【妄想】恋と彼女③ | 恋心、お借りします

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(自称)水原千鶴を応援する会の会長。
頑張りますので、イイね下さい。

【妄想】恋と彼女①

【妄想】恋と彼女②

 

恋と彼女③

 

私はぼんやりと意識を取り戻した。

だるっ。気分が悪い。

妙に背中が柔らかくて、ベッドか何かの上に寝転んでいるのかと思った。

確かお客さんとランチをしていた。結局、あれから私はどうしたんだっけ…?

だが、両腕が背中で縛られていることに気づくと、一瞬で身体が凍り付いた。口もテープで塞がれている。

まさか…!

目を開くと、ホテルの一室らしき場所に閉じ込められているのがすぐに分かった。視線の先に、男がカメラを構えて立っている。

嫌だ…!やめて…!

ロープで縛られまともに動かない身体を必死に揺らし、「ん゛ー、ん゛ー」と塞がれた口から悲鳴を上げた。

男が構えていたカメラを外して、にやりと笑った。顔を見せたのは、今日私をレンタルしたサイトウだった。

「やっと僕のものになったね。千鶴ちゃん」

ぞっとして全身がガタガタと震えた。訳の分からない冷たい汗が身体から吹き出す。

一歩、また一歩とサイトウがベッドに近づいてくる。サイトウがベッドに膝をかける。

馬乗りになられて、その大きな身体がずしりと重くしかかり、身動きが取れない。ぬくっと太い腕が伸びて来たのを見て、私は身体を強張らせて顔を背けた。

サイトウに手のひらで頭を1回、2回と撫でられた。

「いい子だ、いい子だ。千鶴ちゃん」

助けて!誰か助けて!

それからどれくらいの時間が経っただろう。サイトウは興奮気味に奇声を発しながら、ずっと私にカメラのレンズを向けていた。ベッドを中心に円周上に回りながら、何度も、何度も、繰り返しシャッターを切る。さらにベッドに脚をかけると、私の周りを這いつくばるようにして、至る所から私の身体にカメラを向ける。

全身をまさぐられているようで、いくら時間が経ってもその恐怖には慣れなかった。身体を震わせながら小刻みな呼吸を延々と繰り返し、顔を強張らせ、いつ終わるかも分からない長い時間に耐えるしかなかった。

シャッターを切る音が止んだ。

サイトウはベッドの隣に置かれたテーブルへと近づき、その上のカバンの中に大事そうにカメラを片付ける。

撮影はこれで終わりかと束の間の安堵を得た途端、今度はサイトウがこちらへ向き直り私に近づいてきた。ベッドに脚をかける。

再び馬乗りになられて、私は身体を仰け反らせ抵抗したが、肩を無理やり抑え込まれてしまった。

「いい子にしていたね。これからが本番だよ」

本番。その言葉に戦慄が走った。嫌だ…!やめて!

サイトウからまた太い腕が伸びて来る。

そのとき、部屋のインターホンが鳴った!訴えかけるように、ピンポンピンポンと何度も鳴り響く。

サイトウが扉の方を見て、僅かながら力を緩めたのが分かる。

それに気づいた私は、無け無しの勇気を振り絞って無我夢中で叫んだ!

「ん゛ー、ん゛ー、ん゛ー」

助けて!誰か助けて!お願い…!

目一杯声を荒げると、サイトウもやはり扉が気になるのか、インターホンの鳴る扉の方をじっと見ている。

お願い…!もうやめて!私から離れてよ!

だが、次の瞬間、それをしり目にサイトウは私に向き直った。苛立ちを含んだ無表情を浮かべ、その後にやりと笑って見せる。

ピンポンピンポンというインターホンは、その機械音が虚しく繰り返すだけで、部屋の扉はなかなか開いてはくれなかった。そのうち、インターホンは鳴り止んでしまった。

その僅かな希望さえ、サイトウの理不尽の前には無力なのだと悟った。

私に乗りかかったサイトウが、その両腕で私の頬を抑え込む。抵抗する私を制して力づくで私の顔を自分の方へと向ける。

そうして私の顔から胸元、腰回りまで舐めるように視線を滑らすと、満足気に笑みを浮かべた。

「やっぱり君は最高だね。大好きだよ、千鶴ちゃん…」

サイトウが私のスカートの中に手を入れたのが分かる。スカートの裾を捲りながら、無理やり押し付けるように私の脚を摩って手のひらが奥へと進んでくる。その手が下着にかかり、強張った両脚の隙間にねじ込まれる。サイトウはおぞましい笑い声をあげ、私に覆いかぶさった。

