最後の逃げ道 | 子連れホームレスからの再起・・・私の貧乏の戦い方

子連れホームレスからの再起・・・私の貧乏の戦い方

人生何が起きるかわからない、身内に翻弄されて子連れホームレスになった薄給リーマン一家の自力再生と今。

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強かった・・・ってことになるのかな?


結婚したいとは思ってなかったけど、
ずっと父親みたいな存在は求めていましたね。

小学校一年の時は隣の席になった男の子が優しくて、
私はありえないくらい甘えていて、
今から思えばさぞイタイ子だったことでしょう。

父親がいるのに父親みたいな存在を求めてるってのはアンバランスなもので、
周りにも理解してもらえなくて、

あの頃の私はいつも誰かに関心を示して欲しくて、
常にイライラしていたなって思います。

親に期待することを完全に諦めた中学時代、
どうにか家を出る方法はないかと考えていて、

当時は英語が得意だったので、留学できる可能性に飛びついて、
試験はどうにかなりそうだけれど、あとは親の承諾だと言う段階で、

親に話すと激高されました。


私は自転車に乗るもの禁止されていて、
それは箱入り娘だからではなく、何かあったら面倒だからってことだったのですよ。

友達とのお買い物に街へ出るのもダメ、
コンサートなんてもってのほか。


就職してから自分の収入で旅行に行くのも禁止、
黙って計画していたのがバレた時には、

反対するのにどうしても行くと言うのなら、
お母さんを殺してから行きなさい


と書いた手紙が渡されましてね。

その異常さに正直、背筋が凍りました。


とにかく、母は全てにおいて私を支配しようとして、
発する言葉のひとつひとつまで、
自分の思う通りにしないと気が済まない人でした。

年頃になっても幼児用の下着しか認めないってのも異常だよね。


小さいころから家から脱出する方法を色々考えては潰されて、
最終的には結婚するしか家を出る道はないと、

私にとっては最後の唯一の逃げ道だったのだと思います。

夫には申し訳ないけれど、藁をもすがる思いだったので、
救ってくれた夫には感謝しています。

なんだかんだ言っても、実家に居るよりは
私はずっと幸せを感じることが出来ているからね。


逃げてこの道を選んだのだから、
もう私には逃げ道はないんだと思っています。


我が子に幸せな結婚をしてもらいたいと願うなら、
子供が逃げ出したくなるような家庭にしないことだと、悟ったりね(笑)