「なにをしたいだ(何をしたいのか?)」
子供の頃、よく父に怒られたときの言葉だ。
私はその言葉の意味がわからなかった。
なぜ父が怒っているのかもわからなかった。
私は自分が何を求めているのか、何をしたいのか、自分でもわからない子供だった。
人は欲求から自己を形作る。
自分が何をしたいのかわからない人間は自分がわからない。
人は自分を物差しにして他者を、世界を理解する。
自分がわからない人間は他者を、世界を理解できない。
なにもかもわからない。
自分のしたいことが決まらない以上、自分のできること、能力、適性も決まらない。
目的によって、必要とされる能力、適性は変わるのだから。
そして、自分のしたいこと、自分のできることが決まらない以上、
自分のやるべきことも決まらない。
人生の義務、動機、目的が定まらない。
自分がないのだ。
自分がない以上、自己と他者との関係が構築できるはずもない。
なにもない。
この年になって、ようやくわかった。
自分が本当にしたいことはなにか?
したいことはなにもなかった。
自分がやりたいこと、夢だと思っていたことはすべて外界からの情報だった。
自分はただ静かで穏やかな生活をすることができれば満足という人間だった。
ようやくわかった。