初雁球場に、川越高校が帰ってきました。
川越で高校野球といえば初雁球場。
今年は何日の何時にどこの学校が初雁でやるんだろう、
川越の方なら必ずチェックしているくらい、
初雁球場で、高校野球を見るのを楽しみにしている方は多い。
この日初雁球場には川越勢は2校登場。
地元川越で試合することの注目度は高く、
午前中の試合から、スタンドには多くの方が詰めかけていました。
ソワソワする雰囲気が伝わる。
OBであるとか関係なく、初雁球場で川越の学校を応援する、
それも川越の人に根付いた文化であると言えます。
第96会全国高等学校野球選手権埼玉大会、
川越高校は初戦、
熊谷公園球場で行われた進修館高校戦を10-0のコールド勝ちを収め、
順調な滑り出しで二回戦
いよいよ初雁球場に戻ってきました。
対戦するのは、日高高校。
初戦が終わった時から、
「次はかなりの人が応援に来てくれるはずです」
と聞かされていた初雁球場。
学校のすぐそばにある初雁球場は歩いてすぐにある球場、
まさに川越高校のホームグラウンドです。
この球場で、川越高校の学ランを着た応援部による応援歌を聞くと、
いつもたまらない気持ちになる。
時代が変わり人が変わっても、
変わらない応援の型と歌がある。
それがスタンドで始まれば、すべての年代の人を結びつけ一つにする力がある。
そして、今も高校生が同じように応援を魅せる、
その確かさに、受け継がれる伝統の真髄を見るようです。
OBの方が、初雁球場は自分達にとって大事な場所だった、と語り、
今の選手も応援部も、
「初雁球場は自分達の場所」
と話します。
校内のグラウンドで、野球部の練習している声は初雁球場に届いていたでしょう、
屋上で大声を出して練習していた応援部の声も、初雁球場に届いていたでしょう。
この球場で負けるわけにはいかない。
今日は自分達の場所で、伸び伸びとプレーしてくれるはずです。
球場には、初戦の熊谷公園球場とは比べ物にならないくらい、
たくさんの方が駆けつけていました。
保護者の方に、OBに、在校生に、地元の方に、
一塁側スタンドは川越高校応援で埋め尽くされていました。
特にOBの方は相当数来ていた。
OBが他のOBを誘ってみんなで応援に来る、
差し入れを持って激励に来る、
大学の都合を付けて駆けつけた近年のOBの集まりから、
当時の色あせた帽子をかぶった何十年も前のOBもいて、
「今日は30人で来ました。ここで試合する時は、必ずOBが集まるんだよ」
と、ベンチ裏の席に陣取っていました。
そうして各年代のOBがあちこちに集まって、
自然とスタンド中に年代の層ができている様子は、
一つの学校だけのOBで、ここまで幅広く集まっているのは、
他の学校ではありえない光景です。
川越の歴史まで想いを馳せました。
一塁側スタンドを紐解くことは、川越の歴史を紐解くことのようだった。
川越にとっての川越高校の意味合いを改めて実感させられます。
初戦のコールド勝ちの話しが駆け巡り、
中には「50年ぶりに来た」というOBもいました。
今年は強い、とグラウンドを選手たちを見つめていました。
高校野球は、プレーする選手が主役だけれど選手だけのものではない。
多くの方のサポートで成り立つものだと、
スタンドの光景を見ると思うし、そのことは綴りたい。
特に保護者の方の献身的なサポート、
千羽鶴作りや応援しつつも周りに気を配り
飲み物の準備など全ての雑用をこなす姿は、
自分も野球をプレーしているくらいの、大人の青春そのものです。
試合前のノックを見つめる保護者の方は、
「公式戦だけではなく、時間があれば練習試合にも応援に行っています。
みんな一生懸命練習している。今日も絶対やってくれます」
と話していました。
野球部員も増えて保護者の方も増えた、
スタンドは紫色のTシャツで埋まっています。
そして、
「今日も全力で応援します!」と語る応援部の幹部3年生の声は、
ガラガラになっていた。
初戦から喉がつぶれるほど声を出し、
ここからまた全力で声を出します。
吹奏楽もこの試合にも同行。
「他の部の応援で演奏していますが、野球応援した自分たちの集大成」と話し、
夏の大会は最後まで演奏し続けるつもりだ。
スタンドの盛り上がりに吹奏楽は欠かせない。
初戦の応援を通して応援部との連携を深めることができた。
例えば、コンバットという曲を一回やるのか二回続けるのか、
応援部の指示が吹奏楽に上手く伝わって、
間を作らないで応援し続けることができる。
スタンドを迷わせないで気持ち良く応援してもらうために、
応援部と吹奏楽の縁の下の力が支えています。
1年生の応援部員も、貴重な夏の大会の経験が今回で二回目となって、
ゆくゆくはきっと大きな財産になっていくのではないかと思います。
