哀しいかな、世の中には人を困らせたり、傷つけないと気が済まない人が居る。
大人になった私が振り返ると、
父はそんな人間だったんじゃないのかなと思う。
私が育った家庭は、毎日、誰かが泣き、誰かが怒鳴り、
穏やかに一日が終わることのない家だった。
皮肉を言えば、毎日が刺激的で生きている実感に溢れていたとでも言えるのだろうか?
それは私が子供の頃の話ではない、
高校生になっても卒業してもそうだったし、
結婚してからたまに実家に行っても同じだった。
例えば、美味しいものを食べていても、
どこかに旅行をしていても、楽しい時にわざと問題行動を起こして台無しにしたり、
そう、わざと大事なものを壊して、
「こんなことになったのはお前らのせいだ」
とか言い出したりする癖のようなものがあったと思う。
幸せなことを幸せだと素直に受け入れることが出来ない、
怒りや不幸の感情の方が安堵するような。。。って理解してもらいにくいけれど、そんな人が少なからず居るのも事実だ。
それって虐待の連鎖が断ちきれないことにも繋がってくるんだろう。
我が子がかわいいのに虐待をしてしまう。
一番大事な子供にこんなことをしなければいけないほど、
私は苦しんでるんですよって、
言いたいのに言えなくて誰かが気が付いてくれるのを待って居るようなね。
父は、家族を困らせ、そうやって自分に関心を向けることで安堵していたようなフシがある。
問題行動を起こして、申し訳ない顔をするどころか、
父のことでほとほと困っている私たちを見てニヤニヤ楽しんでいるようだった。
これが痴呆でも腹が立つところだろうが、
私が知っている父は元々そんな人間だったのだ。
庭に捨てまくった、父が食べたお菓子のゴミを、
ぽいぽい捨てちゃだめだからね!と言って拾っていると、
拾っている私の頭の上にわざとゴミを落として、
ウンザリした私の顔を見て、楽しそうにクスクス笑うのだ。
ひとりでもそんな人間が居ると、次第に家族内に伝染して行く。
母も同じように、弟も・・・
実家では心を傷つけられる前に傷つけた者が勝ちとばかりのやり取りが毎日だった。
殆ど毎日泣きじゃくりながら眠りについていて、
誰もがみんな毎日こんな思いをして居るんだと思っていた。
私は泣き腫らして瞼が腫れているのに
友人たちは腫れてないことを不思議に思って、
「泣いても腫れない人も居るんだね」とかなんとか聞いたことから、
毎日泣き疲れて寝ることが当たり前じゃないってことを知った。
私が生まれて初めて知った社会(家庭)はそんな場所だった。
きっと誰も心を満たされていなかったのだろう。
弟はまだそんなことに気が付いていない。
我が家の夫、収入にも恵まれず、致命的不器用さで、実家の問題もあり、
どこの夫婦でも経験するような騒動も、何度か離婚話なんてのも出たこともある。
夫のせいで何度か泣いたこと、怒ったこともあるけれど、
夫に対して信用とか、色んなものを失くしても、
たったひとつ、泣き疲れて寝ていた私が、自分の寝言の笑い声で目が覚めるのだ。
私にとって夫の多少の不出来なことは、
泣かないで眠りにつける幸せと比較すると取るに足らないことなのかも知れない。
実家が安堵出来る場所じゃなかったから離婚しなかったってだけなんだけど。