再掲 「いつ夕」解説 72

七日目 Ⅷ

 

 

ヨシ君が「オールドリヴァー」を喩えた、

 

「清流」という言葉からの流れで、

 

松山さんが〝一流〟について述べます。

 

これは、俺も同感ですね。

 

川の流れに、二流、三流がないように、

 

人生にも、それはない。

 

皆、一流なのだと思っています。(一流であって戴きたいと思っています)

 

「意志であり、決心、覚悟のことなのだよ。

 

自己規範、矜持と云ってもよいかもしれん。

 

君は君の流れ、流儀を、人生を全うすれば、それでいいのだ。

 

それぞれがそれぞれの自己規範、矜持を持って、

 

流儀、人生を全うすれば、それでいいのさ」

 

ひとりひとりが、自己確立を果たし、自己規範、矜持を持って、

 

自らの流儀で人生を全うする。

 

自らの流儀、一つの流儀、それが一流である、と、ゆーことです。

 

俺の流儀が、「空流」である風にです。

 

それぞれがそれぞれの流儀を持つ。

 

これって、楽しいと思うんですけどねー♪

 

 

一矢は、自らを「街を流れる生活河川」に擬えています。

 

バーテンダーにはピッタリの表現ではないでしょうか。

 

愚痴や憂いを流し、排水し、喜びや楽しさを流し、供給、給水する。

 

松山さんは、「下水道」。

 

「世の中の  汚物を浚って  あの世まで」

 

松山さんの覚悟が伺える一句ですね。

 

こういう覚悟を持った お年寄りが増えてくれれば、

 

後に続く我々の世代、若者、子供たちが随分と楽になるんですけどねえ。

 

特に、権力者、資産家といった人達にお願いする次第であります。

 

老い先短いし、権力、金銭、資産は、あの世へ持ってゆけないのですから、

 

次世代、未来のことを考えて、

 

その権力、財力、資産を有効に活用して戴きたいです。

 

それこそ、「やまと財団」のようなものをつくり、

 

地域社会の整備、発展に貢献したり、

 

介護施設込みの老人共同生活施設で、自分達の面倒は自分達で看ながら、

 

(独居老人、家族の世話になりたくない、世話をしてくれない、嫌がられているなどの

 

お年寄り達が、寄り集まって、いたわり合って、共同生活する。

 

お年寄りに限りませんね。自力では生活しにくい人達が協力し合って、補い合って、

 

共生する。それを支援したいボランティアも大歓迎です)

 

働ける人は働いて、銭、資産がある人は銭を出して、その収益で、施設を運営したり、

 

まあ、やれることは沢山あるでしょう。

 

(「年寄りの気持ちは、年寄りにしか分からない」 伯母の言葉です)

 

 

「後は野となれ山となれ」ではなく、

 

次世代、若者、子供達の手本となるような、

 

見事な散り際を見せて戴きたいものです。

 

感謝され、惜しまれつつ、散ってゆく。

 

カッコイイと思いますけどねえ。(*^_^*)

 

我々の世代も、そろそろ準備段階ですね。

 

好い感じで散れるよう、整えてゆきましょう。

 

後世に、「昭和四十年前後生まれの世代は、よくやってくれた。素晴らしい世代だった」

 

と、言われたいものです。 (*^_^*)

 

 

日日好日

 

そして、

 

 

暁をまちながら

 

松風晴爽

 

9月18日、Kool の第三水曜定休日。

 

この日、食品衛生責任者の実務講習会を受講しました。

 

例によって早く着きすぎ、時間潰しにと、

 

10歳まで住んでいた萱町の長屋を見に。

 

周りの建物は新しく変わっているのに、ここだけ時間が止まっているよう。

 

今にも、修ちゃん、あきお兄ちゃん、とっくん、えっちゃん達が、

 

飛び出して来そう。うーむ。ノスタルジア……。

 

 

講習会は1時間ほど。

 

5年ごとの更新&講習会なので、二回目の今回は開業から10年。

 

Kool 10周年。計算合ってる。(アタリマエ)

 

と、ゆーことは、あと五回は受けることになるんだなあ。

 

役所だから冷房はそこそこだろーとナメて、半パン、Tシャツで行ったのですが、

 

結構な効き具合で、すっかり身体が冷え切ってしまいました。

 

外の日差しと暑さがありがたい。

 

「まさか、このまま帰るんじゃあないだろうな」 と、松風。

 

もちろん帰らんよ、と、北条の海へ。

 

永吉岬は先客がいてパス。(近頃アタリがない)

 

少し先の防波堤へ。

 

 

青空に白い雲。穏やかな海。KOOLが美味いっ!

