松風晴爽

 

9月18日、Kool の第三水曜定休日。

 

この日、食品衛生責任者の実務講習会を受講しました。

 

例によって早く着きすぎ、時間潰しにと、

 

10歳まで住んでいた萱町の長屋を見に。

 

周りの建物は新しく変わっているのに、ここだけ時間が止まっているよう。

 

今にも、修ちゃん、あきお兄ちゃん、とっくん、えっちゃん達が、

 

飛び出して来そう。うーむ。ノスタルジア……。

 

 

講習会は1時間ほど。

 

5年ごとの更新&講習会なので、二回目の今回は開業から10年。

 

Kool 10周年。計算合ってる。(アタリマエ)

 

と、ゆーことは、あと五回は受けることになるんだなあ。

 

役所だから冷房はそこそこだろーとナメて、半パン、Tシャツで行ったのですが、

 

結構な効き具合で、すっかり身体が冷え切ってしまいました。

 

外の日差しと暑さがありがたい。

 

「まさか、このまま帰るんじゃあないだろうな」 と、松風。

 

もちろん帰らんよ、と、北条の海へ。

 

永吉岬は先客がいてパス。(近頃アタリがない)

 

少し先の防波堤へ。

 

 

青空に白い雲。穏やかな海。KOOLが美味いっ!

 

 

 

ふと砂浜を見ると、背の高い草が一本、ぴょこんと立っている。

 

浜に降り、それを愛でつつ、もう一服。

 

 

海を眺めながら松風と駈け、今回は五明方面からの帰路。

 

緑の中の緩やかなカーブに身を任せ駈けると旅の気分が蘇ります。

 

松風と駈けて、幾星霜。

 

色んなところを駈けたよなあ。

 

これからも、ともに駈けよう。

 

 

日日好日

 

 

そして、

 

暁をまちながら

 

 

 再掲  「9月17日」

※この記事は2014年のものです。

 

 


本日は第三水曜なので、定休日につき、 Kool はお休みです。

初連休に続き、初第三水曜休ということでゆっくりできて有難いです。

何故、第三水曜なのか?というと、月、火、水と三番目の曜日だから。

 

三王の三ですな。

 

まあ、水曜は酔(粋、睡)にも通じますが…。


そんなことは、どーでもよろし。

9月17日、と、いうことが重要なのです。

平成二年(1990)のこの日、俺は銀座の[クール]に立っていました。

「銀座名バーテンダー物語」を読み、どうしても古川さんにお会いしたくて、

 

当時、働かせていただいていたBARのマスターにお願いしてお休みをいただきました。


古川さんの前に立ち、「本を読んで、お会いしにきました!」と俺が言うと、

 

古川さんは「今、その本を持って来ていらっしゃるの?」と、尋ねられ、

 

俺が持ってきていないと知ると、カウンターの下から新しい本を出され、

 

表紙を開いた頁に署名捺印して、「はい、どうぞ」、と、手渡してくださいました。



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その時の感動は、こうして文章を打ち込んでいる今でも\(^O^)/

 

と、なるくらい鮮明に覚えています。

バーテンダーの職に就き一年半、駈け出しの俺に、

 

古川さんは優しく様々なことを教えてくださいました。


それまでは、確固たる決意のなかった俺でしたが、

 

古川さんにお会いして、

 

「バーテンダーを一生やる。自分のBARの名前は Kool にする」と決めました。


あれから24年。

皆さんのお力添えで Kool を開店することができました。ありがとうございます。

古川さんが、今も[クール]をなさっていたら、Kool 開店の報告をしに行った俺に、

 

きっと、あの柔和な笑顔で「はなむけのカクテルです」

 

と、仰って、サイドカーをつくってくださることでしょう。


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古川さん、ありがとうございました。

 

日日好日

 

 

このところ、「サイドカー」、「オールドリヴァー」など、

 

古川さんについての記事が続きましたので、

 

10年前の記事を再掲しました。

 

「銀座名バーテンダー物語」を読まなければ、

 

