2018年10月21日、川越まつり午後の部。
11時半に午前の部の町内曳きが終わり、休憩をとって鋭気を養った連雀町は(その間も連雀町の太田道灌の山車は会所前に留め置かれ、雀會がお囃子を途切れさせず行っている)、12時半になると午後の部の山車曳行へ出陣して行く。
午前の部は町内曳きとして、町内のみを曳いて廻った山車。
(川越style「午前の部 川越まつり2018」町内行事としての町内曳き
https://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12413655776.html)
午後の部も、午前で行けなかった町内曳きと合わせ、川越市役所へ向かうという例年通りのルート。もちろんこれも、進むルートは事前に決めてあるものです。
連雀町の場合、午前、午後、夕方~夜の中で、最も複雑に市内を曳行するのが午後の部。
午前の町内をぐるりと回るルートや夜の本川越駅前交差点~札の辻の一本の道を行き来するというルートに比べ(中央通り沿いに会所があるため、夜はメインストリートを行き来するだけでいいという長所がある)、午後は町内回りから川越市役所に向かい、元町二丁目の会所、一番街と多様なルートを進むのが特徴。
川越市役所は、川越まつりとしてのスケジュールで、21日の午後に川越市役所前に山車が集まることが予定されていました。
・市役所前の山車巡業
市役所前を山車が巡行します。1ヵ所で多くの山車を見られるチャンスです。
21日(日) 13:30~15:00頃
(ちなみに川越まつり初日には、
・市役所前の山車揃い
市役所前に山車が勢揃いし、囃子を披露します。ずらりと一列に山車が並ぶ様は迫力満点です。鳶職人による木遣りも披露されます。20日(土) 14:30~14:50頃があります)
というように、両日山車の集結が見ることができる市役所。
二日目の川越市役所前は、時間きっかりに各町内の山車が集結するのではなく、1時間半という時間の中で川越市役所前に行きましょうという内容となっている。(初日の山車揃いは20分ほどの時間の中で行われるのでより集結した場面が見られる)
川越まつり午後の部、12時半になると、山車の周囲がざわつき出す。
祭り関係者だけでなく、沿道の観客も山車曳き出しの瞬間を待ち構えているのだった。
・・・と、その前に、連雀町の太田道灌の山車の横を、中原町の重頼の山車が通り過ぎて行く。
中原町との曳っかわせはどの町内も感慨深いものがあったはず。
中原町は重頼の山車を修理に出し、綺麗になった山車は4年ぶりに川越まつりに戻って来たのだ。
特に連雀町にとっては、お隣の町内であり、昨年までは中原町の会所まで山車を曳いていたという関係にある。これまでは山車同士を合わせることができず、会所に行くのみでしたが、ついにここに両町内の山車が競演しました。
重頼の山車は、養寿院にて元町一丁目の牛若丸の山車との曳っかわせも注目を集めていました。
(河越重頼の墓と牛若丸(源義経)の位牌が養寿院にあり、両町内の山車をここで合わせようと初めて試みられました。時間的に、その曳っかわせの後に連雀町でこうして行き違ったのでしょう)
重頼の山車を見送った後、曳き出しの儀式はもちろんここでも午前と同じ。午前・午後・夕方と全ての時間で山車曳き出しは同じ手順となります。
出発の時間になると山車から二本を綱を張り出し、曳き手達が握りしめる。そして、出陣前に職方による木遣りが行われて、余韻を残しながら終わるとすぐに頭(かしら)が拍子木を二つ打ち鳴らし、雀會がお囃子を始めるのと曳き手達が「ソーレー!!ソーレー!!」と山車を曳き始めるのが同時に爆発的に起こる。
静寂から急上昇する熱狂。
この山車曳き出しの瞬間は川越まつりの見どころの一つ。
午前の部は子どもたちの姿が目立ちますが、午後の時間帯になると大人の姿が目に見えて増え始め、掛け声の勢いも重厚感も増していく。
会所を出発した山車は、連雀町交差点から県道川越日高線を午前とは逆の方向に進んで行く。町内の西側に山車を進めるのだ(午前は町内の東側を巡った)。
