“プーチンの犬”安倍晋三の対ロ政策は、ロシアの対日侵略誘導策 (その2) | 日本人の進路

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左翼全体主義(共産主義)国家化が進む日本。マスコミはどこを向いても左翼ばかり。これでは日本国民が洗脳されてしまうのはくやしいけどどうしようもない。ただあきらめてしまったら日本の明日はない。日本の中、露、朝への属国化が現実のものとなってくる。

日本人を領土無き地球放浪者にする“悪魔語”「国境画定」 ──“プーチンの犬”安倍晋三の対ロ政策は、ロシアの対日侵略誘導策(その2)

 

 

 

 

 

 

 

 

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日本人を領土無き地球放浪者にする“悪魔語”「国境画定」 ──“プーチンの犬”安倍晋三の対ロ政策は、ロシアの対日侵略誘導策

 

2015.11.04
北方領土をロシアに貢ぐ安倍

 

 

筑波大学名誉教授   中 川 八 洋

 

 

 

 

 

 

 

(続き)

 

 

 

 

国際法も条約も歴史文書もすべて無視し、想像力と創造力で飛躍せよ」;名嘉憲夫氏の主張第二  

 それはともかく、名嘉の“世紀の狂論”は前代未聞。詳査し続けねばなるまい。名嘉は、「紛争解決」こそが至高の価値だから、国際法/条約/歴史的経過をいっさい無視せよと主張し、次のような奇々怪々な珍説を縷々述べる。

「紛争解決の視点からすれば、…過去(=現在の紛争状態)と未来(=紛争の解決後の状態)の間には、“ある種の飛躍”があり、その“飛躍”を可能にするのが、個々人や政策形成者の“想像力”と“創造力”である。」

「文書史料に基づいた議論(=交渉)は、紛争を解決するための議論の出発点にしか過ぎない点については、しばしば忘れがちである。」

「歴史的な文書は、その時点でたまたま残りまた発見された文書に過ぎない…。真に重要な文書は破棄されたかもしれないし、まだ発見されていないかもしれない」(41頁、括弧内は中川)。

 まず、名嘉憲夫が振り回す「紛争解決」は、超マイナーな学問「紛争解決学 conflict resolution」という、(国際政治学界では蔑視され、通常の学者にランクされない最低学者が屯する)共産主義者たちが集っているゲテモノ学問から転用した用語。しかも、四文字「紛争解決」の正体は、マルクスの『共産党宣言』が描いた、現実には出現しない妄想でしか描けない、地球上の人類の紛争が皆無となった“理想の共産社会(ディストピア)=紛争ゼロ社会”の創造を目指す、カルト宗教性が濃厚な宗教経文。

 

 すなわち、狂書『領土問題から国境画定問題へ』は、学術的な理論を踏まえたものではない。名嘉憲夫はこの狂書で、「南無阿弥陀仏」と同種の宗教的経文である四文字「紛争解決」を読経しているだけである。名嘉憲夫は、カルト経文「紛争解決」を読経する恍惚において、『領土問題から国境画定問題へ』を書き上げた。『領土問題から国境画定問題へ』が、事実の歪曲や改竄そして嘘ばかりが満載の狂書になったのは当然のこと。いや、より正確には、妄想に妄想を重ねた“妄想の五重箱”が、『領土問題から国境画定問題へ』である。

 

 例えば、「北方領土」に関わる、1855年2月の下田条約締結で始まる日露間係争関連の歴史史料や文書はすべて、日露双方が平等に所持しており、破棄された文書もゼロだし、発見されていない文書もゼロである。ところが名嘉憲夫は、オウム真理教の狂った信者と同じく、上記の引用文にあるように「そうでない」という。名嘉の狂気は相当のレベル。強制(措置)入院させずに街を歩かせておいて大丈夫だろうか。

 

 そもそも、領土問題の解決前と解決後に“飛躍”などあるのか。尖閣諸島は、過去も現在も日本領土である。そして、未来でも日本領土でなくてはならない。どこにも“飛躍”はない。どこにも“想像力”などない。どこにも“創造力”などない。いったい全体、領土係争問題とその解決に、陸上競技の高跳びであるまいし、“飛躍”などあろうはずもない。「想像力や創造力を発揮せよ」とは、正常性がぶっ飛んでいる名嘉憲夫が、笑止にも、領土問題を絵画教室での油絵指導に勘違いしているからだ。

 

 

 