疲れた様子も見せず、キビキビと動いていました。
スタンドには、一年生応援部員の親御さんの姿も。
「応援部には自分から入りたいと入部したんです。
今は応援にのめりこんで練習しています」と話します。
10:00。
それまで空を覆っていた雲が薄れ、陽射しが降り注いできました。
太陽を浴びて輝く芝、球場。
いよいよプレーボールの時です。
一回の表、日高の攻撃。
川越高校のマウンドには、2年生ピッチャーの河本選手が上がりました。
一球ごとにスタンドから声援。
「河本いいぞ!」「OK!OK!」
後攻ですが、スタンドは全員立ち上がってピッチャーに視線を注いでいます。
「押していけ!」
三振に打ち取る。
「ナイスピッチ!ナイスピッチ!川高!」
声援の声が半端なく凄い。
これがホームの雰囲気。
これが初雁球場の川越高校。
選手だけでなく、応援部も、吹奏楽部も、OBも、保護者の方も、
みんなの表情が軽やかに伸び伸びしているようだった。
絶叫する応援部の声がかき消されるくらい、
みんなが絶叫していた。
スタンドの声が、ピッチャーを勇気付け、試合の流れを作っていく。
燃えさかるような声援が続いていく。
無事に一回の表を0点に抑えると、
その裏から川越高校の猛攻が始まりました。
「コンバットからいくぞ!最初から声出していくぞ!!」
一塁にランナーを置いて、センター前ヒット。
早くもノーアウト、一二塁のチャンスを迎えました。
「フレー!フレー!川高!!」
「フレー!フレー!川高!!」
「フレー!フレー!日高!!」
「フレー!フレー!日高!!」
ランナー、一三塁で、バッターが打った打球がセカンドに。
それを見て迷わず本塁に突っ込む三塁ランナー。
息を飲んでランナーの行方を追うスタンドの瞳。
セカンドゴロの間にランナー生還。川越高校一点先制!
爆発する喜び、盛り上がりは最高潮に達した。
すぐに肩を組んで始まった第一応援歌。
「奮え友よ 奮い立て今
初雁の校旗はためく武蔵野に
鍛えし我等
栄光の伝統守り
熱血の闘魂高く
今こそ誇れ
勝利の王座 勝利の王座
川高 川高 川高 川高
おお我が川越高校」
この調子ならいけるぞ、みんなが今日に期待していた。
団長がスタンドに向かって声を張り上げる。
「一点先制した!
この調子でいけば勝てる!!
これからも応援よろしくお願いしたい!!」
「オー!!」
メガホンを叩く音が響き渡る。
さらに一点を追加して、この回終了となりました。
一回終わって、2-0。
この日も川越高校が先制する展開となりました。
二回の表、日高の攻撃は、
レフトに大きなあたりが上がり、一瞬ヒヤッとしたが見事キャッチしてアウト。
「いいぞ!」「落ち着いて!」「その調子!」
初回からピッチャーが安定している。
危なげなく後続のバッターも抑えて、この回も0点で裏の攻撃に移ります。
「ナイスピッチング!」
川越高校のコーチがスタンドから
マウンド上のピッチャーの様子を見つめていました。
週2回ほど教えていっているというコーチは、
昭和32年の川越高校野球部OBの方でした。
「この時期にいい形で仕上がってきた。
一人一人力つけて、いいチームになりましたよ。
選手にはあれこれ教えるというより、
ヒントを与えて自分で考えるように教えている。
それで出来る子ばかりだし、成長の手助けをしたい」
と、選手を見つめていました。
二回の裏の川越高校は、
センターオーバーの二塁打を足がかりに点が入った。
その後送りバントでランナーを三塁に進め、
ライト前ヒットで4点目。
「さあ、ファイト!ファイト!」
この日も打線が繋がり、順調に点を重ねていきます。
常にみんな声を出している。
選手と一緒に戦っていた。
三回の日高の攻撃も、ピッチャーの力投から簡単にツーアウトに。
最後は三振に仕留め、スリーアウトチェンジとなりました。
三回の裏の川越高校の攻撃はビッグイニングとなった。
ノーアウトから二塁に進め、
「ナイスラン!」
「カッセー矢嶋!カッセー矢嶋!」
ランナー三塁から、三塁線を抜けるヒット。5点目が入りました。
「ソーレ!川高!ソーレ!川高!」
「ソーレ!金子!ソーレ!金子!」
ライト、ライン際にボールが飛んでいく。6点目。
何度も初雁球場に響く、第一応援歌。
一塁側スタンドの応援が凄まじい。
この応援がバットに乗り移って、ヒットを重ねているようだった。
そして、ベンチ裏にいるOBも
じっとグラウンドを見つめていた。
帽子やTシャツから川越高校OBと分かる方の中には、
なんと60年前のOBがいました。
今から60年前の昭和29年は、川越高校は埼玉で優勝した年、
翌昭和30年には埼玉準優勝という輝かしい成績を収め、
今言われる古豪という名称は当時の活躍からでした。
その当時の野球部全学年1、2、3年生のメンバーでこの日の応援に来ていました。
