86-エイティシックス | 月は東に日は西に

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だいたい本とサッカーの話です。

 安里アサト著。電撃文庫。


 SAOを読んでから、ラノベを読むことに抵抗がなくなった。

 昔でいうならジュブナイル、つまりは若者向けのライトなフィクション。なので基本的にはいい年齢した大人を対象としたものではないはず。

 というのも思い込みで、古くは朝日ソノラマやカドカワノベルズ、ハヤカワ文庫JAなどが培ってきたファンタジーノベルの後継者であり、そういうジャンルを好んで読んでいた世代(団塊ジュニアかその周辺)こそがマーケットターゲットである以上、自分もまさにそこに含まれているよなあと。

 なのである時期以降、面白いと思ったものには躊躇いなく手を出している。


 とはいえライトノベルというジャンルは、特に文体に特徴があって、あまりかしこまっていない。そのため、ストーリー優先で文章表現としてはもう少しなんとか、というものも散見される。このため、パラパラめくって微妙かなあ、というものもある。


 「86-エイティシックス」は安里アサトによる小説だが、そういった意味では「若さ」を感じる文体である。間をとるための三点リーダーの利用も多く、地の文も体言止めや助詞で切ることも多い。三人称神の視点で、少し読まないと誰の視点かわからないこともある。

 だが、それが小気味いいほどに調度いいと感じている。例えばEP.13、30ベージの場面


(引用)

「……運がよければ基地など介さずに外部から直接、衛星に停止命令を送信できるかもしれんぞ」

 レーダーに映るということは、つまり電波が届くということでもある。とはいえ。

「無理だろ」

「まあそうだろうな」

 言下にシンはぶったぎって、気にせずヴィーカも頷いた。

(引用終わり)


 作戦会議の一場面だが、表現にリズムがあり、重要かつ深刻な論点でも仮定に過ぎない、その空気感をよく現している。

 高校生の頃はこういう表現に憧れたものだが、よほど上手くやらないと情緒過多になってしまう。その意味で、安里アサトの文体は、過酷な環境にある若者が描かれることの多いこの物語に、とてもよくフィットしている。

 むしろこの軽妙さがなければ、この物語は救いがない。それほどまでに残酷な物語が、この86だ。


 人を駆逐するのみの意識を持った戦闘機械「レギオン」に、存亡の危機に立たされた共和国が「人間ではないもの」として戦闘に投入した、消耗品としての「86区」の若者たち。


 アニメで描かれたのは、主人公たちが共和国から死地に送り出された先に、分断された連邦(旧帝国)にたどり着き、再び生きるために戦闘に身を投じていくというところまでだが、小説ではその後も人類とレギオンとの戦いは続く。


 先ほど読み終えた最新刊のEP.13では、共和国の企みにより人体改造され、自爆兵器とされた子供たちが描かれる。彼女たちは、誰も死なせないために、今は誰もいない戦場の先の故郷を目指す。

 救いなどない、愛すら呪いとなる。その一方、レギオンの狡猾な心理戦により人々は疑心暗鬼と相互不審が蔓延り、大攻勢を受けて前線は壊滅し、国は麻のように乱れる。

 最終篇に向け、最悪の状況で巻を終える。


 この巻の帯にはシリーズ累計200万部突破、とあるが、少なくとも10万人を超える読者がこのエピソードを読むことになるのだろう。

 この巻で物語を去った人物たちを、それだけの読者が知るということは、餞になるだろうか。