「日本を解体せよ、そうすれば俺様(名嘉憲夫)は念願の支那人に成れる」;名嘉憲夫氏の主張第三  

 いや、もしかしたら、名嘉憲夫は気狂いでないかも知れない。名嘉は、日本国をばらばらに解体して、沖縄県を“琉球人の琉球国”に戻したいと考えていることはすぐにわかるが、それ以上の想像をしている可能性がある。この「琉球国」を独立国家ではなく支那帝国に編入させ、名嘉自身は「琉球人」ではなく、「支那人」になるのを夢見ているようだからだ。

 

 こうなると、名嘉憲夫は、“支那人・名嘉憲夫”を想像しているし、“中華人民共和国琉球省”を創造しようとしている。この場合ならば、上記の妄想語「想像力」「創造力」は、狂気からの発想とは言えない。こう書いている。

琉球を併合したのも、中華帝国の一部を毟り取って南方の拠点を確保するためで…」(95頁)。  

 名嘉憲夫は、このように、「沖縄県支那帝国の一部」だと確信している。そして、現在の日本国を解体し、沖縄県をいったん「琉球国」に戻す詭弁として、名嘉はマルクス史観を援用している。琉球と日本本土関係史を、「(日本の)国境画定期1874~1881年」「帝国(=日本)拡大期1894~1945年」「帝国(=日本)解体期1945年~現在」の三区分し、この最後の帝国(=日本)解体が、未だ途上にあるとしているからである。

  

 日本とは今後も徹底的に解体して(されて)いくべきが“歴史の必然”だと、マルクス史観を模倣した奇怪な「名嘉史観」を振り回し、名嘉憲夫は「この帝国の解体期(=日本の解体)はまだ終了していないというのが、本書の考え方である」(96頁)と、日本国の更なる解体を宣言している。絶句するほかないトンデモ「名嘉史観」は、正常な主権国家の領土観をひっくり返した、やはり狂気だった。

 

 正常な主権国家の正常な国民は、“固有の領土”を奪還して徹底的に領土をもぎ取られた敗戦国・日本の領土縮小トレンドにブレーキをかけ、最小限の領土を確定して、安定的にそれら祖先から相続した領土を子孫に残さんとする。名嘉憲夫はきっと、手を泥だらけのスニーカーに突っ込んで、逆立ちして大学に通勤している。

 

 

 

 

「日本人よ、国家/国民/国土を忘失して、夢遊病者の人間(ヒト)になれ」;名嘉憲夫氏の主張第四  

 名嘉憲夫の主張は、正常な国家の正常な国民の思考範囲になく、妄想型詭弁の範疇にある。学術的な枠内を破壊して、宗教的な狂妄での呪文だからだ。しかも行間から明らかだが、名嘉憲夫は、日本人に「国後・択捉を棄てよ」「竹島を棄てよ」「尖閣諸島を棄てよ」、と吹聴しているだけ。「日本国民or日本人」であることが嫌で嫌で仕方がない“非・日本国民”の論理としては筋が通っている。

  

 だが問題は、名嘉憲夫の「戦後処理の終了」=「国後・択捉を棄てよ/竹島を棄てよ/尖閣諸島を棄てよ」の主張が、それで「終了」してはいないことだ。なぜなら、「歴史の次の段階に進むために」(24頁)とあり、これらの「国後・択捉を棄てよ/竹島を棄てよ/尖閣諸島を棄てよ」は、日本国をさらなる未来(=永遠の地獄)に誘う、ひとつのステップとしているからだ。

 

 名嘉憲夫の未来=「歴史の次の段階」とは、「北海道を棄てよ/本州を棄てよ/四国を棄てよ/九州を棄てよ」という最凶の未来の事。つまり、名嘉の描く未来は、日本人が日本国の領土を喪失し、意識や精神では日本国民になりたいと願っても、領土なき民である以上、人種としての日本人は存在し得ても、物理的に「日本国民」に決して成れない状況に追い込まれた未来である。「日本国民」の完全なる絶滅を企図する名嘉の魔語「歴史の次の段階」は、かくも恐ろしい。

 

 「領土無き日本人」「国家無き日本人」とは、マルクスの描いた“究極の共産社会(ディストピア)”で生きているが実態は骸(むくろ)の人間(=生物学的ヒト)に日本人が改造されることである。それは、世界の他の民族/他の国民から見れば、地球を彷徨うディアスポラ(地球放浪者、国家・故郷喪失者)に日本人が堕している状態。

 

