明らかな矛盾 | マンボウのブログ

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JWとその組織は嫌いでも、聖書は好きという方は大勢いらっしゃると思います。

私も現役JWだった頃は、聖書が神の霊感を受けている本であることを、露ほども疑ってはいませんでした。
以前のブログにも書いたとおり、聖書の神のあまりの残虐さに嫌気がさして信仰を失うまでは・・・。


聖書は本当に神の霊感を受けて書かれた無謬の書物なんでしょうか?

以前、りんごさんのブログで聖書写本研究の権威であるバート・D・アーマン教授の本が紹介されていました。
私自身、聖書そのものを、ものみの塔協会以外の資料で調べたことがなかったので、非常に興味をそそられました。
それで、りんごさんお勧めのアーマン教授の本を何冊か読んでみました。

その中の一冊に、「キリスト教成立の謎を解くー改竄された新約聖書」という本があります。

キリスト教成立の謎を解く―改竄された新約聖書/バート・D. アーマン
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この本には、福音書の中に見られる明らかな矛盾について指摘されていました。

このような例があります。

「マルコによる福音書」ではイエスが死刑に処せられたのは過ぎ越しの祭りの当日でした。
つまりニサン14日です。
マルコ14章を読むと、イエスと弟子たちは過ぎ越しの食事をしてから、ゲッセマネへ行き、そこでイエスは捕縛され、裁判にかけられ、杭にかけられます。
マルコ15:25によると、杭に掛けられたのは第三時、つまり午前9時です。
マルコ15:33によると、第六時、つまり正午に闇が垂れこめ、第九時、午後3時ごろにイエスは亡くなります。

さて、「ヨハネによる福音書」はどうでしょうか?
一見同じような記述がみられます。
イエスと弟子は食事をし、捕縛され、裁判にかけられ、磔になります。

注目すべきはピラトが判決を宣告した日時です。

ヨハネ19:14にこうあります。
「さて、それは過ぎ越しの準備の日であり、第六時ごろであった。それから彼はユダヤ人たちに言った。「見なさい。あなた方の王だ!」。」


過ぎ越しの準備の日?
なんと、「ヨハネによる福音書」ではイエスの死は過ぎ越しの当日ではなく、その前日とされています。
つまり、ニサン13日です!

しかもピラトによる判決が出たのは、第六時、つまり正午です!
マルコでは午前9時には磔になっているはずなんです!

明らかな矛盾です。
日付は一日ずれていますし、時刻もまったく違います。

今まで聖書を読んでいたはずなのに、私はこんな矛盾があることに全く気付きませんでした。


どうして「ヨハネによる福音書」の筆者は過ぎ越しの祭りの前日にイエスが処刑された、と書いているのでしょうか?

アーマン教授はこう説明しています。

福音書の中で最も後に書かれた「ヨハネによる福音書」だけが、イエスのことを「世の罪を取り除く神の子羊」として紹介しています。
(ヨハネ1:29、1:36)

つまりイエスはユダヤ人の過ぎ越しの祭りの際に犠牲として捧げられる子羊に対応している、ということです。
過ぎ越しの子羊はいつ、ほふられるのでしょうか?
それは、過ぎ越しの祭りが始まる前日、準備の日です。

ご存じのとおり、ユダヤ人の一日は日没をもってはじまりますから、その前の日中に子羊をほふっておかなければなりません。
日没と同時に日付が変わり、過ぎ越しの子羊を食べます。

「ヨハネによる福音書」の筆者はこのことを念頭に置いて、イエスが処刑されたのは、過ぎ越しの準備の日であるとしたのでしょう。

つまり、神学上の理由から、歴史的な資料を改変してしまった、とアーマン教授は結論付けています。


驚きました!目から鱗が落ちました!


聖書には真実だけしか書かれていない、と信じていたのには、全く根拠がなかったのです。

聖書は実に人間的な事情で書かれた本です。

教理上の敵を論駁したり、神学上の論点をはっきりさせるために、様々な改変が加えられています。


これはほんの一例です。
アーマン教授はさらにたくさんの矛盾点をこの本の中で指摘しています。


クリスチャンとしての今までの常識が完全に覆させられます。


大変興味深いので、すべてのクリスチャンに読んでいただきたい本です。