【妄想】恋と彼女② | 恋心、お借りします

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(自称)水原千鶴を応援する会の会長。
頑張りますので、イイね下さい。

【妄想】恋と彼女①

 

恋と彼女②

 

もう「別れた」ことにした方がいいのかもしれない。いつまでも彼と付き合っているなんて嘘は続けられない。

時期を見て彼と話そうと考えていたけれど、なかなか良いタイミングを見つけられないまま二週間が経っていた。

午前の講義を終えた私は、簡単に昼食を済ませてしまおうと講義棟から少し離れたところにある売店へと向かっていた。

ちょうどシャーペンの芯が切れてしまったところだったから、それもついでに買っておこう。そう考えていたときだ。通路を挟んだ向かい側のスペース。そこで談笑する麻美の姿が視界に飛び込んで来た。

先日の麻美との一件以降、“恋人関係”を終わらせようと彼に伝えられているわけじゃない。万が一彼女に見つかってとやかく聞かれても返事に困るから、気づかないフリをして行き先へと続く渡り廊下を速足で進んだ。

「ちょっと待ってよ!歩くの早すぎ」

しかし、麻美は私に気づいて追いかけて来た。仕方がなく足を止める。

「こんにちは。水原千鶴さん」

『水原』の名前で呼ばれた。どうやら麻美は私の大学での姿に気づいているようだった。

「何か御用ですか?」

「先日のこと、謝ろうと思って」

「え?」

「ごめんね。あたし、ちょっと嫌な女だった。二人の事情も考えずに、ずいぶん勝手なこと言って」

どういうこと…?なんで急に?

レンタルまでして忠告したのに急に謝罪なんて、すぐには信じられなかった。麻美が申し訳なさそうに面を伏せる。その真意は分からない。

「それに千鶴さんにああやって言われて、あたし考えたの。やっぱり、和君に失礼だったなって。だから、ごめんね」

「いいえ。分かっていただけたなら、私は何も…」

先日彼のことを考えて欲しいと私がお願いした話を、麻美は言っているのだろう。麻美は私の話をまともに聞く気はない様子だったけれど、考え直したということだろうか。

「それでねっ」

麻美が急に声のトーンを上げて、楽し気に話し始めた。

「それでねっ。来週の水曜日にね。和君とデートすることになったの」

「え?」

「あたし、和君と寄り戻そうと思って。千鶴さんにああやって言われて、もう一度自分の気持ち確かめなきゃって思えたし。全部、千鶴さんのおかげ。ホントにありがとね」

寄りを戻す…?

彼のことを考えていただけて良かったです、そう麻美に伝えようとしたが、唐突に沸き上がって来るよく分からない感情に私の胸がざわめく。なんでだろう、胸が苦しくなる。私は「いいえ」とだけ答えた。

「でも…。あたし、ちょっと不安なんだ。和君、千鶴さんのこと本気で好きになっちゃったんじゃないかって」

麻美は不安そうな表情を浮かべると、面を上げてすがるように私を見上げた。

「だからお願い。和君の恋を邪魔するようなことだけは、しないで…」

当然そんなつもりはない。あの人と麻美が寄りを戻すなら、それが一番いい。無用な心配をさせてしまい、申し訳なかった。そう答えようとするが、私の身体に沸き上がったそれはさらに膨れ上がって、潰れてしまいそうなほど私の胸をきつく締め付けた。

それに戸惑いながらも、私は自分を取り戻し、

「私はそんなつもりはありません」

「そっ?ごめん、どうしても不安で。ありがとっ。千鶴さん!」

私の返答に、麻美は嬉しそうな笑顔をニコっと作り、踵を返した。本館の入り口を抜けた先に友達を見つけたらしく、はしゃいだ様子で去って行った。

麻美さんが、あの人と寄りを戻す…。なんで急に?本気で言ってるの?

麻美さんのことだし、あの人に気のあるようなフリをして、何か別のことを考えているんじゃ…?

きっと、そう。きっと、そうよ。

そんなことを考えてしまっている自分に気づいてはっとした。

そんなのおかしいって。確かになんで急に麻美さんが考えを改めたのかは分からないけど、あの人と寄りを戻すつもりなら、それでいいじゃない。彼の思いが届いたんだから。麻美さんはとても可愛い子だし、ずっとあの人が思っていた人。彼の家族だって受け入れてくれるはず。これで私も心残り無く、彼と「別れた」ことにできる。

私は嬉しいはず。

…でも、なんで?

