巣立ちの頃に思う③ | 子連れホームレスからの再起・・・私の貧乏の戦い方

子連れホームレスからの再起・・・私の貧乏の戦い方

人生何が起きるかわからない、身内に翻弄されて子連れホームレスになった薄給リーマン一家の自力再生と今。

あれだけ頑なになっていたのに、

心の中を吐き出してしまうと、ずいぶん楽になったように見えた息子



でも、まさかそれだけでいい方向に進むはずもなく、

学校に任せることになってからは、

それ以後、何の説明もありませんでした。



次第に休みがちになっていったA君



再び、息子の表情はくもっていきました。

知らないところで何かが動いていることは確かなのに、

大事なことからは目かくしされている・・・そんな感じ。


気にはなりながらも、表面的には何の問題も起きていないような日々。

学校行事に追われて、あっという間に一学期も終わりに近づいていたそんなある日。


担任から突然、A君の転校を告げられました。


「A君はお家の都合で転校しました」と・・・

『します』じゃないんです、『しました』なんです。



ほんの数日前に学校で顔を合わせていたのに、

息子は彼からそんな話も聞いてはいなかったのに。


担任から私への電話は「色々ご心配かけましたが、あの問題は解決しました」

畳み込むような口調。



息子にも「色々ありがとうな、Aは転校することになって解決したから」



違和感を感じるのは私だけでしょうか?



その日帰宅した息子は、以前にも増して荒れていました。

あれほど手の付けようのない息子をみたことはありません。


おかん、Aくんは転校したって

先生はそれで解決したって言った。


学校側の解決って、弱い人を追い詰めることなん?

やりたい放題のわがままなやつらをかばうん?

学校ってそんなとこなん?

俺ら、そんなとこに毎日通ってるん?

そんな人たちから何を学べって言うん?



先生方もイジメに対する特効薬を持っているわけではありません、

ひとりの人間だし、限界もあるでしょう

その結論を導き出すまで、幾度も保護者との話し合いも持ったことでしょう



でも、どちらから転校と言う選択肢を提案したのかはわかりませんが、

教師にとって、目の前の困った問題を解決するにはいい切り札ですよね。



息子が傷付いたのは、ひとりの友人が追い込まれてしまったことを

解決と言う言葉で片付けたことなのです。



出来なかったら、出来ないって言えばいいのに

自分が難しい問題をクリアしたみたいな言いかたは納得できん。

誰かが苦しんでいるのに、先生はイジメ問題を解決したってことになってる。



その出来事以来、

中学1年の夏から、高校3年で恩師と呼べる先生に出会うまで、

息子の教師に対する不信感は拭えませんでした。


中学卒業時の夢は教育改革。

大学進学時も教育に携わりたいとの信念は揺るぎませんでした。



今、まもなく社会へと巣立っていく息子を見ていて、

思い出されるのはA君のこと

彼は今、どうしているだろうか?


担任教師だけではない、

私にも他にとるべき行動があったのかも知れない。



どうか、その後のAくんの人生が良きものでありますように。




皆さんにコメント頂くまで、息子の取った行動を勇気あることだと思えなかったのは

私たちが関わった結果が、Aくんにとって最良のものであったのか疑問に思い続けていたからなのかもしれません。





それからまもなく、各地で学校内での殺傷事件が相次いで報道され、

校内への刃物の持ち込みが厳しくなりました。


犠牲者が出ないと対処できない、子供の不信感を募る、

それは教師だけでなく、大人たちの責任です。



子供が犠牲になる世の中であってはいけない

誰もがきっとそう思うのに、何故いつまでも続くのでしょう?


ちょっと涙目のこっぴーでした。