県道の広い道を悠々と道灌の山車が堂々とゆく。
広い道の方が山車は曳きやすい、が、曳きやすいと力が入りやすく山車のスピードがぐんと上がってしまうため、「もっとゆっくり!!」と自重する声が宰領、副宰領等から飛ぶ。
連雀町交差点から一つの目の信号の交差点、glin coffeeさんとすずのやさんがある長屋を右折して大工町通りを北進。大工町通りは、連雀町とお隣六軒町の町境の道です。
この通りは川越まつりのメインストリートの一部中央通りから一本違いでありつつ観光客は皆無で、ギャラリーが居ない中を進むというのも町内曳きらしい風景。
という道も、簡単に進むことができるかというとそうではなく、大工町通りは電線が多いため、山車の上部が引っ掛からないようにしながら慎重に進まなければならない。
山車曳行に難しい面がある、というのはここでも裏を返せば職人の腕の見せどころであり、頭が山車の位置と電線の位置を確認しながら、山車上部に乗っている職方と密に意思疎通を図り、山車のスピードを調整しながら一本一本越えていくのだ。
大工町通りを直進してT字路まで来ると、右折して仲町交差点を過ぎ、松江町二丁目の浦嶋囃子連に挨拶し、川越キリスト協会のある川越街道へ。
川越街道に出ると山車を止め、街道沿いにある松江町1丁目、2丁目の会所方向に山車を向ける。
本来であれば、会所前まで山車を横づけて正面を回転させて向け挨拶するところですが、時間の関係上それが適わない場合は、こうして離れた場所からでも正面を向けて挨拶するのだ。
町内単位で運営している川越まつり、他町内への気配りは特に重視される。
川越街道を北に進み、クランクを華麗に曳行しながら大手町の会所の前で山車を停めて挨拶。
時の鐘を奥に見ながら通り過ぎてゆけば、見えてくるのが川越市役所庁舎。
午後の部の大事な目的地です。
遠くを見やれば、既に市役所前に数台の山車が集まっているよう。
先触(さきぶれ)が駆け出し、宰領・頭が状況を確認しに行く。
(先触は、自町内の山車が他の町内に踏み入って行く際に、前もって相手町内の会所に挨拶、通行の許可を得るために行く役、また、道の先の状況を確認し宰領や頭に情報を伝え山車の進行の判断の手助けをする役。どこの町内にも担当がいる)
川越市役所前に居たのは、新富町二丁目の鏡獅子の山車、岸町二丁目の木花咲耶姫の山車、川越市の猩猩の山車でした。
こればかりは来てみないとどの町内が来ているか分からないというもので、この時間にこの町内の山車が市役所に来ていたということ。
そして、連雀町含めこの4者が一堂に集まるというのは、結果として今年の川越まつりでこれが最初で最後になりました。
ここでまず、連雀町は市役所前交差点付近で待機。
現場で先触、宰領、頭が確認するのは、先に居る町内の山車はこの後どう進もうとしているのかということ。相手町内の担当にこの後の進路を聞き、それぞれの動きをイメージした上で、では、自町内の山車はこう進めようと判断が生まれていくのだ。
この場面では、あの3台の集結の中に入って行って複数台による曳っかわせの可能性もありました。
ただ、相手町内の時間の都合次第。
残り時間と残りルートを考えて、もう今市役所を離れようとしているのかまだ留まれるのか。
岸町二丁目は川越市役所から初雁城通りを東へ行くことが分かった。
新富町二丁目は市役所から本町通りを西へ、札の辻へ進むことが分かった。
ということから、岸町二丁目とは合わせられませんでしたが、新富町二丁目は市役所前交差点を通って行くことになるため、そのタイミングで合わせましょうという手打ちに。
こうした段取りを経て、市役所前交差点にて連雀町太田道灌の山車と新富町二丁目の鏡獅子の山車の曳っかわせが行われました。
その後は、市役所駐車場に山車の正面を向け、川合市長、観客に挨拶。大きな拍手が送られました。
広い場所で色々な町内の山車が見られるという点では、川越市役所駐車場が最適でしょう。(ただし、間近で見られるかどうかは場所による)
