元JWの方の多くは現役の頃に、心ない長老の言動に傷つけられた経験がおありのことと思います。
利己的な長老、無神経な長老、上にごますり下に厳しい長老、個人的な基準を他人に強制する長老・・・・。
不完全とはいえ、あまりに無慈悲で他人の心の痛みに無頓着な長老が非常に多いのは残念です。
私は長老になったことはありません。
でも奉仕の僕として演壇に立って公開講演をし、奉仕会でプログラムを扱い、伝道の際も長老たち以上に姉妹たちと多くの時間を過ごしました。
今思い返してみると、特にパートナーと必要の大きな会衆で奉仕していた時、会衆の人たちに対してとても無慈悲な人間だったように思います。
自分としては、必要の大きな会衆に来た以上、何とかして会衆の霊性を築き上げようと張り切っていました。
でもそれは、ある人たちにとっては重荷になっていたんじゃないかと思います。
JW的に言って、自分の霊性が高い状態にある時には、目立たない人たちや、一見してさほど頑張っているように見えない人たちに対して、非常に厳しい見方をしていました。
「どうしてあの人は開拓奉仕しないんだろう・・・」
「どうしてあの人はいつも集会に遅れてくるんだろう・・・」
「どうしてあの人の子供はいつも集会中に落ち着きがないんだろう・・・」
「どうしてあの人は注解しようとしないんだろう・・・」
言葉には出さなくても、心の中でそういう方たちを見下している自分がいました。
協会の提案通りに出来ていない人たちの事情を察することもせずに、ただ冷淡に裁く傾向がありました。
恐らくそういう心は私の態度や言葉の端々に表れていたんじゃないかと思います。
集会でプログラムを扱う時にも、よくこんなことを言いました。
「協会の提案を忠実に当てはめましょう!」
「協会の指示に従順に従いましょう!」
「優先順位を間違えないようにしましょう!」
なんてヒドイことを平気で言ってたんだろう・・・。
今考えると、とんでもない大バカ者です。
情けなくて恥ずかしくて・・・。
自分が挫折を経験してはじめて、弱い立場の兄弟姉妹たちのご苦労が理解できました。
健康上の理由、家族の事情、仕事との両立・・・。
皆さん、いろんな事情を抱えながら、本当に懸命にJWとして頑張っておられたんです。
今ならよーく分かります。
それなのに、出来ている側の論理でしか、物事を考えていなかったんです。
あの頃の会衆の皆さん、ロクに世の中を知らない若造が偉そうなことを言って、本当に申し訳ありませんでした・・・。
今更ブログ上で謝罪しても仕方ありませんが、心からお詫びしたい気持ちです・・・。
当時の兄弟たちに辛い思いをさせてしまったんじゃないかということが、私の心の重荷です。
思い出すと恥ずかしくて情けなくて、胸が苦しくなります。
本当にごめんなさい・・・。