奈良旅 その15 東大寺境内時間潰し | コぴははの日々

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庭に一羽の雄鶏がいた家

二月堂の裏参道。

入江泰吉さんの代表作の撮影スポット。

↑の位置から振り返って撮影。

陽がまだ高い。

街灯と私の影が伸びている。

大仏様たちにお供えする餅米を栽培している供田。

まだ田植え前だね。

正面に見えている建物は、後述する大湯屋。

供田から見える二月堂。

大仏殿の屋根が見える。

空中をまばらに、ふわふわと

2㎝くらいの綿毛が飛んでいた。

小川に鹿が水を飲みにきていた。

ここは隠れた蛍の名所で、

大仏蛍と呼ばれているらしい。

この辺りにも綿毛が飛んでいた。

法要の前に身を清める施設『大湯屋』

建物内は三つに区切られていて、

手前から脱衣所としての前室、

湯を溜めた丸い鉄湯船がある浴場、

湯を沸かす釜場がある。

鉄湯船に溜めたお湯を汲んで

掛け湯をして身を清めていたそうだ。

 

家に帰って調べたら、

先ほどから飛んでいたのは

この建物の脇に植えられた木、

丸葉柳の綿毛である柳絮(りゅうじょ)のようだ。

 

行基堂。

お墓のある竹林寺に祀られていた

行基菩薩坐像(現在は唐招提寺蔵)を模した

坐像が安置されている。

<行基菩薩>奈良時代、東大寺の大仏造立に尽力した僧。

平安時代末期、平家の焼き討ち『治承の兵火』で大仏殿焼失。

<俊乗房重源上人>鎌倉時代、東大寺再建に尽力した僧。

戦国時代、三好・松永の乱『永禄の兵火』で大仏殿焼失。

<公慶上人>江戸時代、大仏、大仏殿の再建に尽力した僧。

↓光が当たって読みにくい詳細が書かれた案内板。

行基堂のすぐ側にある鐘楼。

屋根の跳ね上がりが豪快。

奈良太郎と呼ばれる巨大な鐘。

毎日、20時に撞かれている。

鐘楼から大仏殿に向かう下り坂。

『猫段』と言われている低い段差の階段。

正面には大仏殿がある。

下から見上げるとこんな感じ。

ここで転ぶと猫になると言われている。

 

大仏殿の横に、塔の屋根に乗せる相輪がそそり立っている。

大阪万博で再現された東大寺七重塔の相輪で、

万博終了後に東大寺へ寄贈されたもの。

側の芝生でくつろぐ鹿達。

大仏殿前の鏡池。

この池には奈良県指定

天然記念物の魚・ワタカが生息している。

大正3年に内山永久寺跡の本堂池から

移したものと言われている。

鏡池の横は工事作業中で柵が巡らせてあった。

そこに設置してあった説明板。

 

 

南大門の金剛力士像・阿形像。

門の真下から見上げると、柱に穴を開け貫を差す『通し貫工法』が

用いられている。揺れを吸収する耐震性が高い技。

吽形像。

東大寺の別称・大華厳寺と書かれた南大門の正面。

近鉄奈良駅まで行くバスの時刻を確認しに

東大寺大仏殿・国立博物館のバス停に行った。

若草山が見えたので撮影した。

道路を挟んで春日大社参道の碑がある。

東大寺の参道に戻ってきた。

ポーズをとる鹿。

参道脇にある東大寺ミュージアムの壁に

実物大・盧舎那仏の手が生えている。

大仏殿の裏まで来た。

広い敷地は鹿まみれ。

ここは講堂跡。

説明板。

再び裏参道に戻ってきた。

近付いていくと、

鹿が降りてきた。

通り過ぎた。

なんとなく、家族かな?と思った。

陽が傾いてきた。

二月堂参籠所。

ここを通り抜けて、

登楼を上る。

隙間から見上げた二月堂。

西陽に照らされている。