「初雁球場は自分達のホームグラウンドですよ。ここに来ると血が騒ぐ」
と、やはりそう話し、
「野球は青春そのもの。練習はたくさんしたし、
ボールの糸も自分達で手縫いしてた。
当時は夢中で野球やってた。
中学、高校、大学で野球やったけど、高校が一番楽しかったな」
と振り返っていました。
そして、「今でも上下関係は残っているんだよ(笑)」と、
当時一年生だった方は、60年経った今でも一つ上の先輩には頭が上がらないと言います。
横から話しに入ってきたのが、当時剣道部だった方。
「野球部から、今度試合があるから、
剣道部員の連中を連れて応援にきてくれと頼まれたことがあったよ。
俺は声でかいからよく頼まれてた」
と振り返り、
「そんなことあったな。あの時はありがとよ」
と、野球部員の方が返事をしていました。
昨日のことのように話すあの時は、60年前。
60年前が、あの時。
今の高校生でも、他の部に「今度試合があるから」と応援を頼むことがあるはず。
この日のスタンドにも他部から応援に来ていた。
そうして、60年後にも、
「あの時はありがとよ」と
このスタンドで言葉が交わされる日が来るかもしれない。
センター前ヒット。一点追加。
「ナイスバッティング!」
「この調子でいこう!」
「まだまだこれから!」
ランナー二塁から送りバントで塁を進め、
ライト前ヒットでさらに一点追加。
そして、昭和29年、30年組のすぐ後ろに、
昭和34年の野球部OBがいました。
昭和34年といえば、そう、川越高校が甲子園に出場した年です。
第41回大会の甲子園に出場した同学年メンバー4人も、
初雁球場に駆けつけていた。
「自分達は小柄なチームだったけれど、ピッチャーが良かった。
なにより家村監督のチームワークを大事にしたチーム作りが良かった。
守りの野球で勝ち上がっていったんです」
当時は、埼玉だけでなく
西関東大会を勝ち抜かないと甲子園に出場できなかった。
壮絶なトーナメントを勝ち上がって、
西関東の代表として甲子園に出場した川越高校。
当時から応援部はあったけれど、吹奏楽はなかった。
今、演奏で応援を盛り上げる吹奏楽を見つめ、
吹奏楽があると違うな、と話していました。
スタンドを動き回る応援部員、
スタンドを鼓舞し盛り上げ、一体となるよう常に動いて声を出していました。
ワンナウト三塁。
「かっとばせ!」「落ち着いていけ!」
レフと前ヒット。連打が続いて7点目、8点目と重ねていきます。
そして、この回7点入れ、三回終わって11-0となりました。
四回も表の日高の攻撃は、三者凡退で終わり、
裏の川越高校の攻撃は、点差が開いても緊張感は持続していた。
「気抜かないでいけ!」「まだまだこれから!」「ファイト!」
スタンドをさらに引き締めるように、応援部員が
「お前ら声小さくなってんじゃないか!」
スタンドに気合を入れ直すために、
「水をかぶりたいと思う!」と宣言し、
一回、二回、三回、水をかぶる!
すぐに応援歌凌雲が始まる。
「中泉頑張れ!」
「ソーレ!川高!ソーレ!川高!ソーレ!川高!」
ノーアウト、二三塁から内野ゴロの間に本塁生還。一点追加。
この回も怒涛の攻撃が続き、点を追加していく。
興奮のスタンドの中でも、
応援部員は静かに打ち合わせをする姿があって、
どう進行させ、盛り上げると話し合いながら進めています。
誰に指示されるものでもなく、自分達で考えスタンドを作っていく応援部員。
そんな現応援部員と同じスタンドに、
昭和34年、今から55年前に甲子園に出場した時の応援部の方も見守っていました。
「自分が一年生の時に甲子園出場した。
当時の応援部は、部というより団。
柔道部や卓球部の主力が集まって、試合の時に応援していた。
番長の集まりだったよ(笑)
初雁球場の前に立ち、本丸御殿に向かって練習したこともあった 」
初雁球場に母校の応援に来たかった、
今日だけは来たかった、と話していました。
川越高校、四回の攻撃では9点加えて、20-0とした。
五回の表の日高の攻撃を抑え、5回コールド勝ちとなりました。
投げてもランナーを許さないピッチングに、
繋がる打線、大野選手のランニング本塁打も飛び出し、
打線が爆発した川越高校でした。
二試合続けてのコールド勝ちは記憶にない、信じられない、と
口々に語るスタンドのOB。
喜びに浸るのもつかの間、
すぐに校歌斉唱とエールが始まりました。
「フレー!フレー!川高!」
「フレー!フレー!川高!」
三塁側、日高高校スタンドに向き直り、
「フレー!フレー!日高!」
「フレー!フレー!日高!」
最後に、熱心に応援してくれたスタンドに向かって、
応援団長による挨拶で締めくくりとなりました。
「このまま次の試合も勝てるだろう!