古川さんとお会いできなければ、

 

現在の俺、Kool は無かったんだろうなあ、

 

と、想うと、出逢いって不思議でありがたいです。

 

Kool 10周年を迎え、あらためて、古川さん、ありがとうございます。

 

 

 

 

暁をまちながら

 

再掲 いつカク 22

「オールドリヴァー」

 

 

スッと、サイドカーを飲み干した松山さんが、

 

「師匠を讃えて皆で乾杯しよう。そして、大いに飲んで語ろうではないか」

 

と、註文したカクテル、「オールドリヴァー」。

 

「いつ夕」では、一矢の〝心の師匠〟の名は明かしていませんが、

 

「古川の      苔つかぬ石さ     緑郎流 (ロックンロール)」

 

この句で分かりますね。

 

まあ、句の解釈は、ご覧の通りですので、

 

「転がる石に苔つかず」的な感じと、

 

石と意志を掛けていることだけ申し添えさせて戴きます。

 

あっ、それと、古川さんのお名前は、緑郎さんです。

 

「オールドリヴァー」  OLD  RIVER

 

 

古川さんの「クール」の名物の一つが、

 

「シェリー・ジンジャービアー」でしたので、

 

そのオマージュも込めてつくった、俺のオリジナルカクテルです。

 

水草、水苔が生えて、少し緑がかって見える、山奥の清らかな古い川。

 

掬って飲んでみると、冷たくてほんのり甘い。

 

見上げれば、木々に囲まれた夏の青空。

 

緑の香りいっぱいの心地好い爽やかな風。

 

そんなイメージですかねえ。

 

ヨシ君は、山奥の古い町並みを流れる清流に喩えています。

 

これは、飛騨にある 「 古川 」 という町を想い浮かべて記しました。

 

旅の道中、立ち寄り、古川さんに絵葉書を出したことも想い起こされます。

 

その時は、まさか、その年の11月に「クール」を閉店されるなんて、

 

思いも寄らなかったです。

 

(古川さんの「クール」は、

 

2003年11月19日 古川さんの88歳の誕生日に閉店されました。

 

現在、「クール」があった場所は、

 

「ストック」という名のワインバーが営業なさっていますが、

 

「クール」のカウンターを残してくださっています。とても有難く思っています)

 

「来年は、古川さんにお会いできる」 なんて、暢気に思っていました。

 

さっさと行っとけば好かったんですけどねえ。

 

それが、心残りではありますが、

 

でも、最後にお会いした時に、

 

Kool〟の名を遣わせて戴くことを了承してくださり、

 

「好きなようにおやんなさい」

 

と、言葉を掛けてくださっているので、

 

(それだけじゃないですね。数々の様々なことを教えてくださいました)

 

それで好いじゃないか、との思いもあります。

 

 

今は、ミントの季節、と、ゆーことで、

 

「GET 27」の代わりに、ミントの葉を遣った

 

「オールドリヴァー」も、おつくりしています。

 

 

これはこれで、自然な爽やかさが好いですなあ。(*^_^*)

 

 

変転し、流転し続ける〝意志〟

 

時々更新。日々更新。

 

今を生き、今を楽しむ。

 

空を流れ、空に流し、空を流す。

 

空流るる♪

 

 

 

日日好日

 

そして、

 

暁をまちながら

 

 

 

再掲 いつカク 21

「サイドカー」

 

 

このカクテルも俺のオリジナルカクテルではありませんが、

 

思い入れの深いカクテルなので、ご紹介させて戴きます。

 

「いつ夕」では、松山さんと一矢が出逢ったロンドンのホテルのBARが、

 

即ち、「サヴォイ」ですね。

 

そして、再会の場が、銀座の「クール」で、

 

松山さんもよく通っていたという設定にしました。

 

 

「サイドカー」については、「いつ夕」に記している通りですね。

 

俺にとっては、「はなむけ」のカクテルであり、

 

「お帰りなさい」「ねぎらい」「お祝い」であり、

 