「ん゛―!!!」

もうダメだと思った。どっと涙が出た。死ぬほど怖くて、悔しくて仕方がなくて。それが瞳から溢れて止まらなかった。

こんなことになるなら、レンカノなんてやらなきゃよかった…!

リリリリリ!!!!ドンッ!ドンッ!ドン!

全てを後悔しかけたとき、甲高いベルの音と共に、ドンドンっと誰かが部屋の戸を激しく叩いた。

騒ぎ立てるそれを、サイトウは一度無視しかけたが、「ちっ」っと舌打ちをして私から身体を起こし、今度は様子を見に扉の方へ向かった。

「水原!!!」

叫び声と共に扉がバタンと勢いよく開く!あの人だった!

「テメー!何やってんだよ!」

彼が声を荒げサイトウに掴みかかる。

一度はのしかかったが、サイトウは彼を蹴り飛ばし、部屋の外へと逃げだした。

「待ちやがれ!」

彼は立ち上がると、サイトウを追って部屋の外に駆けて行った。

甲高い非常ベルが轟く中、「この野郎!放せ!」「行かせるか!?」と彼と犯人が取っ組み合う声が聞こえた。私はその様子をガタガタと身体を震わせながら祈る様な気持ちで聞いていた。

その後サイトウはこの部屋には戻ってこなかった。

部屋に駆けつけた警官を見て、私はどっと肩の力が抜けて、瞳からははらはらと涙が溢れていた。あの人が来てくれて本当に良かった。こんな怖い思いは、二度としたくない。もう二度と。

ありがとう、ありがとう。助けてくれた彼に向けて心の中で何度も何度もお礼を言った。

サイレンの鳴り響く中、エレベーターを下ってホテルの外に出ると、停められたパトカーがいくつも重なった先に彼を見つけた。警察の職員と何か話しているようだ。どうやら彼も無事だったみたいだ。私はホッと胸をなでおろした。

近くに墨の姿も見つけた。彼女の方も私に気づいて酷く動揺した様子で近づいてきたので、本人に事情を聞くと、私の異変に気付いた彼女が、麻美とデートしていたあの人を見つけて助けを求めてくれたらしい。

「ざまぁ見ろ、このクソビッチが!カネもらって男を弄んで楽しいか!?なぁ!?手ぇ繋いで、ニコニコしながら彼女面して、楽しいか!?何がレンタル彼女だ!お前みたいなクソ女は、一回痛い目見ないと分かんねーんだよ!どうだった!?俺みたいなクソ野郎にスカートの中、手入れられて!一生、俺みたいな奴に怯えて暮らせ!」

パトカーに乗せられる途中、犯人のサイトウが大声を上げていた。

顔も見たくない。さっさとどこかに消えて欲しい。

でも悔しいけれど、サイトウの言う通り、襲われたときのことが蘇ってきて、私の心はまた恐怖で震え出していた。あんな男に身体を弄ばれて、最悪命まで奪われたかもしれないと思うと、心底恐ろしい。

でも、もう私には関係ない話だ。ちょうどレンタル彼女を辞めようと思っていたところだから。不幸中の幸いだと思えば良い。辞めてしまえば、いつかこんなクソみたいな記憶だって消えていくはず。

震えた手をグッと握りしめ、サイトウが居なくなるまでの間じっと恐怖に耐えていた。

「テメー!ふざけんじゃねーぞ!自分がやったこと分かってんのかよ!」

そう声を荒げたのはあの人だった。

「馬鹿にしてんじゃねーぞ!水原はなぁ!本気で”彼女”やってんだよ!楽しんで欲しいって、前向いて欲しいって、お客さんのこと一番に考えて、本気で”彼女”やってんだよ!」