次もぜひ応援に来ていただきたい!
本日はどうもありがとうございました!!」
初雁球場で試合ができて、勝つことができた。
しかも続けてコールド勝ちというこれ以上ない流れで来ています。
炎天下で動き続けた応援部員も、この日の応援は思い切り表現できた、と語り、
やっぱり初雁球場にたくさんの方が来てくれると楽しい、と振り返っていました。
応援に来ていた在校生は、試合後すぐに歩いて学校に戻り、
再び授業に出席していました。
川越高校、次戦は16日14時熊谷公園球場です。
試合終了後、球場近くの三芳野神社で応援団の反省会が行われました。
試合中、学ランを着ながらあれだけ動き回っていたのに、
試合後もなお神社まで全力で走る姿。
反省会を始めようかというその一団に、ゆっくりと近づいていく方がいました。
応援団員を見つめている。紫の川越高校のTシャツを着ていました。
その方とは、スタンドで試合を見守っていた、昭和34年川越高校が甲子園出場した時の応援団員でした。
現応援団長と副団長の前に立つ55年前の応援団員。
お互いに顔を合わせる。
この時が初邂逅でした。
「我が母校が二試合もコールド勝ちするなんて信じられない。
我々の時は接戦が多かった。
甲子園はなんとも言えない感激でした。それはもう言葉では言い表せない。
言い表せない。
あの感激を味わって欲しい。甲子園で校歌が聞きたい。
応援部で頑張ったことが、きっとこれからの人生の自信につながる。いつまでも自分に誇りが持てる。
ぜひ頑張ってください」
と激励していました。
そして、反省会ではスタンドを盛り上げに盛り上げたOB一人一人から、
今日の試合の応援を振り返っての指摘がされました。
5回でバテてたら9回までもたない。もっと体力つけるように」
「押忍!」
「幹部、吹奏楽との連携が曖昧だった」
「押忍!」
「途中、疲れ見えちゃうところあった」
「押忍!」
「動きが遅い。走り回ったりして存在感アピールしないと」
「押忍!」
「叫ぶだけじゃなくて観客にもっと呼び掛けないと。なんで観客の目を見ないんだ?」
「押忍!」
「スタンドでこんなに歌えるなんて凄い幸せなことだと思うよ。
それを考えたら途中ダレるなんて関係ない。歌いきれるもの出しなさい。
一年生は、二年生三年生から野球応援どんどん盗みなさい」
「押忍!」
「盛り上がってる時に盛り上げるのは簡単。
沈んでいる時にいかに盛り上げるかだよ。
観客をどんどん乗せてください」
「押忍!」
「お前らが全て背負ってるんだよ。
スタンドが盛り上がったらお前らのおかげだし、盛り上がらなかったらお前らのせい。
お前らがスタンドを作れ。野球応援の場を汚すな」
「押忍!」
試合中の熱気とは裏腹に、冷静に応援を振り返って指摘するOB。
厳しい言葉も続きましたが、試合後まで残ってこうして面倒みるのも愛情です。
応援部ならではの伝統は、今も確かに生きています。
最後に先生の話しがありました。
「OBの話しを噛みしめて次に生かしてください。
この勢いのまま野球部を勝たせましょうよ。
君達の応援の力は大きいんですよ。
今の野球部の3年生は、
『応援部に応援されたい、レギュラーになりたい』と練習してきた人が多いんだから。
ここまで野球部はいいノリで来ている。
次の蕨は格上なんだろうが勝てるので、勝たせましょう。
さっきの甲子園行った応援部の方の話しにもあったけど、
二回も続けてコールド勝ちなんて見たことないと言っていた。
今俺達が新しい歴史を作っているんだよ。
甲子園に行こう」
そして、応援部も反省会の後は学校に戻り、授業に参加していたのでした。
初雁球場で躍動した川越高校。
一塁側スタンドには、川越の歴史そのものを見るようでした。
この日で2014年埼玉大会の初雁球場の試合は終了です。
今年の夏の球場もまぶしかった。
川越高校、次は格上の蕨戦。
大事な一戦となります。。。!