮国史」
に反してしまうので教えられないのである。



ちなみに前述の『迎恩門』は、朝鮮が独立した時に
『独立門』という“中国からの独立を記念する門”に建て替えられていたが、
現在の反日教育ではこの門を“中国からの独立”を記念した門、ではなく
“日本からの独立”を記念した門、と意味を勝手に変えて教えている。

そもそも迎恩門は日清戦争が終わって朝鮮が独立した時に、
清(中国)への屈辱的隷属の象徴だったことを理由に開化派の
独立協会に取り壊されたもの。そして1897年(明治30年)に自主独立の
決意を込めて“わざわざ同じ場所”に建てられたのが独立門である。

米国GHQの軍政から朝鮮が独立したのは日本の敗戦から3年後、
独立門が建てられて『51年後』の1948年(昭和23年)なので、
建設の年代を見るだけで独立門と日本が全く無関係なのは明白なのである。



このように簡単に暴くことができる嘘でも韓国では疑われることなく
中学校の教師レベルまでもが信じ込んでいるほど反日教育が浸透している。


この門に関してそんな嘘を教え込んでいる理由は簡単、
『1000年間の長きに渡る清(中国)の支配からの悲願の独立が、
 日清戦争に勝利した日本のおかげ』だからである。




民族の独立を日本に頼ったことがカッコ悪かったので、
手柄を横取りしたかったのである。




これらが次々と膨れ上がる朝鮮の歴史捏造の序曲であった。






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 ★日本の「見事な併合」が逆に仇になる


日本は朝鮮併合時に桁外れに朝鮮を豊かにした。

韓国人はそれを全く信じようとしないが、
韓国の教科書に載っていないだけで証拠はいくらでもある。

まずは日本に併合される前の韓国の姿をみてみよう。







併合前


(クリックで拡大)




$日本人の進路-韓国01



$日本人の進路-韓国02




$日本人の進路-韓国03




$日本人の進路-韓国04







ご覧の通り首都ソウルでさえ、いかにも貧しい暮らし振りである。

だが、このような「併合前の貧しさ」は韓国では隠蔽されている。
(※これについては後述する)


英国人女性旅行家イザベラ・L・バードは1894年以降4回に渡り朝鮮各地を
旅した時のことを『朝鮮紀行―英国婦人の見た李朝末期』の中でこう書いている。




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■イザベラ・バードが見たソウル

 「都会であり首都であるにしては、そのお粗末さはじつに形容しがたい。
 礼節上二階建ての家は建てられず、したがって推定25万人の住民は主に
 迷路のような道の「地べた」で暮らしている。

 路地の多くは荷物を積んだ牛同士が擦れ違えず、荷牛と人間ならかろうじて
 擦れ違える程度の幅しかない。おまけに、その幅は家々から出た糞、尿の
 汚物を受ける穴か溝で狭められている。酷い悪臭のするその穴や溝の横に
 好んで集まるのが、土ぼこりにまみれた半裸の子供たちと疥癬もちで
 かすみ目の大きな犬で、犬は汚物の中で転げまわったり、日向でまばたき
 している。

 ソウルの景色のひとつは小川というか下水というか水路である。蓋のない
 広い水路を黒くよどんだ水がかつては砂利だった川床に堆積した排泄物や
 塵の間を悪臭を漂わせながらゆっくりと流れていく。水ならぬ混合物を
 手桶にくんだり、小川ならぬ水たまりで洗濯している女達の姿。

 Seoulには芸術品がまったくなく、公園もなければ見るべき催し物も
 劇場もない。他の都会ならある魅力がSeoulにはことごとく欠けている。
 古い都ではあるものの、旧跡も図書館も文献もなく、宗教にはおよそ
 無関心だったため寺院もない。
 結果として清国や日本のどんなみすぼらしい町にでもある堂々とした
 宗教建築物の与える迫力がここにはない。」


 ("Korea and Her Neighbours" by Isabella Lucy Bird 
  『朝鮮紀行―英国婦人の見た李朝末期』イザベラ・L・バード)
 



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バードは、李朝末期の朝鮮は「とにかく道が悪く、ほとんど貨幣制度もなく、
世界有数の汚く悪臭のする都市だ」と記している。

文明人なら目と鼻を覆いたくなるような、凄まじく貧しい状況だったのである。




しかし、朝鮮に幸運が舞い降りる。

“隣人を愛するお人よし”が借金を肩代わりしてチャラにしてくれただけでなく、
自腹を切った大金を使って国を豊かにしてくれたのである。

お人よしとは言うまでもなく『日本』である。

では日本に併合されている期間の韓国の姿をみてみよう。









併合後


(クリックで拡大)




$日本人の進路-韓国06




$日本人の進路-韓国07






$日本人の進路-韓国08








先の併合前の写真と比較して頂けただろうか。
まさに驚くべき発展である。

勤勉な日本人には文化と技術があった。
国が豊かになったのは明らかだろう。


1910年の併合から1945年の独立までの
たった35年間でここまでの発展をした国は世界にも他にない。

では日本はいったいどんな魔法を使ったのか?