「お前もレンカノ借りてたクズ野郎かぁ?なぁ、そうなんだろ!」

「俺はクズだよ。でも水原はなぁ!俺みたいな馬鹿のためでも、本気で“彼女”やってんだよ!」

パトカーの脇で彼がサイトウに向かって叫んでいるのが見えた。警官に羽交い絞めにされながらも、それでも納得がいかず歯を食いしばり声を荒げていた。

「水原は俺が死ぬほど辛いときそれでも良いって言ってくれたんだ!未練だって“思い”だって、真剣に一緒に悩んでくれて、励ましてくれたんだよ!テメーにはただのレンカノでもなぁ!俺にとっては最高の“彼女”なんだよ!テメーだけは絶対に許さねー!」

もういい。もういいって。よく分かったから。助けに来てくれただけで十分だから。

必死に私を庇ってくれる彼の言葉に、冷え切って凍り付いていた私の心は、じわじわと解かされていくような気がした。彼が私と過ごした時間をこんなにも大切に思ってくれていたんだと思うと、救われた気がした。

彼は優しいところがあるから、私の代わりに言い返してくれただけなのかもしれない。私が暴言を吐かれるのを、見ていられなかっただけなのかもしれない。それでも彼が私の味方になってくれたことがただただ嬉しかった。死ぬほど怖い思いをしてレンカノを始めたことを後悔しかけたけれど、懸命に生きたあの時間は間違ってなかったと思えた。

胸の内から熱いものが込み上げてきて、恐怖とは違う涙がひとすじ頬を滑り落ちた。

 

夕方、私は彼に声をかけられてアパートまで一緒に帰ることにした。彼が心配してくれたと思うと、断れなかった。アパートまで同じ道なので、特に断る必要もないと言えばそうなのだけれど。麻美に忠告されたカラオケの一件から、なんだか彼と会うと思うと気まずさを感じていた。

季節はまだ三月に入ったばかりで、夕暮れ時になった帰り路には西から朱色の陽が差しており、彼と並んだふたつの影が細長く伸びていた。

犯人が逮捕された今になっても、時よりサイトウの顔が蘇り恐怖で身体が震えた。あんな男のせいだと思うと悔しくて仕方がない。隣の彼は事件のことは何も聞かず、ただ隣を歩いてくれた。なんだかそれだけで、少し心が落ち着いた。

「さっきは、ありがと」

「さっき?」

「犯人にいろいろ言ってくれたときのこと」

「あれは、ただ俺の気持ちが収まらなかっただけで」

彼はまたあの時の苛立ちがぶり返してしまったのか、それとも感謝されてはにかんでいるのか、そう言いながら少し顔をしかめた。

私は以前、海で溺れたところを彼に助けられたことがあった。そのときと同じだ。また彼に迷惑をかけてしまった。昼間、彼は麻美の両親と会っていたけれど、結局どうなったんだろう。麻美は彼がずっと思っている人で、今日はその恋が叶うチャンスだったはずだ。そんな大切な人との用事をすっぽかしてまで、どうして私のところに駆けつけてくれたのか、その真意を測りかねていた。

「なんで助けに来てくれたの?大切な用事があったんじゃないの?」

そう聞くと、彼は振り返ることなく、小さく呟いた。

「“彼氏”だから…」

「え?」

「俺は水原の“彼氏”だから」

「何言ってんの?レンタルでしょ」

バカみたい。レンタル彼女の“彼氏”だからって、そこまでしてくれなくていい。麻美さんのことの方がよっぽど大事じゃない!?「彼氏」なんて言い方が恥ずかし過ぎて、思わず突き放すように言い返す。

…でも。私は朱色の空に照らされた彼の横顔を見上げた。でも、そう言って私の元に駆けつけてくれた彼は、誰よりも私のことを考えてくれていて、やっぱり頼もしく見えて、そのやさしさに私は耐えられなくなった。