どうしてだろう、先日の悔しかった気持ちが嘘だったみたいに、胸が苦しくなって気分が晴れない。それどころか、麻美の真意を疑ってしまうし、彼と麻美さんじゃ上手く行かないんじゃないか、なんて今までと真逆のことを考えてしまっている。押し寄せる胸騒ぎに、抱えていたノートを私は固く握りしめた。

…最高じゃない。彼の恋が叶うんだから。

そう思い直して顔を上げ、行くつもりだった売店へとつま先を向けた。

 

 

―――あたし、和君と寄り戻そうと思って。

 

麻美と彼が寄りを戻せば、心残りなく彼との“恋人関係”を終わらせられる。ただ、変な形で“彼女”を続けて来たから、彼には愛着みたいなものを感じていたのかもしれない。馴染みのあるお客さんとの繋がりを失ってしまうからか、それとも相手が麻美だということに納得がいかないのか。わだかまりが消えないまま私は大学の講義を終えアパートへと向かっていた。

…ちゃんと祝福してあげよう。それだけ確認して俯いてしまっていた顔を上げる。小さくなっていた歩幅を広げて足を速めた。

餃子屋の看板が掲げられた見慣れた角で右に曲がり、アパートまで続く坂道を登って行く。余分なことを考えないように、普段よりもむしろ大股でそそくさと足を進めた。

しかし、アパートが目に入ったところで、ビクッとして足を止めた。二階へと続く階段の下にあの人が立っていた。

私に気づいた彼がこちらへ振り向く。

その瞬間、ざわっと胸が騒いで苦しくなり、居た堪れない。私は思わず駆けだした。彼を無視してその横を通り過ぎ、二階へと続く階段を速足で駆け上がる。

「水原!」

案の定呼び止められるが、逃げるように登り切って自分の部屋の前までたどり着く。

「何?」

「ごめん。今週の水曜のレンタル、予約キャンセルしたくて」

水曜日…。追いついた彼の話を聞いて、彼がその日私とのデートをキャンセルする代わりに、麻美とのデートの予定を入れたんだとすぐに分かった。麻美が彼と寄りを戻したいという話はどうやら本当らしい。

「大丈夫。あなたのアカウントからキャンセル入れておいて」

「おっけ」

そう答えた彼は、私が普段のような落ち着きを失っていることに気づいたかもしれない。少し訝るように私を見つめていた。

「もうやめた方がいいかも。言ったでしょ。レンカノ辞めるって。いつまでもこんな関係引きずってちゃダメだし。もう終わりにしよ」

彼にそれだけ伝えて、逃げるように私はガチャガチャと音を立てながら部屋の扉にカギを差し込んだ。

部屋に飛び込む。すぐに扉を閉めた。

一人になった私はそのまま扉に寄りかかり、天井を見上げて大きなため息をついた。呼吸がまだ落ち着かない。胸がざわめく。

もう分かんない。自分でも分かんない。なんで…?なんで「良かったじゃない」って言ってあげられないの…?

あの人と麻美さんが上手く行けば一番良いと私は望んでいたし、そうなれば彼に本物の彼女ができて、彼のおばあさんも喜んで、全て丸く収まる。なのに、どうして…?

未練? いったい何に?

 

その晩、私はなかなか寝付けなかった。暗い中、カチカチという時計の音が時間を持て余すように鳴っていた。それを聞きながら、私は胸の奥にこびり着いてしまった痛みにじっと耐えていた。

 

******

 

 

 

自分の気持ちに答えの出ないまま、一日、また一日と、日は過ぎて行った。

数日後、彼が麻美とデートをすると言っていた水曜日には、他のお客さんからレンタルの予約が入った。当日になれば、いろいろと考えてしまいそうな気もしていて、仕事が入ってむしろありがたかった。

水曜日当日、デートの支度を済ませた私は部屋を出た。淡めのトップスにレースのスカートを合わせた、無難な綺麗目カジュアル。初めてのお客さんで好みも分からないし、初回のデートには『水原千鶴』の清楚なイメージ通りで臨むのがいつものことだった。

お客さんとの待ち合わせ場所をもう一度確認してから、私は最寄りの駅へと向う。

やっぱり、最近少し寝不足。

気だるい身体に、ちゃんとしなきゃと言い聞かせ、私は足を進めた。

正午前、待ち合わせの駅前に着く。11時36分。一つ早い電車に乗れたせいで、思ったよりも早く着いてしまった。いつも通り、お客さんとのLINEを確認する。

そのとき、ブブッとスマホの着信がある。お客さんかと思ったけれど、スクリーンの通知を見ると、意外にも芸能事務所のマネージャーからの連絡だった。

<ちづるちゃん、おはようございます!××です。先日稽古を見にいらっしゃった△△先生が、ぜひ自分の映画のオーディションも受けて欲しいとのことでした!!!先方には私から連絡入れておきます。まずは次の公演頑張ろう>

一段とテンションの高いその知らせに私はかじりつく。思わず笑みがこぼれた。出られる!映画に出られる!

