いつものこと、と云ってしまえばそうなのだけれど、
大きなイベントの前には必ずといっていいほどあるな。
ヒューマントラブル。
夏に続いて、やってきましたか、この時期が。


外から見ていれば「何故そんなことで、、」と思うわな。
でも個々には、それが最重要項目だったりするから、
話としては難しい。


時折、期せずしてその輪の中に自分が居ることもある。
それを解決するための努力は必要不可欠かつ不可避なのだけれど、
そのために注ぐエネルギーが毎回ばかにならない訳だ。


こういったトラブルの大半の要因はコミュニケーションの稚拙さなのであって、
問題になっている局面を両側から俯瞰してみれば、
実は双方同じことを云っている(目指している)か、
もしくは両方とも考えそのものが間違っているケースが多い。


要するに、あなたがたは「気が合う」のだよ、と云いたいけれどね(笑)


多くのケースで見られる共通点はもう一つ。
意識的な場合と無意識なケースが混在するけれど、
おしなべて「個が大事」ということ。


俯瞰してみれば、、、と前述したように、この視点が欠けている訳。
今我々がしようとしていることは、誰のためになすべきことか?


ここで「自分」を前面に出すひとは、集団行動には向いていないと思うのだ。
いやね、もちろん自分は大事だよ(笑)
でもそれは心の中で守るべき一線であって、そこをひとに悟られてはいけないのだ。
集団で何かをやろうというときのお約束はあくまで利他であって、
利己は基本よほどのカリスマでも無い限り生き残れない。

特に我々のやろうとしている集団音楽は、聴いてくれるひと(お客さま)がいて、
一緒にやってくれる仲間がいて、初めて成立するのであって、
どちらを欠いても、それは単なるマスターベーションになってしまうということ。
何をするにしても「上記のひとたちのため」が最優先課題でしょう。


そこから考えたら、落としどころは自ずと決まるし、
相手に伝達して良いことと悪いことの境界は明確である筈なんだよね。


あくまで個人的な意見だけれど。


形而下的な問題であっても、前述の通り解決にはエネルギーを消費する。
そのエネルギーを別の方向に向けられないものかな、とつくづく思う。


面子やプライドってのも、大事だけれどもね。
おれは音楽をやりたいだけなんだけどな。


定演の曲もほぼ揃った。


多少負荷を上げようという意図があったのだけれど、
まあ、なかなか手強いというか、黒い(笑)楽譜が集まったなと。


16分や32分のおさらいをしていると、当日が来てしまうから(笑)
そこは譜読みの範疇に留めておいて、
それ以外のところから実践をするしかないのだが、、。


そこそこ大きなソロもあるしな。


パート割りの作業が始まるのだが、希望者はどうよ。
自分はいつも通り「希望なし」と希望するのだけれど、
多分あの和笛のソロが回ってくるんだろう。


ポイントは替え指とタンギング。


ああいう分散の上向下降が散りばめられたフレーズは
中音B♭とF♯の運指のチョイスを考える。

B♭は3種類。
右手人差し指を使う通常パターンと、ブリチャルディキーを入れて
右手を解放するパターン。
それからAisキーを使うやつ。


3つ目は今まで実戦で使ったことがなかったけど、
前後の動きを考えると、今回はこれも必要になりそう。
普段から練習してないとね、、、ここんところで必ず引っかかるんだよな。
今から練習せねば。
合奏は残り15回。う~む。


んで、もう一つの課題はその和笛ソロの吹き方というか、何というか。


和笛イメージのソロって、吹奏楽ではポピュラーな存在で、
民謡系の楽曲では、そりゃもうげっぷが出るほど使い倒されてるんだけど、
みんな意外に知らないよね、


「和笛」はタンギングを使わない」ということ。


音源でも現場でも、みんな普通にフルートの吹き方で吹いてるけど、
どっちが正解なんだろうか?
特に今回のようなグリス・ベンド系のフレーズの場合は
ノータンギングで「ぼやっ」と吹いた方が、雰囲気が出そうな気がする。


できれば、の話だけど(笑)


B♭3まで使うフレーズ(Dis3やFis3も多用)で、
ふんわり吹くのは至難の技だよね。
経験者でさえ、あれだけ苦労しているのだから。


はあ、何とも思うように吹けないし、
子どもっぽいソロだけは避けたいところだけど、、。


まあ、泣きごと云ってないで
練習するしかないよな。
100回以上は、十分に吹く時間もあることだし。

コンクールっていうやつは、
まったくもって清濁併せ飲む存在だ。
加えて喜怒哀楽の全ての要素を内在させたイベントってのも
実生活の中で実はそんなにお目にかかれるものじゃないと思う。


たいがいは数か月間、
辛くて苦しくて、自己嫌悪で泣きたくなるような日々が続いて、
上手く立ち回れて安堵するときもあれば、立ち直れないときもある。
でも練習自体はコンクール曲1色だから、
参加を表明する以上、基本的に逃げ道はない。


出場する部門レベルの差こそあれ、真剣に向き合うのであれば、
コンクールの実態は「忍耐」と「研鑚」に尽きるのであって、
ここに楽しさの要素を見出すには、
俗に云うマゾヒズム(笑)とかの志向性を持っていないと難しいんじゃなかろうか。


つぶれてった人間も山ほど見てきたし、
それこそ仲たがい等を含めた人的トラブルなんて、
起こらないコンクールの方が珍しい。


っていうか、期間中平穏無事に一枚岩で審査当日に臨める団体があるとしたら、
それはもう「宗教的」な(あくまで「的」です)連帯感としか考えられないな。
もしくは、ある種の「達観」だ。


まあ、団員全員が達観している人たちの組織ってのも、
それはそれで神秘的な気味悪さだけどね(笑)


コンクールに強烈な嫌悪感を抱くひとの存在と思考ロジックは、
実は理解できるんだよな。
だって出ない方が全てに於いて平穏だし、楽なんだもの(笑)


我々レベルの集団が、「まずはコンクールに出る」と決めている理由は
逆に云えばそこにあると認識している。


基礎合奏や初見の訓練、イベント等の舞台は、
もちろん奏者を鍛えてくれるよ。
しかも人を楽しませるための準備っていう行為は、
純粋に楽しいものだと思うのだ。


突き詰めなければね。


出来ることをできる範囲でやる。
それが基本。
我々にとっての音楽は強制でも責務でもないから、
それはそれでよろしい。


現状は満足できるものなのだろうか?


答えがイエスだったら、ご同慶の至り。
自分の好きにされたらよろしいと思う。
でも、そうじゃないのだったら、年がら年中とはいわないけれども、
ある時期研鑚のための時間はとらなきゃいけないんじゃないのかな。


それが我々にとっての5,6,7月であり、
コンクールであるということ。


普段はみんなの云う「楽しい」音楽がやれるのだから、
年に2ヵ月ちょっとくらいは、我慢をしてみるとか、周囲に合わせてみるとかの
自分に負荷をかける期間があっても良いのではないのかな。
普段あまりやってないんだから(笑)


そんな期間があって、
イヤな思いもしたけど、少しばかりは音が良くなったな、とか、
何がしかの手応えが実感できるひとが出てきたなら、
賞の階級や評点なんぞには関係なく、我々のコンクールは成功だと思うのだ。


コンクール期間の前よりも、
何だか曲を吹くのが楽だし面白くなってるとかね。
そういう成果を見出せるかどうかじゃないのかな。


不確かで定量化もできない「楽しさ」探しをするよりも、
よほど実利的だと思うんだけどな。