娘とハワイ① | 子連れホームレスからの再起・・・私の貧乏の戦い方

子連れホームレスからの再起・・・私の貧乏の戦い方

人生何が起きるかわからない、身内に翻弄されて子連れホームレスになった薄給リーマン一家の自力再生と今。


これは娘とハワイの不思議なお話です。


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娘が小学生2年生だったある日、学校から電話がありました。



「早くお知らせしないとと思いまして、ぷ~ちゃん(娘)の目が見えていないようです」


「学校で怪我でもしたんですか?」


「いえ、今日眼科検診だったんですが、ぷ~ちゃんの片目が見えていないとのことで、

出来るだけ早く眼科を受診されてください」



目が見えてない?


いったいどうして?



私が学校まで迎えに行ったのか?自分で帰ってきたのか?


その時の記憶がありません。



近所で評判の眼科に連れて行って診てもらったところ、



「お母さん、この子、片目だけじゃないですよ


両目見えてません!



「両目ですか?でも歩いて病院まで来たんですけど・・・」



「それでも見えてないの!

この子がこんなになるまで、お母さん気がつかなかったんですか?

最近、この子の周囲で何か変わったことあった?」



「それって精神的なもので見えてないという事ですか?」



「そう、眼科の領域じゃない、

一応目薬は出しとくけど、目薬で治るもんじゃないよ、

お母さんが膝の上に乗せて、お母さんの手で点してあげなさい」



母親の愛情に問題があるのではないか?


医者の言葉はそう言いたげでした。


虐待を見破ろうとする目はこういうものなのか?とそれが自分に向けられているのを感じました。



仕事から帰ってきた夫が心配して病院まで迎えに来てくれました。


「両目とも見えてないって言われた」


「え?でもちゃんと歩いてるよ」


「ぷ~ちゃん見える?」


「わからん」



娘は夫の方に似ていて、小さいときから笑顔も言葉も少ない子でした。

DNAだから仕方ないよね!と思っていたのに・・・


寡黙なこの子の心の中で何が起こっていたのでしょうか?


心当たりと言えば、

夫の母が入院して、その付き添いで私が毎日通っていて娘ひとりで留守番させることが多くなっていたり、

子供たちだけで夜を過ごさせたこともあったこと。


やがて義母が亡くなって、親戚と顔を合わせることが多くなると、

私が親戚から酷いことを言われたり、お手伝いさんのように使われていたのを見ていたこと。


義母は世間知らずのお嬢様育ちだったので、義母の姉妹もみんなそういう育ち方で

人に対する思いやりのある言葉遣いが出来ません。



後になって、

息子から、娘も大伯母たちにイジワルなことを言われていたのだと聞きました。



当時、小学校2年生、

まだ小さい娘はどんな思いだったでしょう。


私だけなら我慢も出来るけど、娘にまで平気で傷つけるようなことを言う伯母たち、

涙が止まりませんでした。


自分の親類から娘さえ守れない夫にも苛立ちを覚えました。



このままじゃ私たち家族まで壊れてしまう。


すでに身も心もボロボロになった家族

娘の目はどうやって見えるようになるんでしょうか?



②に続きます