本質を科学するのが思想であるとすれば、思想は科学の1つの分野である。
何かをする前に目的は何かと考える。結局、目的は見つからない。目的というものは、後から考えて見つけるものなのかもしれない。目的は「思想」みたいなもんだ。思想はあたかもそこにあったかのように語られるが、現象をインタープリトしているに過ぎない。本質は自分自身である。自分自身以外に本質はない。本質を科学するのが思想であるとすれば、思想は科学の1つの分野として扱うことができるかもしれない。思想を多次元的にからみあわせて、1つの新しい思想を構築する。その思想もまた多次元構造の1つになる。科学は多次元構造の世界である。問題は何なのか。それが解ったならば問題が解決したと同じこと。ということは孔子も語ったらしい。孔子でさえ問題が何かを悟っていなかったということ。皆、知ったふりをしているのか?そうじゃなく、「これが問題なのではないか」という仮定から出発している。これは科学の出発点と似ている。(100280-5)
話したいことを喋ら ないでいると悶々としてくる。
いざ喋ろうとすると、話したいことがたまってしまって、何から話しはじめたらよいのかがわからなくなる。頭の中の交通整理ができなくなるのだ。そんなときは他人の考え方を利用して自分の考えをまとめるのも1つの手段かもしれない。考え方が同じなのか異なるのか。どこが同じなのかあるいは違っているのか。日本には古来からある思想、次に中国から伝来した思想、江戸期の日本で成長した思想があった。そして明治維新、第2次世界大戦という思想の転換期があった。大きく分類すると6期になる。(1)古来の思想。万葉集、古事記、日本書紀。(2)中国の思想。奈良、平安の時代。(3)江戸の思想。荻生徂徠、杉田玄白。(4)明治の思想。福沢諭吉、内村鑑三。(5)戦後の思想。高度経済成長。(6)万博後。安定成長。これは丸山真男の「日本の思想」による。これに7番目に「バブル後」を追加するのがよいだろうか。教科書があって、それを軸として学んでいくことも大事だが、足りない部分は自分で補わなければならない。補う方法は様々である。過去の似た例を探す、思想を探る、現象を観察する。ただ問題点もある。材料(情報といったほうがよいか)が多すぎる。自分の使える言葉(語彙)が少なすぎる。いま考えたいことは自分の将来と、何らかの自分の身の丈に合った考え方である。問題は色々ある。1つは自分に正直になれないことである。すぐに格好つけてしまう、正直になれないのは気が弱いからだろうか。努めて正直になろう・・ ・。今日は考えがまとまらない。(100280-4)
タライからタライへ移るちんぷんかん
3連休でやることがない。最近はどんな本を読んでいるだろうか。(1)小説のたぐい。エンターテイメントが多い。推理小説とか、歴史小説、SF小説なども。海外の知識、日本人としての教養、言葉の楽しさ、読む楽しさを求める。(2)人生の本。落ち込んだときに読む本。人生論的なものとは限らず、生きる勇気を与えてくれる本。(3)ハウツー本。上司にこびる方法とか、お金をためる方法だとか、具体的な解決方法が書いてある本。 (4)雑誌。現在を知る。社会を知るために読む。世の中から隔離された人間にならないように。(5)エロティックな本。欲求不満を解決してくれる。(6)思想書。頭の中にマップを作ってくれるような本。まだ色々読んでいるような気がするが、うまく整理できない。でも、本を読んだからって、知性。コミュニケーション能力は身につかない。「”タライからタライへ移るちんぷんかん”これは小林一茶の辞世の句です。人間というのは産湯をつかうタライから、死ぬときの湯灌(ゆかん)までの旅。まことにちんぷんかんだワイという意味です。どうせ1度だけの人生ならやりた いことをやって死にたい。そのためには何事にも恐れずに、どうせちんぷんかんなんだから。積極的に生きようということです。」(100280-3)