コミュニケーションとは要するに関係を求め合う行為とでも呼べばいいのか?
ある事柄を共有すべくお互い歩み寄る不断の努力。
そこには分かち合えてはいないことも、分かち合えてはいないことと互いが認めるコミュニケーションがむしろ成り立っていることが実は土台になっていないとダメなんだろうね。
ややこしい。
しかし振り返ると、こうしたことはよくある。
というか、こんなことは日常において繰り返し起こっていることなんだろうね。
いちいち考えないからもはや無意識にやり過ごしいる関係なんだろうけど、立ち止まって考えてみるととても奇妙に映る。
例えば会話していて同意出来ない話しの内容があったとして、だからといって不同意をあらわにはしないで、むしろ頷きさえしてその場をやり過ごすようなことが、この前もあった。
よくあることだ。少なくともぼくには意外ではない。
つまりこんな関係、状況の乗り切り方だ。
そして、こんなことを思い出させてくれたのは三木那由他著「言葉の展望台」講談社をペラペラしていたからなんです。
日常の無意識にふと立ち止まらせてくれた。読む行為の効用のひとつです。
またこの本の中ではもう一つ、思いもかけなかった告白に出くわして、文脈にある種屈折が入る。突然今まで追っていた視点とは異なる視点でこの作家を見る興味が湧いて来る。
そこでぼくはGalleryころころで、ここ最近続けている企画展を思い出すわけなんですが、つまり「オンナとおとこ、について」展です!About Women and Men Exhibit 。
この4月にも実現したいと思います。