わりとこの時期に白のカラーの花は探しても見つからないことが多いし、

今年は好きな花を好きなように飾ることにしました。

単純に切り花180円セールの花屋さんの前を通ったからという理由なんだけれども。

綺麗なものを眺めているだけで、心が落ち着くと言えれば素敵なのですが、

わりと一生、本気で「落ち着く」とか「安心する」という感覚を味わえることは、

なんとなくないような気がしているんですよね。

だからこそ、好きなものを好きといって生きていきたいと思うのかもしれないし、

ひとの持病の名前を「本題はそこじゃない」という話の端々で、

選挙カーみたいに連呼するなと思うのかもしれないです。

 

人を癒して癒されるということは、誰にでもできることではないからこそ、

大事なヒトモノコトは自分で守れるような人間に、

誰かの何かのではなく、大切な人たちを癒せる人間でいたいと思うのは、

ここ数年の成長なのかなあなんて。

 

そんな、かぼちゃプリンを食べ損ねたハロウィンの夜。

栗も柿も得意ではない人間は、

おとなしくキノコのバター炒めを秋の味覚として味わうことにします。

もはや三ヵ月記(間違ってないけど多分色々違う)

 

音酔い問題をなんとか乗り切った今日この頃、いかがお過ごしですか。

ネタがなかったわけではないけれど、

笑い話はサバと同じで足がつくまえに料理しないとどうにもならない(苦笑)

ただ、このご時世でもライブ後の撮影会であいる様にクールに大ボケをかまされ、

シブツタのサイン会でルイスに笑顔で大ボケかまされていることには変わりなく。

しかしSHIBUYA TSUTAYA、

販売フロアの上に鉄板焼きレストランの跡地があったなんて知らなかったよ。

(今、イベントスペースがそこになってるんですが、なるほど換気)

あと、新宿タワレコのイベントスペースも無事再開できていて、

本当は去年のGWのはずだったデイジーのサイン会の振替に行ってきました。

久しぶりだよ東京のど真ん中で、

「よっこはま!よっこはま!」とReiさんに連呼されたのも(笑)

 

最近、8年ぐらい前に書いた小説を読み返す機会があったのですが、

私、昔から変わってないなと改めて。

いや、さすがに時間がたって、私自身も自覚のないところでの変化があったり、

時代が変わったり、価値観が変わったり、使う言葉が変わったりはしてるわけです。

それでも、伝えたいことだとか、表現したいと思うことは変わってないんだなと。

怒りや不平等を訴えたいのではなく、

結果として笑い飛ばしたいだけなんですよね、どんなことに関しても。

それをポジティブと言われようが、

恵まれた人間の驕りだといちゃもんをつけられようが、

知らんこっちゃねーや、私は私だと。

 

そんなことを今日、アプレゲールの善徳さんのインタビューを読んだり、

おみつさまの「親密」の配信を見ながら考えてました。

考えたというより、それでいいんだと背中を乱暴に押してもらえたというか。

まあとにかく、この膠着状態もあと少しなのかな。

そうだと信じたいし、そうじゃなかったらまたその時だ。

 

要は世の中がどうとかより、自分に負けたくないっていう、それだけなのかも。

そんなわけで、生存報告の三ヵ月記でした。

もしかしたら、三ヵ月書いてないってのは今までなかったんじゃないかな。

 

相変わらず、感染対策万全にしつつ、

ライブへ行ったり、試合へ行ったり、そんな日々です。

しれっと学生にも戻ったので、

自分で決めた時間にテキスト読んでレポート書いたりとか、そんなことも。

しかし、本を読むとか勉強するとか、そういう集中力は、

メンタルを壊すと圧倒的に落ちますね。

正直、今のレベルにまで戻すのに何年かかったか想像したくないぐらい。

というか、ご時世がどうとか関係なく、

人の頑張りを否定する人や、

そういう人間が大多数を占める組織とは関わりたくないよホント。

 

無事デイジーの周年が二年ぶりに開催されたとか、

去年から延期になってた彩冷えるの渋公が無事開催されたとか、

そういう明るい話もあります。

なんというか、ワクチンが行きわたれば、

とりあえずヒトモノコトの断片だけの情報しかない状態で、

決めてくれ・やってくれ・判断してくれみたいなことは格段に減ると思うので、

そこに期待しつつ、手洗いうがい消毒です。

あとは人に会わなくていいリモートはすごくいいシステムだけど、

軽度とはいえ聴覚過敏持ち(音感由来)の人間には、

時々雑音で音酔いしてしんどいことがあるので、

何か対処法ないかなあと思う今日この頃。