川越style「夜の部 川越まつり2018」10月21日 川越まつりの本気の夜 | 「川越STYLE」

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2018年10月21日、川越まつり。

夕方になると中心市街地はさらに人が増え、中心部全体が立錐の余地もない状態になっていった川越。

いよいよ川越まつりの本気、夜の部に突入していこうとしていた。

午前の部の町内曳き、午後の部の市役所含め広範囲な曳行、午前中から計5時間以上の山車曳行を行って、さすがに疲労の色が見える連雀町の祭り衆。

がしかし、やはり祭り人の本能で、日が暮れるにつれ目が輝き出し、興奮を抑えられない状態になっていくのだ。

午前・午後がまだ抑え目な序章だとしたら、夕方からいよいよ祭りの物語は躍動し、激しさを増し、クライマックスから大団円を迎えるのだ。

川越まつりの夜が始まる。本当の川越まつりが始まる。どの衆の目にも決意の色が表れていた。

午後6時。

山車の周りに再び祭り衆が集まり、山車から二本の綱を前方に伸ばしていく。

頭(かしら)を中心に職方たちの木遣り(きやり)による山車曳き始めの儀式が行われる。

午前・午後共に山車を曳き出す時に同様の儀式があり、この日三度目。

写真からこれまでとは違う決意が祭り衆の顔に表れていることが分かるでしょうか。

三度目でありこれで今年の川越まつり最後・・・という、見納め、聞き納めの寂しさも漂う。

木遣りが終わると拍子木の合図で祭り衆が綱を曳き始め、山車に乗る囃子連の雀會が囃子を始める。

「ソーレー!!ソーレー!!」と太田道灌の山車がゆっくりと夜の川越まつりへと出陣していったのだった。

夜はやはり、曳き手達の掛け声の気迫が日中とは段違いで、腹の底から全力で声を出して山車を前に進めて行く。これが夜の川越まつり。これが迫力の連雀町の山車曳行。

連雀町交差点近く、中央通り沿いの会所を出発した山車は、まず本川越駅方面へと真っ直ぐ向かっていった。

夜の部の川越まつりは、各町内、事前に予定したルートが、本川越駅~札の辻、あるいは川越街道というように、辿る道が重なるのが特徴。特に、本川越駅から一番街の札の辻までの一本の道をメインストリートとして各町内がここを目指してくる。ゆえに、この一直線の中で複数台の山車による曳っかわせが観ることができるということ。

複数台の曳っかわせは、本川越駅前交差点、連雀町交差点、仲町交差点、一番街埼玉りそな銀行前、札の辻といった地点で見られることが多く(複数台入れ込めるスペースがある)、だが、どこで一番曳っかわせが行われるのかというのはその場の状況次第でもある。

川越まつり初日に雨が降ったことで、予定を変更した町内も多かった。

それを踏まえての二日目であり、二日目最終日に燃え尽きる覚悟で臨んでいた町内が多いことを考えると、どこの山車曳行も無難にいくより攻めていくのではないかという予想もできました。

 

連雀町太田道灌の山車は、出発から北へ札の辻方面から進む年もありましたが、今年はまず南から回っていくルートを予定。本川越駅前交差点まで行き、来た道を戻り札の辻まで行き、そして会所に帰って来る。

午後6時に出発し、午後9時過ぎには見切りをつけて会所を目指して戻って来なければならない。9時20分には山車を格納する予定となっていた。時間一杯まで山車を曳き続けるのではなく、会所に戻って格納する時間から逆算して曳行する。

さらにそこから仕舞いの儀式があり、ここまでを含めての夜の山車曳行である。そして午後10時に市内に敷かれた交通規制が解除されるという川越まつりスケジュール。

 

中央通りを南下する道灌の山車は、町内の要所や居囃子、開催本部で山車を停めては正面を向けて挨拶し、またゆっくりと南へ進んで行くのだった。

 