まだ震えの残る右手を、彼に向かって伸ばした。ジャケットの袖を指先で掴む。

「え、何?」と言って振り返った彼を見て、そこに近づくと、その胸に自分の身体を寄せた。

「…ばか。レンタルだって言ってんじゃん」

小さく呟いてから、両の手のひらで彼の胸に触れると、そこに顔をうずめる。

彼の隣は、少し汗っぽい、やさしい匂いがした。

触れた額から伝わってくる彼の体温に、震えるほどの恐怖に冷え切ってしまっていた私の心は、すぐに温められていく。嫌な記憶を塗り替えるように、彼のやさしさが私を満たしていく。

彼は驚いたのか、一度ビクッと身を縮めたが、それでも寄りかかろうとする私に何も聞かずその胸を貸してくれた。

そっか…。そうして心が和らいでいくのを感じたとき、やっと分かった。

どうして麻美と彼の関係を素直に祝福してあげられなかったのか、胸騒ぎに耐えられず逃げてしまったのか、その焦げ付くような痛みの正体がやっと分かった。ホントあり得ない。

バカで、情けなくて、カッコつけてばっかで、いちいち大袈裟で、どうしようもない人のくせに、なんで「彼氏だから」なんて言うのよ。なんでこんなに優しいのよ。

思っちゃったじゃない。ほんのちょっとだけ、思っちゃったじゃない―――

 

この人が私の本当の彼氏だったら、きっと幸せなんだろう―――って。

 

私はまた彼の胸に自分の額をうずめた。やっぱり、温かくて、やさしい。そうしていると不思議なくらい恐怖が消えて気持ちが落ち着いて来た。

すると今度は訳の分からない感情が沸騰するように全身を巡った。首元から耳の先まで熱くなる。

あー、もうっ最悪!思わず寄りかかるなんて、さすがにやりすぎ…!

パンクしそうな頭で言い訳を考えてみたが、もう「一言文句を言いたかった」ことにするくらいしか思いつかなかった。

私はまだ熱の残る身体のまま、彼を両手で突き離した。

「ばーか!」

「え!?」

「いつも無茶して!寿命縮まるわよ」

「え?ごっ、ごめん!ちがうっ。ちがうんだ!別に俺は変な気を起こしたわけじゃなくて!」

きっと怖い思いをした私を気遣って抱きしめてくれようとしていたんだろう。彼が驚いてアタフタしているのを見て、私はここぞとばかりにシラを切る。そうよ。別に私は彼に何かして欲しかったわけじゃない。ただ一言文句を言いたかっただけなんだから。

「え?何?どういう意味?」

「いや、何でもないっ。でも、今回はさすがにヤバかったって!」
「だから、それは感謝してるわ。でも、あんまりお人好しがすぎると損するわよ」

苦し紛れの理屈をつけながら、ジトーと冷ややかな目で忠告する。あー、もうっホント最悪!

彼は「ごめん、気を付ける」と言って私の言い分を信じてくれた。彼を騙すようで申し訳ない気もするけど、今回は事情が事情で少し頼っちゃっただけで、別に私はあの人に何かして欲しかったわけじゃないんだから!ちょっと心細くなるくらい、普通よ!心の中でそう叫んでいる間も、沸騰したような熱い感情はぐるぐると身体を巡り続けていた。

その後彼は、怖い思いをした私のことがやっぱり心配だったんだろう、レンタルすると言ってデートの間ずっと私の手を握っていてくれた。

私たちは散歩がてら近くのカフェに寄って、しばらく一緒に過ごした後、アパートへと向かうことになった。カフェを出る頃にはすっかり日は落ちて、街の灯りが夜を飾っていた。

「でも、水原は大丈夫なのか…?怖い思いしただろうし、前と同じようにレンカノ続けるなんて難しいんじゃ…」

帰り道、私の手を握る彼にそう聞かれて一瞬考えたけれど、

「平気よ。平気。身の危険を感じたのは確かだけど、あんな男のために人生狂わされる方がよっぽど癪だわ」

ドライな顔を作ってツンと跳ね返した。本音では恐怖が消えたわけではないし、これまでと同じように仕事ができるのか不安だ。でも今はあんな奴に人生狂わされる方がよっぽど嫌だと思える。まぁ、それだけは、彼のおかげ。

