地球のどこかで生活日記 -10ページ目

地球のどこかで生活日記

<2016年11月からノルウェー・オスロに引越したので、タイトルも変えてみました。>
2011年12月 ブエノスアイレスへお引越し
2016年11月 オスロへお引越し

昨日は移民局とやらに行きまして、一年有効の短期居住ビザの申請をして、仮の国民番号(DNIという)をもらってきました~。

国民背番号のアルゼンチン、この番号は病院やら色んな所で聞かれ、その度にパスポート番号で代用していたのだ。身分証明書が必要な場面では、パスポートを持ち歩いたりして、あまり便利ではなかったのです。日本の免許証は漢字で書いてあって、こっちじゃ使えないし(アルファベットの国々の免許証だと、クレジットカードの支払いとかの簡単な身分証明の時使えるんだけど、日本語はこういう時不便)しょぼん
国民番号取得をもって、居住ビザが出たことになるらしい。やっと観光ビザで出入りを繰り返す生活にも終わりが。3ヶ月以内に本当の番号を記載したIDカードが届くらしい。

本当はもっと早く申請するはずが、先にパートナーのビザ更新をしていて、また会社からのあの書類がない、この書類も必要!バタバタバタ~DASH!を繰り返し… またかよ…
私のビザはパートナーのビザと連動しているので、有効期限も一緒。一年有効なので、来年の今頃にはまた更新しないといけないんだけど、その頃までここにいるのかは?
でも、これで大手を振って仕事を探せますわニコニコ

先住民にスペイン、日本や中国などからの移民が混ざるペルーでは、食事も美味しかった!

まずは、ペルーといえばセビチェ。生魚をライムベースのソースと野菜でマリネしたもの。リマで行ったCebicheria La Marという店が最高!

マグロ、白身魚、魚介ミックスの御三家
photo:01


ウニのセビチェ
photo:02


セビチェは、日本人移民が何とかして生魚を食べようと工夫した結果生まれたそう。
photo:06

セビチェには、茹でたジャイアントコーンとサツマイモが必ず入っています。

お通し的なもの
photo:03

photo:05


プランテーンというバナナの仲間のチップス、ジャイアントコーンの一種の揚げたものとスパイシーソース
飲み物は、ペルーを代表するピスコサワー(ぶどうの蒸留酒と、卵白とライムジュースを混ぜたもの)

キヌア
photo:04


高度の高い痩せた土地でも育つ先住民の主食。それ自体には味がないので、スープにしたりサラダにしたり、膨らませてドライフルーツと混ぜてエネルギーバーにしたり。プチプチした食感。世界的ブームで、値段が上がってるそう。ゴメンなさい、私もよく食べてる…

あとは、私はアルパカのステーキを食べました。インカの人々が有していた動物は3種のみ、荷物を運ぶのにリャマ、アルパカは毛織物の原料と食用、ギニーピッグ(モルモット)も食用、だったそう。アルパカはちょっと臭みのある、でも思ったより柔らかい肉でした。ギニーピッグは遠慮したけど、丸焼きをレストランで見かけました。美味しいらしいよ。

以上、ペルー旅行でした!
南米というと、遠くてあまり知られていないが故に、どこも同じ様な国と思われがちですが、広い南米大陸、色んな文化があります。ブエノスアイレスでは全くと言って良いほど感じられないスペイン人上陸前の南米の歴史をヒシヒシと感じられるペルー、とても勉強になった旅でした。
ちょうど「guns, germs and steel」(日本語訳は「銃、病原菌、鉄」ジャレッド・ダイヤモンド著)という、人類の歴史の中で、なぜ特定の文化の人々が他の人々より優位に立つことが出来たのかを紐解く本を読み始めた所で、中にはインカ征服のことなども書いてあり、私的にタイムリーな旅行でした。