実は魔法ではない。文字通り身を切るような努力である。
たとえば、







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朝鮮が無計画な浪費で返済不能になっていた莫大な借金
 (外国からの借金+国債)を肩代わりしてチャラにした。

・日本の国家予算で学校などの教育機関や裁判所、上下水道、公園、
 病院、警察署、道路、 水力発電所、農地、鉄道などの文化的生活に
 必要な施設を作った。

・日本の金で朝鮮全土に5000校もの近代小学校を建設し、
 近代教育をしてハングルを必修で学ばせた。

・日本の技術と資本により2次産業を9倍も成長させると同時に
 1次・3次産業も大幅に伸ばした。

・医療と衛生環境を向上させて平均寿命を26歳から42歳にまで
 飛躍的に延ばした。

・人口を2倍まで増やし、その人口が全員が食べていけるほどの
 驚異的な食料供給力を与えた。

・世界中のどの国も金を貸したがらない極貧後進国に、貸し倒れも恐れずに
 世界一安い金利で金を貸し与えた。

・発展のために必要な資金や資材などの「物的支援」だけでなく、
 「人的支援」「技術支援」も同時に行った。
 



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このように日本は弛まぬ努力により朝鮮半島に“奇跡”と呼ばれるほどの
大幅な発展をもたらしたのである。



だが、韓国はこれらの日本の功績を全て隠蔽した。


少し考えればわかることだが、朝鮮は世界一貧乏だっただけでなく、
技術も資源もなにもなかったのだから日本の力なしに急成長などできる
わけがない。なにもなかったのに借金だけあったから併合を望んだのだ。

木造のあばら家で雑穀を食って風呂に入る習慣も持たない土人のような
生活をしていた韓国が、『たった数十年で』ビルが立ち並ぶ街に住み、
米を主食に清潔な環境で暮らす国際的にも豊かな国のひとつになっている。
ある意味奇跡的ではあるが、それは日本の努力によるものである。

しかし韓国政府は、

「奇跡の発展は全て韓民族の能力によるものだ」と国民を洗脳した。

もちろん上で紹介したような「貧しかった時代」のことも隠し続けている。


ちなみに韓国の道徳の“国定”教科書にしてもこのような有様である。









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 ■韓国文教部1979年『中学校道徳』より
ウリナラ(我が国)韓国は、世界でも珍しい独特な文化を保有する単一
民族国家である。これこそがわが民族文化の優秀性を証明する一例である。
わが伝統文化を守り発展させることは、まさにわれわれ(ウリ)が日本民族や
中国民族ではなく朝鮮民族だということを自覚して、民族の主体性と
自主独立を守ることである。

■韓国文教部1990年『中学校道徳3』より
特に最近ではウリナラが成し遂げた驚くべき経済成長は、ウリナラが
ことを成就させる動機が気高いことを世界に立証している。


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韓国人の特徴の一つなのだが、『韓国人は韓国人を褒めちぎる』。

それは愛国教育という名の反日洗脳の下準備である。




昔の韓国を知る知日派の金完燮(キムワンソプ)という韓国人は
自らの著書で以下のようなことを記している。








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  ~現代韓国人が知らない日本統治以前の奴隷社会~

「韓国人が朝鮮王朝を慕い、日本の統治を受けず朝鮮王朝が継続したなら
 もっと今日の暮らしが良くなっていると考えるのは、当時の朝鮮の
 実態についてきちんと分かっていないためだ。
 特に子供と青少年は、きれいな道ときれいな家、整った身なり、上品な
 言葉遣いのテレビの歴史ドラマを観ながら、朝鮮もそれなりに立派な
 社会で外勢の侵略がなかったならば静かで平和な国家を保てたろうと
 錯覚する。
 しかし日本が来る前の朝鮮は、あまりに未開で悲惨だったという事実を
 知らねばならない。」 (金完燮『親日派のための弁明』より)


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金完燮がこの本を出した時、なんと彼はただちに逮捕された。

彼が「こんなことで投獄するなら日本大使館に亡命せざるをえない」と抗議して
ようやく釈放された後も、この本は韓国政府に都合が悪いので有害図書に指定され、
一般書籍と一緒に販売できないように規制し、事実上の販売禁止処置を
受けてしまった。

