動物のわたし | 絵画的世界の窓

絵画的世界の窓

GALLERYからの景色

 

「上原柳二のねこ展」、明日25日まで。

12:00~19:00。

 

ねこ展なので、

お立ち寄り下さる方は、まあ、ねこ好きにちがいない。

私、犬が好きなんですよ、

と言って入って来る人もいない、

と思う。

 

いたかもしれないけど、

忘れた。

 

こちらの意識として、

ねこ好きに統一してしまいがちだ。

統一してしまっても、あながち間違いではないと思う。

だってねこ展なんだもん。

 

ふと、死に際の話になって、

ねこって偉いね、

いや、ねこに限らず、

動物って偉い、死を受け入れる。

抗わない。

 

なんとも恰好がいい、

とその方は仰る。

 

恰好がいいという表現が気になった。

そういう見方もあるんだな。

この辺に女性らしさを見る。

 

確かに死に際にじたばたしたところで、

おそらく事態は何一つとして変わるものではないだろうけど。

変わるものではないだろうけど、

受け入れるのは容易ではない。

いや、容易も何も、そもそも受け入れざるを得ないのだから、

道は一つ。

二つないんだから辛い。

 

そしておそらくねこは、また動物はこうは考えない生きものだろうな。

だから潔い。

この辺が恰好がいいにつながるんだな、きっと。

 

それにしてもねこに私と言う意識はあるのか?

吾輩は猫である、とは言うが。

 

この小説の核心とは、ここではなかったか?

あのねこは水死だが、

そもそも自殺ではなかったか?

 

来週から「吾輩は夏目坂通りの福ねこ展」を開催するにあたり、

漱石先生の「吾輩は猫である」をまたぺらぺらする愉しみが増えました。

 

 

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