「サイドカー」で送り、

 

「サイドカー」で迎える、

 

古川さんの粋な はからい、もてなし、と、解釈しています。

 

パリの「ハリーズ・バー」で、旅の〆として、「サイドカー」を飲み、

 

「帰国したら、古川さんのサイドカーを飲もう」と決めていたこともあり、

 

とても嬉しかったです。

 

所謂、「相抜け」的な喜びでもありました。\(^o^)/

 

古川さんが、無言で、流れるような動作で、「サイドカー」をつくり、

 

少し、悪戯っぽい笑みを浮かべながら、自然に、さりげなく、あたりまえのように、

 

スッ、と、差し出してくださった情景は心に焼き付いています。

 

「サイドカー」

 

 

古川さんが俺につくってくださった「サイドカー」は、

 

ヘネシー ☆☆☆ とコアントロー、レモンジュース、でした。

 

俺も、基本、その内容で、おつくりさせて戴いています。

 

(たまに、クールボアジェで、つくることもありますが)

 

このカクテルの註文を戴く度に、

 

古川さんのことを想い浮かべられる。

 

あの感動が心に蘇る。

 

有難く、嬉しいです。

 

いつまでも心に残る貴重な体験をさせて戴きました。(*^_^*)

 

ありがとうございます。

 

 

日日好日

 

そして、

 

 

暁をまちながら

 

 

 

 

再掲 「いつ夕」解説 71

七日目 Ⅶ

 

 

全身、真っ黒な いで立ち。

 

ヨシ君が、「名僧」、「黒い鶴」と評した、松山さんの登場です。

 

待ってましたっ! (^o^)

 

さあ、これから、松山さんが「いつ夕」の〝謎〟を説き明かしてくれるのですが、

 

その前に、

 

この松山さんの名字は、勿論、松山市から取りました。

 

本編には、「この街」と呼ばれ、「松山市」とは記されていないのですが、

 

松山さんの登場により、物語の舞台が松山市である、と。

 

(既に、分かってました?)

 

 

松山さんは、「やまと財団」を設立し、この街の整備を支援してくれているのですが、

 

その名の通り、松山さんは、個人でもあり、

 

市民ひとりひとり、市民全体でもあるのです。

 

松山さんは、市民意識の代表であり、象徴なんですね。

 

ですから、この「いつか見た夕焼け」が〝きっかけ〟となり、

 

松山市が整備される時に、「やまと財団」が無くとも、

 

市民が支援する。

 

自らの街の為に、自らが自らを支援するのです。

 

「市民の、市民による、市民の為の街づくり」 と、いうことです。

 

「いつ夕」では、手っ取り早く、「やまと財団」の支援としましたが、

 

現実の〝街づくり〟は、市民自らが、ひとりひとりが、協力して、

 

豊かな社会、素晴らしい街を築いてゆくのです。

 

市全体の都市計画を、どーん、と構想し、

 

勿論、その先の、県、四国、全国との連携も見据えて、

 

これからの〝街づくり〟〝社会〟の手本となる街を築くのです。

 

やっぱ、映画化ですねえ。

 

映像で観てもらうのが分かりやすいのでしょうね。

 

さあ、「いつ夕」に記されている通り、

 

この「いつか見た夕焼け」は、広く市民に読まれるのでしょうか。

 

映画化されちゃったりするのでしょうか。

 

俺の描く構想は、広く受け入れられるモノなのでしょうか。

 

現実と成り得るモノなのでしょうか。

 

楽しみですね~ ♪

 

\(^o^)/

 

 

日日好日

 

 

近頃、地方の活性化が少しずつ話題になってきているように感じます。

 

「この街」なので、どの街から「いつ夕」の街づくりが行われても好いのですが、

 

できれば、「いつ夕」の舞台である松山が先頭になってもらいたいですねー。

 

せっかく、「いつか見た夕焼け」という未来への物語、小説があるのですから、

 

活用して戴きたい。 松山市民の奮起に期待します。

 

 

暁をまちながら