本町通りを西へ進むと、通りで向こうからやって来た六軒町の三番叟の山車と行き違い。六軒町はこれから市役所に向かうということでした。少し時間がずれていたら、市役所前で連雀町と六軒町が合わせる場面が見られたかもしれない、これは時の運としか言いようがない。だからこそ、一つ一つの曳っかわせは全てドラマチックなのだ。
本町通りを進んで札の辻まで来ると、ここは特に川越まつりで賑やかな場所。
各町内の先触が様子を見に集まって来ている。(「先触」という襷を掛けているのがその役。他に運行責任者の「宰領」、「副宰領」も襷を掛けています)
ほとんどの山車が札の辻を通るということもあって、山車の行き違いに神経を使うため、どの町内もここに入って来る時は「札の辻近辺には今どの町内の山車がいるのか、どの町内がやって来るのが見えるか」と先触が前もって情報収集にやって来ているのだ。
札の辻に来ると、先ほど市役所を先に出た新富町二丁目が一番街通りに見え、北からは宮下町の日本武尊の山車がやって来るのを確認。
宮下町の通過を確認して連雀町は札の辻を横切り、さらに西へ、高澤通りを真っ直ぐ進んで行った。
この先にあるのは、元町二丁目の会所。そこに挨拶に行くルートをあらかじめ予定していたのだ。連雀町にとっては、市内の最北西の地点に来たことになります。
会所前で山車を向けて挨拶。雀會の囃子がひと際高鳴る。
相手町内の側も、他の町内の山車が会所にやって来る際は会所前でみなで迎え入れるのが礼儀。これはどの町内に行く時も、どの町内が来る時も同じです。
元町二丁目の会所から札の辻に戻り、直角カーブを一気に曲がり、一番街は真っ直ぐ南進。
一番街は電線がないため、どの町内も人形をせり上げて曳行するのが特徴です。
一番街でも要所要所で山車を停め、正面を向けて挨拶していくことに変わりはない。
通り沿いの居囃子の前で停まるのも礼儀。
悠々と一番街を進む山車は、やはり、一番街の町並みに山車は良く映える。
この蔵造りの建物の街並みには、川越まつりの山車と祭り衆が最も良く似合うのではないか、改めて確信するのだ。
これが川越、と一言だけで言うなら、そういうことでしょう。
進んで行くと、ちょうど、一番街にある埼玉りそな銀行前で鈿女会囃子連と曳っかわせ。
そして、宮下町の日本武尊の山車と合わせることができた。
宮下町はそう、先ほど札の辻で行き違った町内。
あの時は合わせるタイミングではありませんでしたが、ここで曳っかわせを行うことができた。
これも、札の辻で別れた際に、お互いの町内は「また別のタイミングで合わせましょう」と手打ちしており、お互いのその後のルートを考えて、きっと埼玉りそな銀行前辺りで合わせられるかもしれない、そんなイメージを持っていただろう。少なくとも頭はそのイメージを持っている。
山車曳行というのは、将棋の世界で何手先を読んで打つというようなものと同じで、自分の町内の曳行だけを考えればいいものではなく、自分の町内のルートを読みながら、相手町内のルートを読み、この後あの辺りで合流するかもしれない、とその読みであらかじめ手を打っていくのが川越まつりの山車曳行。山車曳行における職人達の凄みです。
埼玉りそな銀行から南進し、鴨田囃子連の居囃子に挨拶。
仲町交差点を過ぎて、仲町の会所と居囃子に向けて曳っかわせ。ここではちょうど、松江町二丁目の浦嶋の山車と仲町の居囃子と合わせ、三者による曳っかわせを行いました。
あとは中央通りをそのまま南へ進めば、連雀町会所へ帰還。
午後12時半に会所を出発し、午後4時過ぎに到着という3時間半の行程でした。
ここまでで山車曳行の時間は、午前と合わせ5時間を超えました。
夜の部はここからさらに3時間半です。
曳く力だけでも相当必要な上に、方向転換など難しい部分も多い山車曳行。
祭り衆は確かに疲労はありますが、ここまでくると、いよいよかという興奮が高まってくるのも事実。
そう、いよいよ夜の部が始まる、という期待が、疲れを一気に吹っ飛ばすのだ。
2018年川越まつり。
夜の部、川越人の本気の祭りが始まろうとしていた。