本質を科学するのが思想であるとすれば、思想は科学の1つの分野である。
何かをする前に目的は何かと考える。結局、目的は見つからない。目的というものは、後から考えて見つけるものなのかもしれない。目的は「思想」みたいなもんだ。思想はあたかもそこにあったかのように語られるが、現象をインタープリトしているに過ぎない。本質は自分自身である。自分自身以外に本質はない。本質を科学するのが思想であるとすれば、思想は科学の1つの分野として扱うことができるかもしれない。思想を多次元的にからみあわせて、1つの新しい思想を構築する。その思想も また多次元構造の1つになる。科学は多次元構造の世界である。問題は何なのか。それが解ったならば問題が解決したと同じこと。ということは孔子も語ったらしい。孔子でさえ問題が何かを悟っていなかったということ。皆、知ったふりをしているのか?そうじゃなく、「これが問題なのではないか」という仮定から出発している。これは科学の出発点と似ている。(100280-5)