何はともあれ、マチュピチュは本当に感動。機会のある方は是非お勧めします。
今回の大物?で写真写りが悪いのが残念なホエザル。突如森の中に響き渡る地鳴りのような音。中南米に生息するホエザルと言う猿の、縄張り争いで聞こえる声なのだそう。ホラー映画かと思いましたよ…下のyoutubeのビデオで声が聞こえるよ。
www.youtube.com/watch?v=-vxlnZ8BihI

photo:04

photo:05

photo:06

photo:07

photo:08

photo:09

photo:10



あとは、バクが突然敷地内をうろついていたり、イモリ?ヤモリ?の様なものがバンガロー前で涼んでいたり、夜のジャングル探険でタランチュラを見たり、とにかく盛りだくさんな滞在。ちょうど雨季と乾季の間で、心配していた虫も少なく、ネットも電話も繋がらないのんびりした日々を過ごしました。

今までは船でしかアクセスできなかったこのエリアも車が通る様になり、乱開発が進んでいるとのこと。保護区内での金の違法採掘、気候変動による生態系の変化や、年々増す大雨洪水の影響など様々な問題があるとのことで、将来はどうなるのかわかりませんが、貴重な生態系を出来るだけ保護していってほしいと思う限り。
地上40mの高さの吊り橋から野鳥を眺める、と言うツアーもありまして。木造なので若干グラグラ。高所恐怖症の方にはお勧め出来ませんがね…

photo:01


この黄色いのはキツツキ、だったような…
photo:02


photo:03

photo:04

photo:08



独特の臭いがする、鶏のような鳥
photo:05


かわいい小鳥ちゃん
photo:06


キングフィッシャー
photo:07



フクロウも見ましたが、シャッターチャンス逃しました…
早速翌朝から探険に出かけます。このホテルは、宿泊費用の中に食事と各種探険ツアーが含まれているので、行かなきゃ損。
朝6:30出発で、湖に向かいます。雨季はもう終わっていたけど、大雨の影響がまだ残っていて、泥々の道を歩く。途中、色んな植物や動物をガイドさんが教えてくれます。
歩くこと1時間半、発見目
ちょっと写りが悪いけど、野生の猿!
photo:01

photo:02


私たちの頭上を自由自在に、枝から枝へと飛び跳ねていきます。すご~い!

湖で見かけた、南米にしか生息しないらしい、オオカワウソ
photo:03



昼間、木に止まって睡眠中のコウモリ
photo:04



ナマケモノ
photo:05

名の通り、微動だにしない

河岸でよく見かけた、カイマン
photo:06


クスコに2泊した後は、アマゾン川支流のタンボパタ国立自然保護区へ。
ペルーって、太平洋沿岸、アンデスの山岳地帯、ブラジルに接する熱帯地域という風に構成されているのだそうで、アマゾン川の支流であるマドレ・デ・ディオス川Río Madre de Diosのエリアは自然保護区になっています。アマゾンならではの動物や野鳥が見れるジャングル探険!

クスコから飛行機で1時間、プエルトマルトナドの街からボートで45分。ホテルに着きます
Inkaterra Reserva Amazónica
photo:01



川に面したバンガローに泊まります。
photo:03

実はこれより川側にもう一列3棟のバンガローがあったそうなのですが、今年の雨季の大雨洪水で最大20mもの敷地がえぐり取られしまい、バンガローも一緒に流されてしまったそうショック!ガーン
鍵はなく、夜中は蚊帳の中で眠り、野鳥の声で目覚める日々。ネットも電話も繋がらない4泊5日、最高!
photo:04

マチュピチュ訪問の翌日、列車でクスコに戻ります。

クスコ観光。90分の観光バスに乗ります。
大聖堂
photo:01


教会
photo:02


インカ皇帝住居跡(現在は宗教博物館)の石垣は、12角形など多角形の石がピッタリはまっていて、建築技術の高さをみせる
photo:03


郊外のインカ遺跡
photo:04

なぜかキリスト像が立つ

かつて黄金で覆われていたと言うクスコ。インカ人は金銀の精錬技術を持っていたそうで、スペイン人征服者ピサロに捕らえたインカ皇帝の身代金として、部屋一杯分の金と銀を要求したそうな(身代金払っても皇帝は殺されたんだけど)。
クスコに限らず、インカ帝国領内の街や建築物はスペイン征服時ほとんど徹底的に破壊されたそうですが、その後地震があってスペイン人が建てたものが倒壊し多くの人が犠牲になった時も、インカの技術で組み立てた建築物は残ったそう。ま、そんな風に世の中はうまく出来ている…