 日本人の頭をレイプして、「地球を彷徨うディアスポラ」に日本人を誘導する教宣(アジ・プロ、agitation&propaganda)として、名嘉はヒトラーゲッベルスと同じ「《恐怖→安心 terror→reassurance》の心理戦psychological warfare」を展開する。日本人に係争領土の全面放棄を教唆して、「そう決断すれば、日本の未来は明るいが、そうしないで固有の領土に拘り続ければ、日本の未来は危険がいっぱいになる」、と。具体的には、次のような“ハーメルン魔笛”を吹く。   

「領土問題の解決(=日本の放棄)は、私たち一人ひとりにも大きな挑戦(=決断)である。この挑戦をうまく乗り越えれば、日本を含む東アジアの未来は明るくなるだろう。しかし、私たちが(侵略された領土を奪還しようなど)硬直した思考で考えるならば、この問題の解決は難しく、私たちの未来は危うくなる」(46頁、カッコ内中川)。

 名嘉憲夫の妄言狂説は底なしで危険どころではない。「逆立ちの転倒戯言だよ」と嗤って等閑視するわけにはいかない。何故なら、名嘉憲夫は、日本をそして東アジアを血生臭い戦場にしようと企んでいる。日本が北方領土をロシアに割譲すれば、次にロシアは「北海道を寄こせ」と言うに決まっている。その時、これを日本が拒絶すれば、一気に戦争=侵略してくる。実は、平時peace timeの領土係争こそが、戦争を未然に防いでいるのである。領土係争をしている限り、平和は確保される。  

 中共の沖縄侵略を防止する為にも、尖閣は死守しなければならない。係争領土の断固たる領土奪還や領土死守こそが、平和の要諦なのだ。

 

 

 

 

 

「自由と正義ある紛争解決」を排除し、次なる戦争を誘発する「正義なき紛争解決」を狙う名嘉憲夫  

 名憲夫の学問は、紛争解決論である。「紛争解決」の概念は、いずれの国にもある民事裁判を思い起こせば、誰にでも理解できる。すなわち、主権国家内での紛争解決の事を指す概念だと。

 とすれば、統一的な国家権力の相当する権力機構のない国際場裏においては、紛争解決論など初めからナンセンスの極み。いわば暴論妄言の類であって、無視するのが正常。

 だが、紛争解決論を強引に国際政治に適用するエセ学者は、世界の国際政治学者の全体数からはごく少数だが、世界に薄く広く存在して、何時も隅っこでこそこそ活動している。しかも、これらエセ学者は全員、共産主義者である。そして共産党平和運動の一翼を担っている。  

 このような情況となる理由は簡単。共産主義者とは、マルクス共産党宣言』に従い、国境(国家)はなく国際連帯に生きる無国籍人間である。だから、国家内の紛争処理制度と国家間のそれとの区別がつかない。このため紛争解決論は、主権国家間においても「コミュニケーション」で紛争が解決するとの宗教的信仰を基軸にする。しかも、この「コミュニケーション」は、“夢遊病者同士の抱擁”をイメージしたもの。ともかく、カルト経文「紛争解決」信仰は、名嘉憲夫の次の言説に集約されていよう。

「紛争解決論は、コミュニケーションを重要視する。コミュニケーションは、紛争を解決する合意をつくるからである」(27頁)。

 コミュニケーションで国際場裏の紛争が解決した例は、人類史に存在しない。こんなトンデモ学問「紛争解決論」を強要的に洗脳される学生からすれば、国際政治の場裏に無理筋を承知で適用する「紛争解決論」とは、人間が持つべき最低限の人格を失わせ、自らの国家を破壊しつくす衝動に駆られる狂気を植え付ける麻薬的な詐術・詐言ということだ。

 

 それ以上に「紛争解決論」が法的に禁止すべき程に危険な学説なのは、彼らの「紛争解決」の定義が、われわれ正常な人間の「紛争解決」とは似て非なることからも証明される。端的に言えば、名嘉らの言葉「紛争解決」は、「奴隷の平和」と同じである。「平和」には対極的な、「奴隷の平和」と「自由と独立ある平和」の二つがあることは古来からの哲理で、国際政治学の根本概念にもなっている。

 

 現在のチベットには、漢族の支配下で自由も独立も喪失したが故に、戦争のない平和/奴隷の平和(=紛争ゼロ)が訪れている。だが、チベット族が望んでいるのは、「自由と正義ある独立のチベット」である。紛争解決も同じ。自由と正義と独立(安全)が全うされる“正しい紛争解決”でなくてはならない。すなわち、名嘉憲夫の「自由もない、正義もない、安全もない、“奴隷の紛争解決」は、日本人の国家喪失を決定的なものにする。正常な日本国民は挙げて、日本国消滅を目指す「紛争解決論」を、徹底的に粉砕し一掃しなくてはならない。