 

 

 

ふと砂浜を見ると、背の高い草が一本、ぴょこんと立っている。

 

浜に降り、それを愛でつつ、もう一服。

 

 

海を眺めながら松風と駈け、今回は五明方面からの帰路。

 

緑の中の緩やかなカーブに身を任せ駈けると旅の気分が蘇ります。

 

松風と駈けて、幾星霜。

 

色んなところを駈けたよなあ。

 

これからも、ともに駈けよう。

 

 

日日好日

 

 

そして、

 

暁をまちながら

 

 

 再掲  「9月17日」

※この記事は2014年のものです。

 

 


本日は第三水曜なので、定休日につき、 Kool はお休みです。

初連休に続き、初第三水曜休ということでゆっくりできて有難いです。

何故、第三水曜なのか?というと、月、火、水と三番目の曜日だから。

 

三王の三ですな。

 

まあ、水曜は酔(粋、睡)にも通じますが…。


そんなことは、どーでもよろし。

9月17日、と、いうことが重要なのです。

平成二年(1990)のこの日、俺は銀座の[クール]に立っていました。

「銀座名バーテンダー物語」を読み、どうしても古川さんにお会いしたくて、

 

当時、働かせていただいていたBARのマスターにお願いしてお休みをいただきました。


古川さんの前に立ち、「本を読んで、お会いしにきました!」と俺が言うと、

 

古川さんは「今、その本を持って来ていらっしゃるの?」と、尋ねられ、

 

俺が持ってきていないと知ると、カウンターの下から新しい本を出され、

 

表紙を開いた頁に署名捺印して、「はい、どうぞ」、と、手渡してくださいました。



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その時の感動は、こうして文章を打ち込んでいる今でも\(^O^)/

 

と、なるくらい鮮明に覚えています。

バーテンダーの職に就き一年半、駈け出しの俺に、

 

古川さんは優しく様々なことを教えてくださいました。


それまでは、確固たる決意のなかった俺でしたが、

 

古川さんにお会いして、

 

「バーテンダーを一生やる。自分のBARの名前は Kool にする」と決めました。


あれから24年。

皆さんのお力添えで Kool を開店することができました。ありがとうございます。

古川さんが、今も[クール]をなさっていたら、Kool 開店の報告をしに行った俺に、

 

きっと、あの柔和な笑顔で「はなむけのカクテルです」

 

と、仰って、サイドカーをつくってくださることでしょう。


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古川さん、ありがとうございました。

 

日日好日

 

 

このところ、「サイドカー」、「オールドリヴァー」など、

 

古川さんについての記事が続きましたので、

 

10年前の記事を再掲しました。

 

「銀座名バーテンダー物語」を読まなければ、

 

古川さんとお会いできなければ、

 

現在の俺、Kool は無かったんだろうなあ、

 

と、想うと、出逢いって不思議でありがたいです。

 

Kool 10周年を迎え、あらためて、古川さん、ありがとうございます。

 

 

 

 

暁をまちながら

 

再掲 いつカク 22

「オールドリヴァー」

 

 

スッと、サイドカーを飲み干した松山さんが、

 

「師匠を讃えて皆で乾杯しよう。そして、大いに飲んで語ろうではないか」

 

と、註文したカクテル、「オールドリヴァー」。

 

「いつ夕」では、一矢の〝心の師匠〟の名は明かしていませんが、

 

「古川の      苔つかぬ石さ     緑郎流 (ロックンロール)」

 

この句で分かりますね。

 

まあ、句の解釈は、ご覧の通りですので、

 

「転がる石に苔つかず」的な感じと、

 

石と意志を掛けていることだけ申し添えさせて戴きます。

 

あっ、それと、古川さんのお名前は、緑郎さんです。

 

「オールドリヴァー」  OLD  RIVER

 

 

