生きるとは何か? アウトサイダーアートを考える | 絵画的世界の窓

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精神障害者とか、或いはもう少しソフトにいって精神に障害のある人にしても、そうしたいい方は、いずれにしろちょっと違うのではないか、とはずっと思って来ました。


何が違うかといえば、恰もそのいい方だと障害のある人とない人との間に一線が引かれ、両者を分けて考えてしまうからではないか、と思っていて、それはちょっと違うなという気持ちです。


そうじゃなくて、実はみんなどっかおかしいでしょと思っている訳です。精神のおかしな人とおかしくない人を二通りに分けるのではなくて。


みんな、どっかおかしいでしょと、常日頃思っているぼくみたいな人間には、先日の東京新聞に載っていた八王子の平川病院の「造形教室」の記事はおもしろかったなあ。


例えば絵を描いたりすることが、別に絵だけに限ったことではないけど、何かをつくったり、つくろうとしたり、つくらないといけないと自分を追い込んでしまわずにいられなかったり、人間いろいろだけど、とにかく自分と向き合う方法を彷徨いつつ生きるしか道がないのが、生きることで、人間みんなそうでしょっと、切羽詰まって訳わからず今ここにいるぼくは明らかに病んでいますし、逆にいえば病まないでどうやっ生きられるのか聞きたいよな。

とぼくは思っています。


という訳で、平川病院「造形教室」の活動を記録したドキュメンタリー映画「破片のきらめき 心の杖として鏡として」(高橋愼ニ監督)がすごく観たい!