「そっか。良かった。マジで、良かった」

隣の彼はそう言って安堵した表情を見せると、私の手のひらを握り直した。

認めたくないけれど、やっぱりその姿は頼もしくて、彼の隣はやさしくて、思わずまたその腕を掴んで抱き着きたくなる。あー、もうっ。なんでこんなことになっちゃったのよ。ホントあり得ない。

馬鹿ね、私も。

気づいてしまった気持ちを噛み締めて、私はまた頬を赤く染めた。

 

******

 

 

 

事件の後、レンカノの仕事は事務所に配慮してもらいながらも何とか続けられた。割のいい仕事であるのは確かだし、本格的に女優の仕事が忙しくなるまでは続けようと思った。大学では新学期が始まり、スクールのレッスンの忙しさも相変わらずで、生活は特に変わっていない。

ただひとつだけ変わったと言えば、以前より気持ちの浮き沈みが激しくなった。以前はあの人のことをごちゃごちゃ考えて悩んだりはしなかった。

その日、大学での講義を終えてアパートまで帰ろうと思っていたときだ。講義棟の三階から見下ろした先に、あの人と麻美が一緒に居るのを見つけてしまった。彼は、カメレオンのプリント…相変わらずちょっと変わったTシャツを着ている。

気になって、二人の様子をじっと見つめる。

麻美が彼と寄りを戻すと言ってデートをしたあの日以降、ふたりの関係がどう落ち着いたのかは分からない。正直彼に聞きづらかった。ただ、彼の心の中にはまだ麻美がいて、彼女も寄りを戻す気でいるなら、たぶん二人は上手く行っているはずだ。最近は、大学で二人が普通に話しているのをよく見る。だから以前よりは良い方向に進んでいるようだった。実はもう二人は付き合い始めたのかもしれない。

気になってしばらく見ていたけれど、自分には関係のないことだと思って、帰りを急ぐことにした。

「なーに、ちづる。ぼーっとしちゃって?あっ。もしかして、好きな人でもできた?」

「春だねー、春だねー」

同級生の曜子と裕希がいつものいたずらっぽい言い方で、揶揄ってきた。私は「そんなんじゃないって」と言って適当に受け流す。

「そうだ。ちづるの誕生日を祝って、飲み会でもしようよー」

「きゃははっ。二十歳でしょっ。飲みアリで」

「ちょっ、ちょっと考えさせて」

飲み会の話になって、いつも断ってばかりでは申し訳ないと思い、二人に予定を調整してみると伝えた後、私は二人と別れて講義棟を出ることにした。

 

春の桜はずいぶん前に花を散らしていた。

棟の入り口を出て、少し土の匂いがする、青く茂った並木道を進んでいく。

5限を終えたばかりのキャンパスは、講義棟から大学の出入口に向けて、自宅へと向かう人の流れができていた。

その流れに乗ってキャンパス中央の庭を抜けて行く。

その途中、道の脇にカメレオンのプリントTシャツを着たあの人が立っていた。遠回りして行こうかとも思ったけれど、わざわざ人の流れから外れて帰るのも変な気がして、彼に気づかないフリをして通り過ぎることにした。

スタスタと彼の横を通り抜けていく。

「水原…!」

しかし、私に気づいた彼に呼び止められて、足を止めた。

「…何?」

「話があるんだけど」

話があると言われてなんだか嫌な予感がした。先ほど麻美と仲良く話していた彼の姿が脳裏をかすめる。

仕方なく、周りに目をやり知り合いがいないことを確認した後、彼の手を引っ張って人気のない建物の陰に押し込んだ。

「ちょっと、困る!大学では他人のフリだって言ったでしょ」

「ごめん。なかなかアパートで会えなくて」

「…まぁ、今回だけ特別」

やっぱりあの日以降、顔を合わせづらくて彼を避けていたのは事実で、全部彼のせいにするのは忍びなかった。

「で?話って?」

そう聞くと、彼は少し緊張した様子で言い難そうにしている。それを見て直感した。やっぱり麻美さんのことだ。もしかしたら、付き合い始めたなんて報告かもしれない。

私は何か理由を付けてここから逃げたしたくなったけれど、きゅっと口元を結び直す。…最高じゃない、彼が麻美さんと上手く行ってるなら。そう思い直して確かめる覚悟を決めた。