古川さんの「クール」の名物の一つが、

 

「シェリー・ジンジャービアー」でしたので、

 

そのオマージュも込めてつくった、俺のオリジナルカクテルです。

 

水草、水苔が生えて、少し緑がかって見える、山奥の清らかな古い川。

 

掬って飲んでみると、冷たくてほんのり甘い。

 

見上げれば、木々に囲まれた夏の青空。

 

緑の香りいっぱいの心地好い爽やかな風。

 

そんなイメージですかねえ。

 

ヨシ君は、山奥の古い町並みを流れる清流に喩えています。

 

これは、飛騨にある 「 古川 」 という町を想い浮かべて記しました。

 

旅の道中、立ち寄り、古川さんに絵葉書を出したことも想い起こされます。

 

その時は、まさか、その年の11月に「クール」を閉店されるなんて、

 

思いも寄らなかったです。

 

(古川さんの「クール」は、

 

2003年11月19日 古川さんの88歳の誕生日に閉店されました。

 

現在、「クール」があった場所は、

 

「ストック」という名のワインバーが営業なさっていますが、

 

「クール」のカウンターを残してくださっています。とても有難く思っています)

 

「来年は、古川さんにお会いできる」 なんて、暢気に思っていました。

 

さっさと行っとけば好かったんですけどねえ。

 

それが、心残りではありますが、

 

でも、最後にお会いした時に、

 

Kool〟の名を遣わせて戴くことを了承してくださり、

 

「好きなようにおやんなさい」

 

と、言葉を掛けてくださっているので、

 

(それだけじゃないですね。数々の様々なことを教えてくださいました)

 

それで好いじゃないか、との思いもあります。

 

 

今は、ミントの季節、と、ゆーことで、

 

「GET 27」の代わりに、ミントの葉を遣った

 

「オールドリヴァー」も、おつくりしています。

 

 

これはこれで、自然な爽やかさが好いですなあ。(*^_^*)

 

 

変転し、流転し続ける〝意志〟

 

時々更新。日々更新。

 

今を生き、今を楽しむ。

 

空を流れ、空に流し、空を流す。

 

空流るる♪

 

 

 

日日好日

 

そして、

 

暁をまちながら

 

 

 

再掲 いつカク 21

「サイドカー」

 

 

このカクテルも俺のオリジナルカクテルではありませんが、

 

思い入れの深いカクテルなので、ご紹介させて戴きます。

 

「いつ夕」では、松山さんと一矢が出逢ったロンドンのホテルのBARが、

 

即ち、「サヴォイ」ですね。

 

そして、再会の場が、銀座の「クール」で、

 

松山さんもよく通っていたという設定にしました。

 

 

「サイドカー」については、「いつ夕」に記している通りですね。

 

俺にとっては、「はなむけ」のカクテルであり、

 

「お帰りなさい」「ねぎらい」「お祝い」であり、

 

「サイドカー」で送り、

 

「サイドカー」で迎える、

 

古川さんの粋な はからい、もてなし、と、解釈しています。

 

パリの「ハリーズ・バー」で、旅の〆として、「サイドカー」を飲み、

 

「帰国したら、古川さんのサイドカーを飲もう」と決めていたこともあり、

 

とても嬉しかったです。

 

所謂、「相抜け」的な喜びでもありました。\(^o^)/

 

古川さんが、無言で、流れるような動作で、「サイドカー」をつくり、

 

少し、悪戯っぽい笑みを浮かべながら、自然に、さりげなく、あたりまえのように、

 

スッ、と、差し出してくださった情景は心に焼き付いています。

 

「サイドカー」

 

 

古川さんが俺につくってくださった「サイドカー」は、

 

ヘネシー ☆☆☆ とコアントロー、レモンジュース、でした。

 

俺も、基本、その内容で、おつくりさせて戴いています。

 

(たまに、クールボアジェで、つくることもありますが)

 

このカクテルの註文を戴く度に、

 

古川さんのことを想い浮かべられる。

 

あの感動が心に蘇る。

 

有難く、嬉しいです。

 

いつまでも心に残る貴重な体験をさせて戴きました。(*^_^*)

 

ありがとうございます。

 

 

日日好日

 

そして、

 

 

暁をまちながら