コロナ禍における記者会見の形とは。 | こんちゃんの「社会世相を斬って、見てみる」

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Appleが先月(10月)に続いてイベントをすることが告知されている。

 

 

これで9月から3ヶ月連続で、2020年で4回目となる。

 

 

おそらくは新しいMacの発表ではないかと言われる。

 

 

Appleについては今年がたまたまだったのかもしれないが、こうした企業の発表をプレスリリースする時に、わざわざ人を集めて発表しなくてもビデオだけでも伝わると言うことが分かったのかもしれない。

 

 

Appleのように、いつも発表するだけのイベントであれば、人を集めなくても事足りるのだろう。

 

 

 

ただ、記者会見で、質問をその場で受けるとなると、やはりリアルな場が必要になってくる。

 

 

たた、そうした記者会見の場であっても、回答を受けての更なる質問を受け付けなかったり、回答自体がなんだかあまり要領の得ないもの、逆に質問者も要領の得ない質問をしたりするなら、そこに集まる意味はないのかもしれない。

 

 

人を集めることが、単に自分たちのプレゼンスを高めるだけの目的であるならば、人を集めることは、密にもなるので、やめてもいいのかもしれない。

 

 

もし、記者会見の場自体がコロナのクラスターになったら洒落にならない。

 

 

ただ、これは民主的な制度の危機と隣り合わせにもなりかねないから注意は必要だ。

 

 

例えば、悪いことが起きた時にも、以前であれば記者会見を開いて、その場で質疑応答もされる。

 

 

それも、コロナの時期だから記者会見は遠慮する、と言う体で追求から逃れることだってできてしまう。

 

 

実際に、そうしたケースも地方自治体や教育現場で起きた事故の説明などで見られたりする。

 

 

コロナの時代に、記者会見だとか説明責任の取り方だとかいったものも変わっていくのかもしれない。