川越の連雀町にある蓮馨寺では、毎月8日が「呑龍(どんりゅう)デー」として、
境内には屋台やフリーマーケットの出店が並び
賑やかな雰囲気に包まれます。
昔から続くお寺の縁日マーケットです。
そして、蓮馨寺の山門前を南北に走る道路が中央通り。
本川越駅から真っ直ぐ北に進む道は、
今や川越の生活に欠かせない主要道路になっていますが、
今月、6月8日の呑龍デーでは
境内の賑わいだけでなく、この中央通りに新しく大きな変化がありました。
駅から蓮馨寺までの
ノスタルジックな建物、個性的なお店が並ぶ通りを歩いていると、
至るところに雑貨の出店に出会いました。
見ると、どれも
職人による質の高いものばかり。
今まで、足早に歩いてしまうことの多いこの通りで、
これだけあちらこちらで立ち止まったのは久しぶり。
改めて、通りを、お店を振り返る機会になりました♪
これは、蓮馨寺の呑龍デーに合わせて行われた
「呑マルシェ(どんまるしぇ)」というイベントです。
通り全体を使って、商店街のお店の前に
個性溢れる手作り作家さんが出店したマルシェが開かれていたんです。
この日行われたのが第1回目の開催でした。
そしてこのマルシェは、
これから毎月8日蓮馨寺の呑龍デーに合わせて開催されていきます。
今川越で、連雀町交差点から仲町交差点までの
中央通りを見直す動きが活発になってきました。
平成の川越の経済の中心は駅の周辺で、
明治に建てられた蔵造りの建物が並ぶ町並みには観光客が大勢やって来て、
大正の建物が残る大正浪漫夢通りも既に定着しています。
駅と蔵造りの町並みに挟まれるようにしてある中央通りは、
かつて川越の経済の中心だった時代もありますが、
今は素通りされてしまうことが多い。。。
ただこの通りには、魅力的な遺産がたくさん残されています。
遺産であり現役で、
それも、余計な手が入っていない当時のままの状態で残っている姿は、
川越でも数少ない地域。
リアルな昭和を見ることができます。
平成、大正、明治、
川越駅、本川越駅から北に進むごとに時代を遡っていく川越の町並みで、
今まで振り返られることのなかった昭和の町並み。
この通りにある、商店街、商店会の方々が
『中央通り「昭和の街」を楽しく賑やかなまちにする会』を発足させ、
再び賑わいのある通りにするため、何度も話し合いを重ねてきました。
通りに人を呼ぶために新たに何かを作るというのではなく、
すでにここにある町並みやお店という遺産を見直して、
どう生かしていくか、どう見せればいいのか、
議論を深めてきました。
そこから辿り着いた答えが、やはり、
かつて一番街が復活して、一大観光地となったように、
町並みに余計な手を加えず、
そのままの姿を見せることが、他では味わえない体験になる。
この町並みの素の姿である「昭和」というキーワードに繋がりました。
会では、古くからあるお店、建物が立ち並ぶ中央通りを
「昭和の街」と命名し、
8日の境内の呑龍デーに合わせて、昭和の街で呑マルシェを開催していきます。
呑マルシェというイベントを切り口にして、
昭和の街に訪れてもらい、川越にこんなところがあるんだ、と
新鮮な発見になればいいですね。
川越に残された貴重な通りを今、再定義し、
川越の新たな魅力にしようと動き出しました。。。
呑マルシェのこと、そして、昭和の街をゆっくりと歩いてみます。
☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*
本川越駅から北に進んで連雀町交差点まで来ると、
ここから先、町並みの雰囲気が急に変わります。
通りの両側にある建物は、長い時間を感じさせる雰囲気が漂い、タイムスリップしたような気持ちに。
それもそのはず、建っている建物の多くが昭和初期に建てられたもの。
南北に渡る通りの開通工事が行われたのが昭和8年。
それから瞬く間に通り沿いに商店が建ち並び、商店街になり、
川越の経済の中心地となって、人で溢れる通りとなりました。
時代とともに、駅の方に軸足が移りましたが、
通りの商店街はそのままの姿で残り、今に至ります。
築年数で言うと、既に80年を超えています。
80年経っても今も変わらず
商店街が営業を続けていることが川越遺産です。
生活が商店街で完結し、生活の全てが揃う通りで、
「商店街」の本来の姿が残ります。
単に建物が残っているだけでなく、
創業当時のまま営業を続けている貴重さ。
地域には、知ると驚くほどのお店の数があって、
いかに当時栄えていたか分かります。
秀月人形 モリヤ
東洋 ベビーキッズショップ
屋台風中華そば屋
肉の十一屋
お茶のまつづ園
紳士服の伊藤
メガネのフナヤマ 船山時計店
堺屋金物店
外澤福福スタンド
レストラン シブヤ
伊勢屋
織刻
富士洋品店
平澤屋
