マルクス『資本論』を読めば必ず大量殺人狂になる。(その1) | 日本人の進路

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左翼全体主義(共産主義)国家化が進む日本。マスコミはどこを向いても左翼ばかり。これでは日本国民が洗脳されてしまうのはくやしいけどどうしようもない。ただあきらめてしまったら日本の明日はない。日本の中、露、朝への属国化が現実のものとなってくる。

マルクス『資本論』を読めば必ず大量殺人狂になる。何故か(その1)

 

──レーニン大量殺戮の再現を狙う、池上彰/佐藤優の『絶望の資本論』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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マルクス『資本論』を読めば必ず大量殺人狂になる。何故か ──レーニン大量殺戮の再現を狙う、池上彰/佐藤優の『絶望の資本論』

 

2018.03.16
“凶悪共産党員”池上彰の嘘

 

 

筑波大学名誉教授   中 川 八 洋

 

 

 

 

マルクスに狂う極左人士は、例外一人として無く、三つの異常な犯罪を志向する。彼らは“猛毒の阿片”マルクス資本論』を吸引することによって、「国民の貧困を極限化」「戦争誘発と戦争永続化」「国民に対する無制限大量殺戮」の三犯罪を“三位一体”で信仰するに至るからである。

 

 この“三位一体”「国民の貧困を極限化」「戦争誘発と戦争永続化」「国民に対する無制限大量殺戮」の教典が、マルクスの『資本論』であるのはつとに誰でも知っていること。しかし、共産党員・池上彰と“稀代のアナーキスト佐藤優は、この自分たちの狂気の信条を隠蔽すべく、それを反転させる転倒語法(=ジョージ・オーウェルが導入した新概念「ニュー・スピークス」)を駆使して、『希望の資本論』だと詐称し嘘宣伝に努めてきた。

 

 が、改めて指摘するのは教養ある読者に失礼だが、『資本論』とは、人間をこの世で“絶望の地獄”に叩き落すことを目的として書かれた“悪魔のカルト宗教経典”である。池上彰佐藤優嘘八百の雑談に興じているだけのお粗末対論『希望の資本論』は、少なくとも『絶望の資本論』と正しい原題に戻すべきだし、より正確には『血塗られた資本論』と改題すべきである。  

 

 池上彰佐藤優とが『絶望の資本論』『血塗られた資本論』を、嘘ラベル『希望の資本論』という笑止な仮面を『資本論』にかぶせた理由は、二十世紀に起きたかつてのレーニン/スターリンによる自国民大量殺戮(6600万人)」をもう一度、この日本で再現させたいと狙っているからである。その方法は、①ロシアと中共に日本を侵略させ日本列島全体を戦場として破壊尽し日本を阿鼻叫喚の地獄にしておいて、②この破壊の上に樹立される露中の“代行政権”「共産党独裁政府」によって国民に対する無限の収奪と殺戮を実行すれば、いとも簡単に実現する。

 

 マルクス資本論』の吸飲者が必ず「反戦・平和」を絶叫するのは、ロシア・中共の対日侵略において日本の国防力を無力化するため。コミュニスト達のマルクス資本論』大宣伝と共産党の「反戦・平和」運動が完全に整合するのは、一つのコインの裏表だからだ。いずれも、日本と日本国民とを無限の収奪による極限の貧困と殺戮の巷に誘導する“悪魔のハーメルンの笛”である。  

 

 なお、戦争は侵略による対外膨張の戦争もあれば、国防力の不足による隣国から侵略される戦争もある。いずれも戦争であることに変わりはない。しかも戦争には、この二種しかなく、またこの戦争発生頻度は同数である。

 

 双方の戦争における相違は、前者は国家の意思や一部国民の熱狂によって発生し、後者は平和の意思や願望が踏みにじられることで発生する。池上彰朝日新聞等の共産主義者達の反戦平和運動とは、国防力の不足による隣国から侵略される戦争を目指すもので、「平和」の嘘仮面を疑われにくく、戦争狂・戦争主義者がもっとも活用する運動形態。すなわち、「反戦・平和」運動には、血塗られた自国民大量殺害の犯意が透け透けに見える。見えないならば、それは頭が悪すぎる。

 

 

 

 

 

資本論』から漂う、マルクスの本心「労働者と農民を殺せ!殺せ!」を隠す池上彰

 マルクスを狂信する者で、レーニンを狂信していない者は世界中に一人もいない。だから、マルクス・レーニン主義者のことを、それと全く同義でマルクス主義者ともいうのである。レーニンはマルクス(のカルト宗教)教義を実践するために1917年11月に権力を掌握したのであって、このことは『国家と革命』(1917年、注1)を読むまでもなく、自明であろう。  

 

 また、実際にも、レーニンの水準で、マルクスの膨大な諸著作を正確に読みこなし正しく理解した者は、世界中でもそんなに多くはない。すなわち、“悪魔の教典”『レーニン全集』(全57巻、第5版、日本共産党の直轄出版社・大月書店)は、教義を担当した“悪魔の教典”『マルクスエンゲルス全集』(全53巻、大月書店)の実践篇である。両者は、双子の兄弟というより、双頭のシャム双生児。  

 

