マミーイメルダ | 子連れホームレスからの再起・・・私の貧乏の戦い方

子連れホームレスからの再起・・・私の貧乏の戦い方

人生何が起きるかわからない、身内に翻弄されて子連れホームレスになった薄給リーマン一家の自力再生と今。

私がお姑さんやお舅さんの話をすると、よく「羨ましい」と言われます。


確かに夫の両親はクソ真面目で冗談のわからない人なのに何故かお茶目で面白い。


義父のお話→こちら



今日は義母編です。


うちのおばあちゃん。。。と言ってもよぼよぼおばあちゃんではありません。

女優の江波杏子さんにそっくりです。


夫と私の間だけの呼び名なんですが、

別名「イメルダ」と言います。

これでピン!ときた方社会100点です、おめでとう(笑)


息子が生まれてちょうど1歳の誕生日を迎えるころ、義母の乳がんが発見されました。

すぐに手術をしてから週に1度の通院の日々が始まるのですが、

マミーイメルダ、その通院の時に同じ服を2度と着て行きません。


「病院通いでお金がかかる」というのは主に服代のことなのです。


それもスーパー系のお店で買うのではなく、すべて下着、ストッキングに至るまで

身につけるものはすべて百貨店。


靴やバッグも1度しか使ってないものがたくさんあります。


70万くらい臨時収入があるとすぐにデパートに行って、

「あれくらいでは思ったもの買えないねぇ」と渋い表情で帰ってくる


おいおいガーン


週4は夕飯にデパ地下のお惣菜、多いときは週6デパート通い


そうです、お金に困ったことのない苦労知らずのお嬢様なんです。


マミーイメルダ、世間の相場を知りません。

家を建てる人はみんな宝くじが当たったと本気で信じています。


ある意味、現代のマリーアントワネット?(笑)


家の中を模様替えしたいときは、大工さんを呼んで即ビフォーアフター、

半年毎に家の中の様子が変わるなんてザラでした。


そんな生活なのに、子供を学校にやるお金はない!と言うんですから、ビックリ仰天。


母は自分が相続したお金は自分のもの、

子供を学校にやるお金はお父さんのお給料からだから無理ってことらしいんです(笑)



歳とった両親の末っ子に生まれて、

養子をとって家を継いだ義母。


嫁としての苦労もしたことなければ、知らない土地に出たこともない。


世間知らずで当たり前なんだ・・・と思ったら、

それまで非常識に思えていた義母の言動がかわいく思えるようになりました。


「お義母さん、こういうときはこうしたらいいんですよ~」


義母も最初はプライドがあって、知らん振りをしていたんですが、

魚を捌いたことのない義母に魚を捌いて干物の作り方を教えたりしているうちに、


そのうち何かあると私に電話してくるようになりました。


あるときは自分で作った干物の味の感想だったり、

あるときは姉たちの愚痴だったり・・・



息子がまだ小さい時、2人で行ったデパートで、たまたま見つけたセールの札のついたワンピース。


当時の我が家の収入は10万円ほど、そのうちアパート代43,000円、

その残りで、公共料金、夫のお小遣い、息子の学資保険、教育費の積み立て、医療費、食費、交際費まで

生活のすべてをまかなっていた極貧時代です。


そのワンピース、たしか5,000円だったと思います。

我が家にとっては5,000円の臨時支出は死活問題です。

でも、そのワンピースがまるで義母のために作られたかのように思えて仕方なくて、

思わず買って義母にプレゼントしたんです。


「私、こんな描いたような柄好いと~とよ」


わかってますよ、お義母さん!

私もそれが似合うのはお義母さん以外に居ないと思ったんやもん


義母は5,000円の安いワンピースなんて絶対に着る人ではないんですけど、

お気に入りの一枚のようで、何度も何度も病院に着て行っては「嫁が買ってくれた」と言ってくれた服です。


純粋なくらい我侭なお姑さんだけど、

だからこそ、人付き合いが器用でないだけに言った言葉には嘘がないんですよね。


ワンピースを喜んで何年も着てくれてたこと、

病床で私が来るのを心待ちにしてくれてたこと。


「うちのばあさん(母)は、嫁さんの手のひらの上で知らないうちに転がされてて幸せやったね」と夫は言います。


なんか人聞きが悪いのでいやです(笑)




自分をかわいがってもらおうと思うとストレスが溜まる。

結局お姑さんにとって嫁は他人なんだもん、

かわいがってくれなくても当たり前、世間知らずなんだからしょうがない

そう思ったらイメルダでもマリーアントワネットでも、何てことなくなっちゃいました(笑)