「…麻美さんと何かあったの?」

「え?うん、まぁ。前みたいに完全拒否みたいなのは無くなったし、むしろ最近は結構麻美ちゃんと仲良くできてるかも」

「そう。良かったじゃない。麻美さん、あの後、もう一度あなたとのことを考えたいって私に話してたわ。ちゃんとしてよね。ここからはあなた次第なんだから」
レンカノとして応援の言葉を伝えた後、そうやって平静を装った私の胸は、やっぱりきゅうと締め付けられた。胸の奥を鷲掴みにされたような痛みに苦しくなる。

でも、これでいい。これでいいの。彼はずっと麻美さんを思っていたんだから、彼が好きな人と上手く行くなら、私はちゃんと祝福してあげなくちゃ。

「事件の後、俺、いろいろ考えたんだ…」

「…考えたって、何を?」

彼が言いあぐねるので、そう聞き返すと、彼がこちらに振り向いて真剣な瞳で私を見る。

「水原が俺のこと心配して言ってくれてるのは分かってる。でも、やっぱ俺は、…いい…」

妙な緊張感が走った。
「君がいいっ、君がっ!」
「え…!?」
彼が瞳を見開いて真っ直ぐ私を見つめている。

わっ、私!?麻美さんじゃないの!?

「…“君がいい”って、どういう意味?」

そう聞き返すと、彼も動揺したように瞳を瞬かせる。
私がいい、だなんて…!え!?話ってそういう事!?私は彼からの突然の告白に心の準備なんてできているはずもなく、ぽかんと口を開いたまま、ほとんどパニクってしまった。心臓が跳ね上がり、身体中の血が沸騰して顔まで昇ってきて、もう訳が分からない。咄嗟に彼から顔を背けた。

どうしよう!? なんて答えたらいいの!?

「みっ、水原は“彼女”だろ!?つっても、レンタルだけど。ごめん、言い方ミスった。やっぱレンタルするなら水原が良いなって思って!」
「レ、レンタル…?」
それを聞いて私は落胆と共に徐々に冷静さを取り戻す。

「そ、そう!レンタル!麻美ちゃんとは別に何かあったってわけじゃなくて。前デートした時も、デートしたって言うか、家族の前で彼氏のフリをお願いされただけで、向こうも俺とどうこうなりたいって訳でも無いみたいだし。だから、もう少し借りたい…」
あーっ、もうっ!レンタルって何よ!勝手に勘違いしてパニクっちゃった私がバカみたいじゃない!?

内心をぐちゃぐちゃに掻き回されて呼吸が荒れている。私は一度息を飲み込んで懸命に自分を取り繕い、彼に向き直った。しかめ面を作る。

「何?そういうこと?紛らわしい言い方しないで」
「悪い…。でも平気か?あんな事件があった後だし、レンカノの仕事、辛いんじゃ…?だからやっぱ、頼み辛くて」

「平気。平気よ。それに、あなたは変なことする人じゃないでしょ?」

「そっか。良かった」

「まぁ、あなたにはいろいろお世話になってるところもあるし。変な約束もしちゃったし。別にいいわよ。でも、女優の仕事の方が優先。それは変わらない。それでイ?」

「あっ、ありがとっ。水原の都合が合う間だけでいいから」

「そっ。じゃ、そういうことで」

そう言うと彼は納得して駆け足で去って行った。

走り去る彼の姿を見届けて、その姿が見えなくなった途端、私は建物の壁にもたれかかった。ひざを折り、腰が抜けたようにくたっと座り込んでしまった。

「何よ、さっきの!ばかっ!」

あんな言い方されたら、勘違いするじゃない!ホント、ちょっとは考えてから物を言いなさいよね!あーもうっ。私、変な表情してなかった!?

