『わしの眼は十年先が見える 大原孫三郎の生涯』
城山三郎
平成九年五月一日発行
平成十二年七月十五日四刷
株式会社新潮社
岡山県倉敷にある大原美術館の創設者としてしか知らなかった大原孫三郎の生涯。
しかも、大原美術館に行った事はなく、民間の美術館でありながら、貴重な絵画が展示されている
ということしか事前知識がなかった。(恥ずかしい)
大原孫三郎氏は、クラレ(倉敷レーヨン)の創業者、倉敷紡績の2代目社長。
もともと、倉敷の大地主の家であり、父・孝四郎氏が担がれて倉敷紡績社長となった。
孫三郎氏の若かりし頃は、大金持ちの息子として、東京(のちの早稲田大学)に遊学時には、
大勢からたかられ、現在価値で10億の借金を抱える程のボンボンぶりを発揮。
借金は義兄の尽力により棒引きしてもらったものの、義兄は心労で病死。本人は謹慎処分。
その頃に、石井十次という大阪の愛染園等を創設したクリスチャンの孤児支援家と出会う。
石井は石井で突っ走りすぎる側面のある人間であるが、慈善事業に具体的な目標(経済的自立と
できるだけ多くの孤児を救いたい)を持って、ひたむきに突っ走る姿に心酔することになる。
孫三郎は、倉敷紡績の経営に関わるようになり、やがて社長に。社長としては、クラレの創設、
電力事業の開始(のちの中国電力)、地域金融機関の統合(のちの中国銀行)等の功績を残す。
一方で、日本史の教科書に出てきた(やはり本書を読むまで認識がなかった<恥>)
「大原社会問題研究所」や、「大原農業研究所」、「労働科学研究所」、「倉敷中央病院」、
「大原美術館」等を私費を含めて創設。