ちょうど武蔵野銀行前で新富町一丁目の家光の山車を合わせて曳っかわせを行う。

お互いの山車が正面を向き合い、いや、現場の職方達が職人技で山車を向かえ合わせ、さらにそこから、じりじりと山車同士の距離を詰めていく。

ぶつかるかぶつからないかというギリギリの距離まで近づけていく場面は、ハラハラしながらも見上げる祭り衆の興奮が高まっていく。これ以上近づけると提灯がぶつかる・・・という間近に、頭は拍子木を打って、山車を止める指示を出すのだ。

自町内の山車だけでなく、相手町内の職方達とも息を合わせた現場の妙技。

ここにも川越まつりの醍醐味が詰まっている。

山車と山車の間に祭り衆が入り込み、提灯を上下させ雄たけびを挙げて両町内の曳っかわせを盛り立てる。

南進する連雀町と一番街方面の北へ進む新富町一丁目が必然的に合うことになる。

夜の部最初の曳っかわせが新富町一丁目というのも因縁深い。連雀町とは隣接する町内であり、これまで数々の劇的な曳っかわせを魅せてきた関係。

その後も、こちらも中央通り沿いにある中原町の重頼の山車との曳っかわせは、午後の部のスタートに合わせて以来の遭遇。中原町も北へ進む行程であり、南下してくる町内と必然的に曳っかわせを行うことになる。

 

大まかに言うと、川越のまつり夜の部は、中心市街地の南部町内はまずは北へ進むルートを取り、北部町内は南へ向かうことから始める。そして通りで行き違うことになり、挽っかわせが生まれるのだ。

本川越駅前交差点が見えてくると、祭り衆のボルテージが上がっていく。

本川越駅前交差点と言えば、現代の川越まつりでは、複数台の山車の曳っかわせのメッカともなっており、ここに来れば他の町内と合わせる可能性が高いのだ。

遠くを見通すと、山車がきらめいているのが見える。どこの町内だろう、みな提灯に記された町名から探ろうとしていた。

先に駈けていた先触が交差点の情報を持ち帰って来た。

岸町二丁目の木花咲耶姫の山車と六軒町の三番叟の山車、西小仙波町の素戔嗚尊の山車だということが判った。

交差点の真ん中と付近に三台の山車が居る。

ここで祭りの現場は一気に慌ただしくなる。

あの三つの町内はこの後どう動いていくのか。

それを確かめて自町内の山車の動きを決めていくのだ。

交差点の真ん中で合わせる(曳っかわせをやるのか)、ここでは見送るのか。

複数台の山車の曳っかわせというのは、そこに居る全ての町内の都合が合わないと実現できないもので、これはタイミングが全て。

午後6時半、夜の部早めの時間というのは、まだ時間に余裕があるからここでやりましょうとなるのか、時間が早いから先にルートを消化したいと思うのか、それぞれの町内の考え方がある。

ここでは、西小仙波町は先を急ぐということで、合わせずに交差点を北へ進んで行くことになった。

そして他の二つの町内は交差点に留まるということで、連雀町含めた三町内の曳っかわせを行う手打ちとなった。

行き違う西小仙波町とはもちろん山車を合わせて曳っかわせを行って見送る。

 

そして、本川越駅前交差点で合わせた、連雀町道灌の山車と岸町二丁目の木花咲耶姫の山車、六軒町の三番叟の山車の三台の山車。

各町内の山車が正面を向い合わせ、各町内の祭り衆がその間に入り込んで提灯を乱舞させながら雄たけびを挙げる。山車を祭り衆、その光景の、なんという幻想的。

 

六軒町の三番叟の山車が北進して行くのを見送った後に、本川越駅前交差点にやって来たのが、新富町二丁目の鏡獅子の山車。新富町二丁目も北へ向かうルートを予定しており、本川越駅前交差点は通って行くことになるので、ここで合流するのは必然的。

夜の部は、その後の道のりはバラバラなためどこで合うかはタイミング次第ですが、スタート直後の時間は本川越駅前交差点は複数の町内が特に合いやすい。

中央通りは拡幅されたこともあり、複数の山車が入れ込んでも余裕があり、観客にとっての曳っかわせ観覧のポイントとしても高い場所。

 