 

 

 

 

 

日本国の解体と完全消滅を狙う“悪魔の教宣師”名嘉憲夫の、反・学問のマジック詐術を暴く

 名嘉憲夫の「国境画定」が日本国に対する強度な犯意をもって使用されているのは、日本国の7世紀、8世紀、9世紀の「大和の国」をもって“近現代の日本国”だと摩り替える、奇想天外な詭弁を弄していることからすぐ分かる。

 

 ロシアと日本との国境紛争は、18~19世紀以降である。得撫島に初めてロシア人が上陸したのは1775年、同島に日本が「天長地久大日本属島」の標柱を建立したのは1801年。ここに、得撫島が、日露の領土確定の係争の地となった。樺太に関しては、日本人の上陸と居住は、1762年から始まっており、ロシア人の初の樺太入植1857年より百年も前。元来、樺太は日露間の係争の地ではなく、日本の「固有の領土」として完全に確定していた。それなのに、これを、頭がおかしい川路聖謨江戸幕府勘定奉行で、下田交渉の次席全権)が大盤振る舞いをして、つまり名嘉憲夫と同じ狂った思考の持ち主であったため、対ロ宥和を「紛争解決」だと錯覚し、「雑居の地(共同主権)」としたのである(1855年の下田条約)。

 

 つまり、北方領土を論じる場合の「日本国」は日露間に係争が発生した時点以降のそれを指すから、万が一にも、7~9世紀の「日本国」の領土はどこだったかなどとは全く無関係。なのに名嘉憲夫は、次のごとく、「九州や東北がまだ含まれていなかった」“7~9世紀の日本国”に、それを摩り替える。詭弁どころではなく、悪のマジック詐言である。

「日本国は小帝国として東北・九州を侵略し・・・、異種族である東北の《蝦夷》と南九州の《隼人》を征服していった」(63頁)。

 アイヌは日本人とは異種族だが、東北の《蝦夷》も南九州の《隼人》も人類学的には純粋な日本人で同族である。それは《沖縄人》も同じ。それを異種族とは恐れ入った。しかも、この国家統一を「侵略」とは、これまた恐れ入った。名嘉憲夫が、この大詭弁の法螺吹きで狙っている目的は二つ。

 

 第一は、日本は侵略で形成された国家だから解体してよいとの凶悪な屁理屈づくり。九州も東北も日本国から切り離す日本解体論の布石である。

 

 第二は、日本は侵略でできた国家だから、中共尖閣はむろん沖縄本島・九州も侵略してもよいし、ロシアの北方領土侵略も北海道・東北侵略も許される、とのもう一つの凶悪な屁理屈づくり。

 名嘉憲夫の『領土問題から国境画定へ』は、学術書ではない。中共やロシアに対日侵略をどうぞしたい放題して下さいと、対日侵略決行を教唆し促す煽動政治文書である。                                        (第二節に、つづく)

 

関連エントリ

北方領土をロシアに貢ぐ安倍

 

1、シベリア拉致強制労働で殺戮された日本人の総数も死亡者の名前も、その全体については、ロシアKGBアーカイブをいくら探し回っても存在しない。そのような数字をベリアのNKGBは初めから作っていないからだ。KGBアーカイブは、一部の捕虜収容所が書き残した被収容者名や死亡者名の記録を断片的に集め保管しているだけ。

 

 それなのに、来日するロシア独裁者は、「これら一部の強制収容所断片記録名簿」を、平然と“お土産”に持参する。一方の日本人は、世界有数のスーパー馬鹿民族だから、このロシアの残虐な日本人殺戮記録を有り難いお土産だと感激する。日本人が正常な民族ならば、こんなコストゼロの安上がりの、日本を侮辱するロシアの土産に怒って、すべての断片情報から数学的解析で判明している推計殺戮数字「65万人」を認めよと迫り、また、この「65万人」殺戮に対する損害賠償をせよとロシアに迫るはず。安倍晋三には、正常な日本民族の精神などひとかけらもない。

 

 なお、ロシアの日本人殺戮総数を算出するに絶対不可欠な、1945年9月から翌年春にかけてソ満国境を越えて拉致されていく日本人の数については、このソ満国境で詳細にカウントした米国諜報機関の数字が正確さにおいて最も信頼性が高い。ロシア民族は、統計数字が大好きな日本人や英米独人とは真逆に、統計数字をつくらない文化が骨髄となっている。

 

 

 

 

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