親による子への刷り込みは、この映画だと長男に託された父代わりとしての家父長制は確かに彼の人生を決定づける重石となって、晩年その重荷を脱いだ安堵を述べるシーンが象徴的だ。が、その背負わされた責任と個人の歓びとが案外同居してしまっていて、他人から指摘されるまで両者のちがいがわからない、という視点がこの映画のもう一つの見どころのような気がする。
ぼく自身これと似たような経験があるので、この戸惑いは身につまされた。
つまり自分自身に課せられた呪縛が自分でもそれとわからないほど深いところで歓びと結び付いてしまい、自分を見失なっている傷であるという自覚すらついに持てないまま一生を過ごすことになる、ということなんだ。
韓国映画「国際市場で逢いましょう」。