そして、金完燮のように真実を知る者が一部にはいるにも関わらず、
韓国の教科書では恥ずかしげもなく逆を教え、それが韓国では「常識」として
信じられている。

たとえば韓国の歴史教科書では、江戸時代に朝鮮の使者が日本の首都に
訪問すると、“江戸の野蛮な市民たちが”「文化を教えてくれ!」と哀願したとして
韓国の子供たちに誇らしく伝えられ、日本を見下す根拠の一つとなっているのである。


本当の江戸時代の日本は、金鉱を有し、交易をし、学問・教育・文化・芸術に恵まれ、
「世界有数の繁栄」を極めていたということを韓国人は知らない。


当時の韓国には貴族階級以外の一般市民が残した日記や文学などは存在しない。
貧しい市民が芸術などに触れる余裕はなかったのだ。

一方日本では、町民までも生活を楽しむ余裕を持ち、芸術の分野では西欧絵画に
影響を与えるほどの葛飾北斎、写楽などを輩出し、松尾芭蕉、小林一茶、
十返舎一九、井原西鶴、近松門左衛門、滝沢馬琴などによる浮世草子や俳諧、
浄瑠璃など、“風雅な娯楽”が大衆に親しまれた。

しかも栄えていたのは江戸だけではない。当然、大坂や京都も大いに栄えた。
陸上交通の代表である五街道には飛脚が手紙を持って地方と江戸を繋ぎ、
発達した水上交通では特産品や手形などを運輸した。



当時のソウル・ロンドン・パリが糞尿にまみれた不潔な衛生環境だったのに対し、
日本は清潔に保たれた都市環境と犯罪の少ない統治をしていたことが後に
海外からも高く評価されるようになった。当時の江戸は世界的にも珍しい
「上下水道を完備した先進都市」だったのである。
(※よく誤解されているが、時代劇でもよくみる「街にある井戸」は地下水ではなく、
  工事を行って地下に水を引いて貯めた「上水道」である)

1801年のロンドンの人口が約86万人、1802年のパリで約67万人だった時代に
江戸は1725年の時点で約102万~112万人が生活する大都市だったのである。

しかも増えた人口が生活できる豊かさを浪費にのみ向けたわけでなく、生活で出たゴミを
リサイクルする文化も活発だった。傘張り、そろばん直し、提灯の張替えなどに始まり、
街のゴミは拾い集められて湯屋(今でいう銭湯)の湯わかし燃料にされた。

先ごろノーベル平和賞を受賞したワンガリ・マータイはエコ標語として
日本語の「Mottainai(もったいない)」を提唱した。彼女は世界各国をまわったが、
その概念を持った言葉は日本語にしかなかったという。

日本は江戸時代から「生活ゴミを海の埋め立てに利用」していたほどのエコ先進国でもあり、
また、それらを含めた独自性の高い文化と豊かさを持った先進国だったのである。



だが韓国の歴史教科書の中では「日本は貧しく文化も遅れた後進国であり、
朝鮮がいろいろ教えてあげたことで成長した国」ということになっている。

そして本当の朝鮮が当時どんな有様だったかを、彼らは「全く」知らないのである。








$日本人の進路-韓国09






韓国人たちは全員が“韓国政府が都合よく作りあげた国定教科書”で勉強し、
国民のほぼ全員がそれを信じている。


テレビでは「韓国は五千年独立を貫いた歴史ある大国」であり、
「昔から豊かで知性に溢れた文化先進国だった」という輝かしい時代ドラマを
あたかも史実であるかのように繰り返し放映し、誰も疑問を持たない。

大人たちも子供たちに、まるで見てきたかのようにそれが事実だと教える。



そしてそんな嘘で固めた社会であるがゆえに、
「現時点で韓国が世界一でない」「日本にも遅れをとっている」という現実が
「日本の侵略(?)のせい」「日本の悪辣な植民地支配(?)のせい」ということに
されてしまっている。

簡単にいえば、
「本当は先進大国だったのに、卑怯な手で追い抜かれた」と信じているのである。


実際は“追い抜く”もなにも、現存する歴史史料の範囲において
“日本が朝鮮に遅れをとった時代”などはじめから存在しないのだが…。



これはもう日本から何か言って治る程度の浅い「洗脳」ではないのだ。

だからこそ日本人側が「彼らの言葉が嘘であること」を知っておかねばならない。

さもなければ「日本人は歴史を知らない」と彼らがしたり顔で連呼する時、
いいように騙され、不利益を回避することすらできなくなってしまうからである。







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