はやる気持ちが抑えられなくて、私はおばあちゃんに「映画の仕事、入るかも!」と取り急ぎの連絡を入れた。期待が膨らんで子供っぽくはしゃいでしまった。

時刻を確認すると、もう待ち合わせの時間が近かった。お客さんが私の姿を探しているかも。映画のことはいったん置いておいて、仕事に集中しなくちゃ。

私は浮足立つ自分を抑え込んで、お客さんを待つことにした。

サイトウという名前の男性が、今回のお客さんだった。しばらく待つと、シャツにジャケットという小奇麗な出で立ちで、サイトウは現れた。私をレンタルするのは初めてなのもあったのだろう。少し緊張した面持ちで、「水原千鶴さんですか」と声をかけてくれた。

「サイトウさんですね。こんにちは。水原千鶴です!」

声色をワントーン上げて挨拶をする。初めから馴れ馴れしくしないように。清楚系の彼女だし、お客さんも少し緊張しているようだから、少しずつ距離を詰めて行くことにしよう。

なんだか数日続いた曇天がやっと晴れたような気がした。いくぶん心が軽い。これでいい。これでいいの。次の公演が上手く行けば、きっと映画に出られる。あの人が麻美さんと寄りを戻して、私とは別れたことにして、彼との“恋人関係”を終わらせればいい。これでいいの。最初から結論は出ているのに、悩む必要なんてなかった。

そう結論付けて、私はレンカノの仕事に集中することにした。

 

デートの予定は2時間。最初の1時間くらいは、一緒にランチをするとのことだった。サイトウが、数年前から人気のお店だと説明してくれた。

外食王手企業が開店した、エスニックを基調としたオシャレカフェ。念のためリサーチをしてはいたけれど、お客さんがせっかく調べてくれたのだから、知らないことにして喜んで見せた。その後は、カフェでお茶をするか、どこかで遊ぶか、その時に決めようということだった。

サイトウとお店のエントランスを抜けて、中に入る。人気のお店という通り、雰囲気がいい。

店員に案内されて席に着いた後、サイトウが春限定のランチメニューにすると言ったので、私も同じものにすることにした。

手元のメニューを閉じて店員に渡そうとしたときだ。奥の席に見慣れた姿があるような気がして、私は背筋を伸ばして遠くまで目をやる。四人掛けの大きめのテーブルにあの人に似た人が座っていた。まさかと思ったが、その隣に麻美を見つけて確信した。

まさか…!?デートの場所が被るなんて、そんなことある?

彼は普段よりしっかり目のジャケットで小奇麗な出で立ち。麻美も今日は長めのスカートの少し落ち着いた雰囲気。さらにその周りには、麻美の両親らしき二人がテーブルを囲んでいる。

デートって言うより、ご両親を交えた食事会…?あの人と麻美さんは、どこまで進んでるの?今日は、別れてから初めてのデートだよね。もう付き合ってるってこと…?

「千鶴ちゃん、どうかした…?」

隣のサイトウに名前を呼ばれて、我に返る。

「いえ。素敵なお店だなと思って」

「でしょっ!料理もおいしいから」

「はい。とっても楽しみです」

ダメ…!今は仕事に集中しなくちゃ。騒ぐ気持ちから目を逸らすように、私はサイトウの方へ向き直って笑顔を作った。

サイトウは、スタートアップ企業で社長をしているらしい。それから趣味はカメラ。たまにこちらから話題を振りながら、ランチを楽しんでいた。

その後サイトウが急な連絡が入ったと言って席を外したので、その間にと思い、私がお手洗いへと向かったときだ。

…結局、あの人と麻美さんは付き合うことになったのかな…?用を済ませて洗面所の鏡の前に立つと、目の前にはまたあの人のことを考えてしまっている自分がいた。

我に返りぶんぶんと首を振る。二人が寄りを戻すことに文句なんて無いはず。考えるだけ時間の無駄よ。

「千鶴さん」

そのとき聞き覚えのある声に呼ばれて、ビクッと身を縮ませた。

振り返ると、あの人とデート中の麻美がいた。今日はご両親も一緒だからだろう。淡めのマーメイドスカートのワンピースは大学では見たことのない『きちんと感』があって、ずいぶん印象が違う。ふんわりとした髪も丁寧に整えられている。