 だから、マルクス共産主義人間を定義(=夢想)した通りの共産主義人間を作りあげるための、現実に人間をその方向に改造する具体的方法はレーニンが考案した。例えば、次のは、その一つ。

(隠居老人や病人を含めて)働かざるものは食うべからず》―これが社会主義の実践戒律である。これこそ実践的に組織すべき点である」  

「金持ち、ペテン師、座食者に対する何千という実践的な記帳と統制の形態と方法は、(独裁共産党指導下の)コンミューン自身が、農村と都市の小さい細胞自身がつくりあげ、実践の上で試してみなければならない。・・・ロシアの土地からあらゆる種類の害虫/蚤すなわちペテン師、南京虫すなわち金持ち、その他などを一掃するという、ただ一つの目標を達成しようとする場合の成功の保証である」  

「あるコンミューンでは、十人の金持ち、一ダースのペテン師、半ダースの仕事を怠ける労働者を投獄するだろう。次のコンミューンでは、彼らに便所掃除をさせるだろう。第三のコンミューンでは、拘禁を勤め上げたのち黄色の鑑札を与え、彼らが矯正するまで全人民が妨害分子として彼らを監視するだろう。第四のコンミューンでは、座食行為(仕事を怠けること)を犯した十人のうち一人をその場で射殺するだろう。・・・」(革命一ケ月半後の1917年12月末執筆、注2)

 このレーニンの命令は、実際にも、この通り以上に厳格かつ残忍に実践された。特に、第四のやり方「座食行為(仕事を怠けること)を犯した十人のうち一人をその場で射殺する」は、ロシア全土で徹底的に実行された。ここでは引用を省略するが、コンクェストの『スターリンの恐怖政治』やクルトワの『共産主義黒書』を読めば、一目瞭然。なお1921~2年、東シベリアではまだ日本人の商売人などが自由に行き来できた最後だが、彼らは「道端に餓死した老人の死体がゴロゴロ転がっていた」との目撃談を帰国後に語った。が、朝日新聞その他はこれを報道しなかった。自主検閲である。

 

 しかも、このコンミューン共産党員による「無辜の国民を十名ごとに一人づつ無差別殺害」よりも、もっと陰惨な国民殺しが、国家機関として実行されるようになった。それが、現在のロシア大統領プーチンの古巣KGB第二総局の、その元組織「チェーカー」による無差別拷問をした上で処刑するやり方の国家テロル・大量殺戮である。レーニンは、共産党員の中でも極端に目立つ残忍な殺人を楽しむ狂人ジェルジンスキーを、この「チェーカー」長官に任命した。

 

 なお、「チェーカー」については、リチェルソンの『剣と盾』(注3)などが入門書として有益だろう。そして、1917年12月に創設のチェーカーによる対国民テロル体制を構築していくに、レーニンこそが、その先頭に立った。これについての参考文献には注4などがある。

 

 レーニンとジェルジンスキー二人三脚での国民無差別&大量殺戮の陰惨な実際の情況は、次節に譲る。このレーニンの大量無差別殺戮方針は、カーメネフジノヴィエフらは批判的だったが、ブハーリン/トロツキー/スターリン共産党指導部の多数が支持した。ブハーリンの『過渡的経済論』は、上記のレーニンの無差別殺戮を支持し、次のように述べる。   

銃殺刑に始まり、(強制の)労働義務に終わるプロレタリア的強制のあらゆる形態は、いかに逆説的に聞こえようとも、資本主義時代の人的素材から(資本主義に汚染されているのを除染して)共産主義的な人間をつくりあげる方法なのである」(注5、1920年、カッコ内中川)。  

 最低でも十人に一人を無差別に殺す、すなわち(国民人口が一億人ならば一千万人という)国民の人口の一割を無差別殺戮することを共産国家ソヴィエト建設の不可欠条件と考えたレーニンやブハーリンらの狂気のマルクス主義は、道徳的な善悪や倫理的な正義・不正義が目的によって定まると、絶対普遍である倫理道徳を、あろうことか価値相対主義で破壊するマルクス流殺人鬼の論理に立脚する。マルクス・レーニン主義の、この血塗られた価値相対主義は、上記『過渡的経済論』の邦訳153~4頁でも展開されている。興味のある読者は、是非とも読まれるよう勧める。

 

 マルクス・レーニン主義の価値相対主義を全面的に正当化すべく理論化したのが、法哲学者ハンス・ケルゼンであった。一方ケルゼンとは逆に、ソルジェニーツィンは、共産主義者の「善悪の区別を取っ払った価値相対主義」を、狂気だと鋭く非難する(注6)。  

共産主義者道義のあらゆる絶対的概念を否定することを隠したことはありません。共産主義者は、疑いを容れないカテゴリーとしての善と悪の概念を嘲笑しています。共産主義者は善悪の相対性という(狂った)考えを全世界に感染させるのに成功したのです」(注7、カッコ内中川)。  

 なお、このブハーリンに傾倒・心酔した日本の共産主義者が、かつて日本共産党委員長だった不破哲三。「不破」は、ブハーリンの「ブハ」を文字ったペンネーム。なお、「哲」は「鉄人スターリン」の「鉄」から、「三」は野坂参三の「三」からとっている。

 

 

 

(続く)

 

 

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