近年人口が増えていて、一大観光地でもあるクスコですが、街はユネスコの世界遺産に登録されているので、派手なネオンや高い建物などは規制されていて、落ち着いた町並みでした。

リャマを連れた観光客相手の写真引き
お金を払わないで写真を撮ろうとするとあっちを向いちゃう
photo:05



この左側の女子、赤ちゃんリャマ?アルパカ?を連れています
photo:07


赤ちゃんリャマ?アルパカ?可愛い
photo:06


マチュピチュの観光客のほとんどは夕方の列車でクスコ方面へ帰るので、午後はガラガラだよ、と聞いていた私。その日もマチュピチュ村に泊まる予定だったので、お昼を済ませてからさらに探険に向かった。パートナーはマチュピチュ山にも登ろう!とふざけた事を言っていたが、もう登山は結構えっマチュピチュの遺跡の裏側にあるインカ橋に行くことに。

これぞ、奈落の底って感じの切り立った谷肌に沿って作られた道を歩くこと15分
photo:01

photo:02

photo:05

右側はこんな谷。落ちたら捜索すらしてもらえないね… 高所恐怖症ではない私も、ちょっと足がすくむ感じ。

インカ橋に到着
photo:06


写真中央下に、山肌の一部が四角にくぼんでいてその上に丸太が載っているのが見えるかしら?あれです…

近づけるとこまで近づいてみた
photo:04



敵の来襲時、ここの丸太を取り払えば敵も渡って来れない、って言うことだそうです。ふむふむグッド!
その考えも納得だけど、それよりすごいのは、この登山道もインカ橋の両側も、石を積み重ねてある=インカ人が人工的に作ったってこと。こんな谷肌、足を踏み外したら確実に死が待っている場所にわざわざ石を積み重ねて道をつくり橋を作ったことに驚愕!叫び 一体どれ位の人が犠牲になったのやら…
橋の向こう側にも道が繋がっているのが見えますが、そこから先の山肌を見ていくと、この道はかなり遠くまで繋がっていた形跡が見えました。こんなところに攻めてこようという敵もすごいけどね。







下山して10時、まだまだ朝は早い!本丸を攻略しなきゃ~、ってことで、ガイドを雇って説明してもらうことに(マチュピチュ行きは私の案だったけど、実は中にどんなものがあるのか知らないうえ、パートナーは知識ゼロだったので)

アメリカ人ハイラム・ビンガムにより1911年に発見されたマチュピチュ遺跡。インカ時代は、皇帝の避暑地として使われていたそうで、人口は最大でも800人。書き文字もなく、車輪も発明しなかったインカ人ですが、1500年代半ばにスペイン人の征服により滅亡するまで、南はアルゼンチン北西部にチリ、北はコロンビアまでと広大な領地を誇っていました。マチュピチュは、80年で完成させたそう。感服!

段々畑
photo:01


太陽の神殿
photo:02

太陽神を崇拝していたインカ人。壁に空いた窓から、夏至冬至には太陽がまっすぐに入り込んで来るように作られたこの神殿。壁を構成する石がピッタリとお互いはまっていて、表面も滑らか。すごい技術を持っていたことがわかります。

石切場の跡
photo:06



photo:03

photo:05





ワイナピチュ登山、たかだか200mの高さ楽勝、と思っていた我がパートナー。登山口に来て、開口一番「え、コレ冗談でしょ?ショック!」と言い出した。いや、あなた登りたいって言ってたし!
確かに登山口から見ると、結構な勾配だし、登山道らしきものも見えず、ムリだろ~と思うのですが、実際登ってみるときちんと整備されています。
photo:07

photo:08


インカ人が作った石の階段で頂上を目指します。膝の悪い人と高所恐怖症の人にはオススメしませんが、眺めは絶景!苦労してチケット取って、早起きした甲斐がありました
photo:02

photo:03

photo:04

まだ頂上には到達していません。左手に見えるジクザグ道路が、バスで通ったマチュピチュ遺跡と麓の村を結ぶ道。
photo:06


頂上から下山していく道。足を滑らせたら奈落の底…
ワイナピチュ山は儀式の際に使われていたそう。山腹に月の神殿と呼ばれる建物跡もあります。