「ホント、驚いちゃった。千鶴さんも居るんだもん。お仕事?」

麻美はレンカノの仕事をしている私を不満げな表情で見てくる。私が「はい」と答えると、安堵した表情を見せた。

「よかったー。やっぱりただの偶然だよね。もしかしたら千鶴さん、あたしと和君の様子を探りに来たんじゃないかなー、なんて」

「まさか。ただの偶然です。お客さんに誘われて、たまたま」

「だよねー。勝手に誤解して、ごめんね」

偶然にしてはタイミングが良すぎるし、彼との恋を邪魔しないで欲しいと私に忠告してきた麻美が私を疑う気持ちも当然だと思うが、今回は本当に偶然だ。別に何か取り繕う必要はなく、素直にそう答える。

「ほらっ。そんな怖い顔されると心配しちゃうじゃんっ。あなたの仕事に何か言うつもりは、全然ないんだからー!」
麻美はいつものようにアンニュイな口調で私を気遣った後、声のトーンを一段上げて楽しげに瞳を見開いた。

「素敵なお店でしょ?」

「あっ、はい、そうですね」

「実はこのお店、和君と初めてデートしたときに来たの。色々探し回って見つけてくれたみたいで。…でも、ちょっと重すぎたかな…?和君に引かれちゃったらどうしよ。だって、今日パパもママも一緒でしょ?パパに好きな人がいるって話したら、会わせろって聞かなくて。親バカって言えば聞こえはいいけど、正直ちょっとね…。少しは娘のこと考えてよーって感じだよ」

そう話す麻美は真剣に恋をしている女の子に見えて、私の胸にまた得体の知れない痛みが襲ってくる。

私はすぐにこの場を離れようかと思ったけれど。…最高じゃない、彼の恋が叶うんだから。そう思い直して、痛みを抑え込むように手のひらで自分の胸元を掴んだ。口元を結び直す。

「良かったです。和也さんのこと、ちゃんと考えていただけて」

「…え?」

「和也さん、少し変わってるところもありますけど、優しい人ですし、あなたを大切に思っていますから。麻美さんと和也さんがもう一度やり直せるなら、それが一番良いなって思います」

そう言って笑顔を作る。

麻美は私の言葉が意外だったのか、少し呆気にとられた顔を見せたが、すぐに先ほどまでの笑顔に戻った。

「うんっ。ありがとっ。でも千鶴さんも和君みたいなお客さんに巻き込まれて、大変だったでしょー?でも、大丈夫。ここからは私に任せて」

「はい。和也さんとのデート、楽しんでくださいね」

「千鶴さんも、お仕事頑張って」

私を労ってくれた麻美に一礼して、その場を離れた。通路を抜けて席へと戻る。

良かった。なんてことない。ちゃんと祝福してあげられた。麻美さんと彼が寄りを戻して、私とは「別れた」ことにする。それで全て上手く行く。そうするって、もう決めたんだから。

そう納得して私は席に着き、サイトウが帰ってくるのを待つことにした。

 

その後、仕事は順調だった。店内の雰囲気がいいだけでなく料理もどれも美味しくて、少し特別なイベントに使うには丁度いいと思った。サイトウとの会話も弾んで、彼も「今日は千鶴ちゃんが来てくれてよかった」と言って笑顔を見せてくれていた。

そろそろランチの時間も終わりかと思う頃、私は少し気分が悪くなってきた。最近あまり寝られていないし、最初は少し寝不足だからかなと軽く考えていた。

しかし、サイトウとの話を続けるうちに、ますます状態は悪くなる。身体がだるいし、瞼が重い。さすがにおかしい。

「千鶴ちゃん、大丈夫?」

意識が遠のいて、平気だなんてとても答えられる状態ではなかった。さすがにマズい。

そこからは記憶は残っていない。ただサイトウが何かぶつぶつ呟く声だけが聞こえていた。

 

恋と彼女③へつづく)