跳ね上がった心臓の鼓動がまだ落ち着いていない。動揺を悟られてしまったかもしれないと思うと恥ずかしくてたまらない。文句の一つも言いたくなる。私は不満を募らせ、むぅと唇を尖らせた。

…でも、付き合ってるって訳じゃ無かったのね。

彼の前では上手く取り繕っていたけれど、正直、彼がまだ麻美と付き合っていないと聞いて私は安堵していた。ずっと胸に突っかかっていたわだかまりがやっと消えた。もう少しだけあの人の“彼女”でいられそうだ。

あの人は私のお客さんで、きっと彼の中にはまだ麻美がいて、それなのに彼の恋が叶うことを素直に祝福できない私は、レンタル彼女失格だ。いつまでも『彼と付き合っている』なんて嘘を続けられないことも分かっている。麻美なのか瑠夏なのか分からないけれど、きっといつか彼には素敵な彼女ができて、そのとき私は笑顔を作って「おめでとう」と言って祝福するんだろう。少なくとも私には、麻美のような愛嬌も、瑠夏のような真っ直ぐさもない。きっとこんな気持ち抱くだけ無駄だ。

でも、彼のことを嫌いになってしまえば良いと考えてしまうたび、むしろ自分の気持ちがはっきりして来るばかりで。本当に何か病にでもかかってしまったみたいに、どうしようもない。

ホント、なんでこんなことのなっちゃったのよ。バカみたい。

 

―――ちづる、「愛している」と言い合える人は「運命」じゃ。その人の幸せを願い、その人を思い続ければ、必ず「運命」の人はちづるを見つけてくれるぞ。

 

そのとき、そう語るおじいちゃんの声が聞こえたような気がして、私は天を仰いだ。

そんなんじゃないって。あの人はお客さんだし。向こうもその気はない。

青い空に向かって、そう言い返してみたけれど、この、甘くて、苦くて、どうしようもない気持ちの正体が何か、私はもう知っていた―――

「あーっ、もうやだ」

戸惑いの混じった私のため息が、二十歳を迎えたばかりの春の空に溶けて行った。

 

(おしまい)

 

恋と彼女(おまけ)へ続く)

 

 

 

【あとがき】

「レンタル」ってなんだよ!!!と盛大のツッコミをしていただけたでしょうか笑。

はいどーも!甲楽わんです。「恋と彼女」いかがだったでしょうか。「ドラマ彼女お借りします」の最終回のエピソードを勝手にノベライズしてしまいました…!なんと!千鶴視点です。

原作と比べてドラマでは千鶴の恋心ゲージの溜まり方が早くて。いやいや、あんな事件が起きたら、千鶴も自分の本心に気づくはず!千鶴が和也への恋心に気づく過程をがっつり書いてやろう!というのが創作のモチベでした。

お話を盛り上げるために、シーンを追加したり、セリフや衣装、設定を変更した部分もかなりありました。ドラマ最終回をモチーフにした千鶴視点の物語として楽しんでもらえたら嬉しいです。

犯人(サイトウ)をドラマより盛って書いたら怖かった汗。普通レンカノやめるぞ。でも、そこでやっぱ和也が来るぞと。それで結局、和也との恋人関係を続けちゃうぞと。和也が好きだから!!!そーいう筋書きですわ。

かのかりには、レンタル彼女と客という関係から生まれるすれ違い構造がずっとあって、これが、二人が恋人になれない障害になっていました。千鶴が自分の恋心に気づいた後(86話)、和也が告白するまで(174話)は、“両片思い”の状況が続いてきたわけです。ただ、原作漫画は基本的に和也の視点で描かれていて、読者もまた和也と同じように千鶴とすれ違ってしまい、本当は両思いだということに気づけない構造になっています。僕がブログで解説していることとは逆行してしまいますが、千鶴の気持ちがはっきり分からないところが、この作品の魅力でもあります。それに倣って、これまでの妄想小説では、千鶴の視点では書かない、本心を明かさない、「好き」と言わせない、という三原則を厳守しておりましたが。今回、初めて千鶴の視点で彼女の心の内を言葉にしてみました。千鶴はめんどくさいし、和也はめちゃめちゃ優しくて、少女漫画かよ!という小説になってしまいましたね笑。


んじゃ、また、本編の記事で!