本川越駅前交差点を折り返し地点に、ここからUターンして、中央通りを北へ進路を取る連雀町道灌の山車。(残念ながら本川越駅前交差点からさらに南下するというルートをとることはほとんどない。本川越駅前交差点~札の辻が山車曳行のメッカになっている)

ここからは南進して来る町内と合わせることになる。

中央通りでは、再び居囃子や会所など要所要所で山車を停めては正面を向けて挨拶するのは変わらず。

新富町一丁目の家光の山車とも再び合わせ、さらに松江町二丁目の浦嶋の山車とも曳っかわせ。松江町二丁目とは、午後の部の最後に合わせて以来。

 

夜の部スタートから一時間半、午後7時半に連雀町交差点に戻って来た連雀町道灌の山車。

(連雀町交差点~本川越駅前交差点という距離を一時間半掛けて山車曳行して来たということ)

ここで連雀町は山車曳行を調整するタイミングになった。

というのも、連雀町交差点から北を臨むと、各町内の山車が通りにいくつも停まっていて、これ以上進むのが困難だったのだ。タイミングでこういうこともあり得る。

前に進めないのであれば、交差点で待機して、南下して来る山車をここで迎えて合わせるという選択も山車曳行にはある。

曳行と言うと、曳くという動的な動きを連想しますが、川越まつりの山車曳行には、待つという曳行の大事な選択もあるのだ。

前の山車を無理に追い越しては行けない、道を譲り合い、前に進めないなら待って時機をみる、その判断にも川越まつりの粋が詰まっている。

連雀町交差点へ南下して来た、元町一丁目の牛若丸の山車と合わせる。

連雀町交差点で待機していると、前方の道が空いてきたことを確認して、再び前進していく連雀町道灌の山車。

中央通りで通町の鍾馗の山車と合わせる。通町はこのまま南進して自町内の会所に戻るルートになるでしょう。ということは、もう合わせるタイミングはやってこない。今年の川越まつりでこれが最後の両町内の曳っかわせになる、もちろんそうした事情も現場は把握しながら熱く曳っかわせで盛り上がるのだ。

ちなみに、元町一丁目の牛若丸の山車は、南進した後、北へ戻って来るので連雀町とは通りのどこかで合わせるタイミングがあるはず、お互いの町内はそこまでをイメージして、またあとで会いましょうと別れているのだ。(そして元町一丁目とは全くその通りになった)

今年の川越まつりは19台の山車が出ていると言っても、全ての町内と合わせることができるかと言えば、否。

同じ町内と何度も曳っかわせが出来るかと言えば、否。

一つの町内と一度きりの曳っかわせで終わるというパターンも多く、だからこそ、川越まつりでは一つ一つの曳っかわせを大事に行うのだ。

午後8時。蓮馨寺付近で仙波町の仙波二郎の山車、新富町二丁目の鏡獅子の山車、旭町三丁目の信綱の山車との曳っかわせ。両町内とも自町内の会所に戻ろうとしているところで合わせた。

ここで、川越まつりに関わる人であれば、この時間で旭町三丁目がここに居ることにきっと驚いたはず。旭町三丁目は、川越駅西口から国道16号を越えて南にある町内。この時間にこの場所に居て、町内に帰ることができるのか、と。。。

その事情はのちほど明らかになる。

 

午後8時になると、会所に戻らなくてはならない時間を気にしはじめてくる頃。

連雀町は・・・実は札の辻まで行くルートを予定しており、8時で蓮馨寺だと札の辻まで行くのはさすがに難しいのではというムードが漂い始める。

予定は予定で、必ず消化しなくてはならないものではないですが、ここからは、午後9時20分に会所に戻り山車を格納することを念頭にどこまで前進できるかという時間を気にしながらの曳行になっていく。

 