紅茶浪漫館 シマ乃
呉服 笠間
大黒屋米穀店
日本料理 美鈴
松本写真館
スナック れん
矢内豆腐店
渡辺紋章店
クリーニング 須永商会
松山商店
八百政
おおつか花店
松華飯店
麻彦商店
高橋歯科医院
コーヒーショップ天
山下おもちゃ店
千代
平和堂
居酒屋タコばあ
工房しゅしゅまあも
天門庵
きんぎょ
居酒屋カラオケちょいと
轟屋
山瀬屋履物店
イーハトーブ
花鐵
蛇の目鮨
ギャラリー開運ぷちまがざん
安藤表装
補聴器店 幸松屋
現在は3代目、4代目が中心となって、商店街が地域の生活を支えています。
昭和の街には、アーケードがあるところもあり、雨でも歩きやすいです。
アーケードの横には墨彩画の出店がありました♪
歩いて行くと、
山瀬屋履物店さんや、乾物でお馴染みの轟屋さんがありました。
轟屋さんからすぐ横にある蓮馨寺を通り過ぎ、
松華飯店さんや麻彦商店さんが見えてきます。
麻彦商店さんは、なんと「せいろ」のお店。
どの家庭にもあったせいろをお店で手作りし、修理もし、
もちろん今でも現役のお店です。
こういう個性的なお店があるのは、昭和の街ならではです。
一つのお店で、地域のさまざまなニーズに応えようとする
まさに地元の商店街。
昭和の街と聞くと、懐かしさをイメージするかもしれませんが、
平成の生活も支え続けていて、
呼吸している「生きている商店街」です。
お米の大黒屋さんに辿り着きました。
昭和8年の道路開通からすぐこの地にお店を構え、
連雀町、仲町など地域の食卓を支えてきました。
「通りが開通してからこの辺りの賑わいは相当なものだったんですよ。
川越の経済の中心だった。
通りには昔、銀杏並木があって、近くにはデパートもあったし、
川越まつりではこの通りがメインストリートで人でごった返していたんですよ」
と語る大黒屋さん。
激動だった昭和という時代を体験してきた昭和の街の皆さん、
昭和の川越の息吹が伝わります。
建物内に呑マルシェの雑貨の出店があり、
年季の入ったお米屋さんと雑貨の組み合わせに、非日常感がたっぷり漂います(*^^*)
すぐ隣にある大黒屋食堂は、
大黒屋さんがオープンさせた食堂です。
『中央通り「昭和の街」を楽しく賑やかなまちにする会』の中心となっている
大黒屋食堂さんに話しを聞きました。
「この通りには個性的なお店がたくさんあるんです。
呑マルシェというイベントを通じて昭和の街を再発見してもらえたら」
確かに、文房具と結納品を一緒に扱うお店って川越でここだけですよね。
「そうですね(笑)結納品を扱うお店があって、赤ちゃん用品のお店、お祝いの花、人形のお店がある。
おもちゃ屋さんに着物、お茶、せいろ、日用品、お米、と
生活の全てが賄えてしまうのが昭和の商店街だったんです。
まさに、ゆりかごから墓場まで。人の一生に必要なものは全部揃うんですよ」
今、当時のまま残る姿は貴重なんだ、とこの通りを再定義し、
街の資源として発信していこうと話しています。
「昔の賑わいは凄かった。
蓮馨寺には街灯テレビがあって、大勢の人が集まって見ていたんですよ」
当時と比べたら廃れたように見える通りも、
今でも通りのあちこちに地域の人が集まるコミュニティがあって、
今も変わらず中華そばさんには、
そして、呑マルシェは、これからも続いていきます。
「一回で終わらせず、なにより続けていくことが大事だと思うんです。
昭和の街では毎月マルシェを開催していきます」
古い町並み、個性的な商店街、
そこに点在する雑貨の出店という組み合わせの非日常感。
ガラスの出店に、大黒屋食堂さんでは革製品の出店にライブも行われました♪
この日はあいにくの雨で、予定より出店数が少なくなったと言いますが、
それでも第1回の呑マルシェ、ワクワクしながら昭和の街を歩きました。
改めて、そのままの昭和が残る姿に感動し、
このままの状態で残って欲しい。。。
平成、大正、明治の町並みが注目されてきた川越で、
今、昭和に光が当てられる時が来ました。
駅から北、一ヶ所にまとまったエリアの中で、
4つの時代の町並みを楽しめる街って他にあるでしょうか。
昭和に光が当てられて、さらに魅力が高まりそうです。
蔵造りの建物は、一時期コテコテの装飾で
蔵を隠すようにしていた時もあった。
今の大正浪漫夢通りの商店街もそう。
時間が経ち、やがて価値に気付き、もとの姿に戻っていきました。
時代が変わると「蔵はダサい」「古い町並みはダサい」と一時的に見えても、
時間が経てば、それら全てが川越の財産になっている。
時間をおかないと本当の価値が見えてこない部分あるし、
本当の価値に気付いて残そうとするのが川越の人でもあります。
昭和から20数年経ち、
「呑マルシェ」昭和の街(連雀町交差点から仲町交差点まで)にて
蓮馨寺の呑龍デーに合わせて毎月8日開催。