仲町交差点を越え、いよいよ一番街へ入って行く。

通りで中原町の重頼の山車と川越まつり三度目の曳っかわせ。三度目であり、結果として今年最後の曳っかわせ。中原町とは親しい間柄であり、三度も合わせられるというのは(結果として回数は一番多かった)やはり相当な因縁。

そして一番街で六軒町の三番叟の山車とも今年最後の曳っかわせ。

 

埼玉りそな銀行前に着いた時、時間を確認すると、午後9時になろうとしていた。

もうここまで。

連雀町の会所まで戻る時間を考えると、これ以上進むことを断念し、埼玉りそな銀行前で最後のクライマックスの曳っかわせを魅せようとした。

新宿町囃子連の居囃子に合わせ、そして、南からやって来たのが、旭町三丁目の信綱の山車。

旭町三丁目の山車が午後9時に居る。なんということでしょう。。。!

という理由は、旭町三丁目の信綱の山車はこのまま川越まつり会館に入れて展示する予定になっていて、一番街を北に向かっていたのだった。

次回展示予定になっている町内の山車は、川越まつり会館に曳いて行けばいいため、中心市街地から離れた町内でも遅い時間でもこうして一番街で曳っかわせを行うことができる。

一番街、埼玉りそな銀行前にて、連雀町道灌の山車、旭町三丁目の信綱の山車、新宿町囃子連の居囃子(そして埼玉りそな銀行)での曳っかわせ。

結果として、今年の川越まつり最後の複数による曳っかわせであり、今年のクライマックスとなりました。

ここを最後の地点として、ホームである連雀町会所に戻る。

と、通りで元町一丁目の牛若丸の山車がやって来たのが見える。

そう、先ほど南へ向かってまた戻って来るだろうためどこかで合うと想定していた元町一丁目、ここで合わせることができ、そして、連雀町にとって、山車と合わせる最後の曳っかわせとなりました。

ここからは通を真っ直ぐ会所に帰って行く。

要所で山車を向け、祭り衆は川越まつりが終わることを噛み締めながら力を振り絞って曳っかわせを魅せるのだった。

仲町交差点を過ぎ、仲町の会所や居囃子に山車を向け、さらに中央通りを南進してホームへ帰る連雀町。

会所に戻って来ると、ここで静かに終了・・・とはならず、祭りの余韻を楽しむように山車と祭り衆は会所前に時間ぎりぎりまで留まっている。

ついに公道から敷地内に山車を曳き入れる際、祭り衆からは歓声と嘆声と、そして沿道の観客からは拍手が送られました。

ここからは祭りの仕舞いの儀式、最後に職方による木遣りや自治会長による手締め、直会が行われて、二日間にわたって開催された川越まつりは幕を閉じたのでした。

今年は昨年の雨の反動から、盛り上がりが凄まじく、観光客数としては

10月20日(土)43万6千人、
10月21(日)53万人、2日間で計96万6千人となりました。

今年は平成時代最後の川越まつりで関係者の意気込みは相当なものだった。

そして来年は、新元号となって初めての川越まつりとなり、また意気込む大きな理由があって、盛り上がることは必至でしょう。

 

川越まつりの街、川越。

 

川越まつりを中心に、また川越の一年が回っていく。

 

2019年川越まつりまで、いよいよ12ヶ月を切りました。

 

平成30年度 川越まつり参加一覧 
旭町三丁目 信綱の山車
大手町 鈿女の山車
岸町二丁目 木花咲耶姫の山車
三久保町 賴光の山車
新富町一丁目 家光の山車
新富町二丁目 鏡獅子の山車
末広町 髙砂の山車
菅原町 菅原道真の山車
仙波町 仙波二郎の山車
通町 鍾馗の山車
中原町 重頼の山車
西小仙波町 素戔鳴尊の山車
松江町二丁目 浦嶋の山車
宮下町 日本武尊の山車
元町一丁目 牛若丸の山車
連雀町 道灌の山車
六軒町 三番叟の山車
脇田町 徳川家康の山車
川越市 猩猩の山車

 

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